執念
商人側の責任者として、積み荷がきちんと納品されるのを見届ける。そう言って、運搬される材木と共に川の上を船で行く。
目指すは洲股。そこで兵と職人衆と積み荷を降ろして俺の仕事は完了だ。
本来なら、もっと前の段階、川に運び込む段で見送るのが正しいのだろうが。
ようは、心配なのでギリギリまでついてきてしまったのだ。
自分でも馬鹿だと思うが、この作戦の意味するところを思えば、容易く自分の手から離すことに戸惑いを覚えてしまった。
いや、違うな。戸惑いではなく、何やら嫌な予感を覚えたのだった。
どうやら俺は、どんと腰を据えて待ち構える、そんな商人になれる気質ではないらしい。
はあ、と自嘲の溜息を吐くと、川の水面に視線を落とした。
川の流れは穏やかだ。ここ数日雨が降らなかったおかげだろう。これなら川での運搬中に滅多なことも起こるまい。
となると、やはり問題は城の改修工事となる。
信長が洲股よりずっと東の新加納に進出して陽動行動をとっている。斎藤軍の主力は中美濃方面に出張っていると見て間違いあるまい。
それでも、いくらかの留守番部隊が稲葉山城には残っているだろう。
聞くところによれば、洲股から稲葉山城のある金華山は遠目に見えるそうな。それほどまでに近い。
稲葉山城に残るのは大軍ではないだろう。しかし、それほどの至近距離に敵軍があるという。まさに敵前での築城だ。プレッシャーは生半可なものではない。
真っ先に改修工事中の洲股に襲来するのは、この留守番部隊であろうか? 恐らくはそうだろう。求心力の落ちた斎藤家の為に、美濃国人たちが迅速な行動を起こすとは考えにくい。
……時間だ。改修工事が完了するまでどれほどの時間がかかるか。それが肝だ。
大工たち職人衆が改修工事を行う。その間、藤吉郎率いる守備部隊は襲来する敵勢を迎撃することになる。
最初に来襲する留守番部隊は迎撃できるだろう。……戦に関してずぶの素人である俺の見立てではない。専門家の意見だ。そう、本作戦を知る二人、信長と勝家の。
現在小牧山城にいる勝家だが、改修工事完了予定日には後詰として完成した城へと進駐する役目を担っている。
つまり、それまで敵の攻勢を防ぐ。且つ、橋頭堡たる城を完成させる。これらが為れば、最早斎藤には抜くこと能わぬ楔が打ち込まれることを意味する。
この楔を打ち込むことにより、美濃攻めは大詰めに差し掛かることになろう。斎藤を下して、美濃一国を織田が手中に収める。
それは天下への道が開かれることに他ならない。
俺はぎゅっと強く拳を握り締める。失敗は……許されない。
「浅田屋の旦那! 見えたぞ、あれが洲股だあ!」
俺の乗る船の船頭が声を張り上げる。その声に俺は目を細めた。
果たして、それを肉眼で捉えた。長良川の西岸、何やら盛り上がった土台のようなものを見出す。
あれが信長公記にも記される洲股要害、その城跡に違いない。
正に城の基礎だけが残り、その上には一切の建造物が見当たらない。いや、基礎となる土台も長年放置されていた間に風雨にさらされたと見えて、所々崩れ落ち歪な形状をしている。
俺の乗る船を含む船団が、その城跡の傍に吸い込まれるように着岸していった。
****
大量の材木、その荷下ろしと城跡への運搬はそれだけで多大な時間を食った。
結局、一晩だけだが、洲股で夜を明かすことになった。翌日の昼前になってようやく全ての荷下ろしを終える。丸一日とは言わないが、それに近い時間がかかっている。
焦燥は募るばかり。まさか、まだ俺らの存在が稲葉山城の留守番部隊に気付かれてはいないだろうが、それでも気が急いてしまう。
しかしどんなに焦っても、ここでお役目は俺の手を離れる。後の全ては藤吉郎に委ねられるわけだ。
あの男の能力を疑うわけではないが。しかし……。
「大山様……」
考え込む俺に護衛の弥七が声をかけてくる。
「そろそろ尾張に戻る船を出そうかと、船頭たちが話しております」
「ああ」
こちらを窺うような声音に生返事を返す。
弥七の声から察するに、とうに出る準備は終わっていて、後は俺待ちだと思われる。船頭たちは弥七を通じてその意向を伝えてきたと見るべきだろう。
「分かった。が、最後に藤吉様に挨拶を済ませておこう」
俺はそう言って、盛り上がった城跡の土台を上へ上へと登っていく。後ろから弥七が黙ってついてくる。
城跡の天辺、そこに目的の人物は立っていた。こちらに背を向け、遠く見える金華山を望んでいる。
「藤吉様……」
その背に俺は声をかける、藤吉郎はゆっくりとこちらを振り返った。
「何じゃ、源さ?」
「手前はそろそろ尾張に戻ります。その前に挨拶をと」
「そうか。ご苦労じゃった、源さ。後はオレに任せい」
そう言って、藤吉郎は再び金華山を横目に睨むように望む。
「やはり、稲葉山城の留守番部隊が気になりますか?」
「当然じゃ。……連中はいつになったらここの改修工事に気付くかのう?」
「さて? こればかりは運でしょう。何日間察知されずに済むか。それは予想できることではありません」
「そうか……。早う、気付いて攻め寄せてくればいいのにのう」
うん? 何と言った、この禿げ鼠は?
「……びくびくと待ち続けるは気が持たない。ならばいっそ、早く攻めてきた方が。そういう意味ですか?」
「はっは! 馬鹿言うな、源さ! 誰が怯えるものか。むしろ猛っておるのじゃ! 殿率いる本軍すら、言わばこの戦場の為の助攻に過ぎんのじゃぞ! この戦場が、この藤吉郎秀吉こそが、戦の中心じゃ! そしてその最大の見せ場が、稲葉山城から来る部隊を蹴散らす時じゃろうが! 見せつけてやらねば! オレを馬鹿にしてきた連中に!」
ッ! 慢心、驕り? ……いいや、違う。これはもっと深く危ういものだ。俺は藤吉郎の瞳の中に渦巻く色、それの名を看破する。
これは――執念。これまで己を馬鹿にし、見下してきた者たちを必ず見返してやろうという、余りに強い執念だ!
「藤吉様……」
「ん? どうした源さ?」
「いえ。何でもありません。それでは手前はこれで」
「おう。道中気を付けてのう、源さ」
「藤吉様もくれぐれもお気を付けて。どうかご武運を」
そう言って、俺は城跡を下っていく。
――冷静になれ。そんな言の葉が通じるようにも見えなかった。
不味い、不味いな。どうにかしなければ。そう思いながら、川岸まで歩く。
「大山様?」
船に乗りながら弥七が心配げな声を上げる。
……それだけ俺が思い詰めた顔をしている。そういうわけか。
俺はそれでも黙したまま考え込む。
やがて、船は川岸を離れ長良川の上を進み出した。
「……弥七、少し予定を変更しよう」
「はっ?」
俺が出し抜けに言うと、弥七が間抜けな声を上げる。
「嫌な予感こそ当たるものか。……思い付きの策がある。とてもではないが進んでやりたいような策じゃない。苦し紛れの策だ。出来れば、それを使わなくて済むことを祈りたいものだが……。あの様子じゃなあ」
俺は弥七に聞かせるというより、独り言に近い言葉を漏らす。
「はあ。最悪の事態を想定して、準備だけは進めておこう」
俺は遠ざかる洲股を見やる。心中で馬鹿野郎! と、藤吉郎を罵ったのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます