信長と征く 転生商人の天下取り
入月英一
一章
桶狭間投機と戦国の覇者
事実は小説より奇なり。その言葉をこの世で最も実感しているのは、他ならぬ俺に違いない。
転生だ。ネット小説に散見される、転生というやつを俺は体験した。
いや、よしんば、輪廻転生があったとしてもおかしくないのかもしれない。仏教始め、世界各地の宗教で転生について触れられているのだから。
そうとも、百歩譲って転生の存在は認めるのもやぶさかではない。
でも、それでもだ! 過去に転生するのだけは、どう考えてもおかしいだろう!
そんな突っ込みを、俺は転生を果たした後の幼少期に幾度も繰り返したが、現実は変わらない。
俺は過去に、戦国時代に新たな生を得たのであった。
俺は、熱田商人の子として生まれた。
今世の父はやり手の商人で、一代で店を大きくした。屋号を浅田屋という。
浅田屋と言えば、熱田の人間で知らぬ者はいない。知らなければもぐりだ。それほどの知名度を誇る大店である。
まあ、そうは言っても、上には上がいて。熱田全体の中では、上の下といった立ち位置の店だろうか。
三年前、俺はその店の二代目となった。
親父は、店をここまででかくするのに遮二無二働いた。その反動か、体を壊してしまい、隠居して久しくなっている。
店を継いだ俺は、よくある二代目のように浮ついたこともせず、また現代知識を活用したチート商売をするでもなく、ただ堅実に受け継いだ商売をこなした。
私生活でも質素倹約に務め、店で着実に稼いだ銭をコツコツ貯めていった。
ああ、なんて、つまらない生き方だろう。あまりに健全に過ぎる。
折角転生しておいて、それはない! そんな風に言われても仕方のない生き方。
しかし、これには訳があった。俺は時を待っていたのだ。その日の為に堅実に銭を貯め続けた。
そして、ついにその時は来た。
永禄三年五月十九日。――桶狭間の合戦当日である。
「いいな! 街中に触れ回れ! 大通りで浅田屋が、織田家中に銭を貸した証の証文を買い取っているってな! 分かったな? いけ!」
俺は店の見習い小僧たちをどやして、店から街中へと放り出す。その背を見送ることなく、すぐさま後ろを振り返る。
そこには俺の右腕たる番頭と、若衆たちが、銭を入れた袋を次から次へと荷車の上に積んでいく姿があった。
「銭の準備はまだか! 早くしろ!」
やきもきしながら、その姿を見守る。
俺は店の前を行ったり来たり、落ち着かない様子で歩く。
普通なら奇異の目で見られかねない所業だが、今日ばかりは誰も気にも留めなかった。何故なら、今の熱田は大騒ぎの真っ只中であるからだ。
熱田は、津島と並んで織田領最大の商業地。つまり、我々の主は織田ということになる。
そして今、その織田の大ピンチなのだ。
今川の侵攻により、国主たる織田が滅びるかどうかの瀬戸際。
とんでもない大事である。街を上げての、大騒ぎになるのも無理からぬことであった。
織田が滅びれば、その影響は計り知れない。新たな主人となる今川が、我々をどのように遇するか?
捨て置かれることはありえない。何せ、この商業地の魅力は相当なもの。
その財力を絞りとろうと、どんなことをしてくるか?
それを思えば、震えが止まらなくなっても仕方のないことだ。
よしんば、今後の統治を考慮して、今川が穏健な処遇をしたとしても。それでも問題が起こる。
それは、織田家、ならびに、織田家中の家々に貸した銭の問題だ。
織田領最大の商人都市だ。熱田商人の中に、織田家や、織田家中の武将たちに銭を貸した商人は掃いて捨てるほどいる。
さて、織田家が滅び、家臣たちも悉く討ち死にすれば、一体どうなるだろう?
決まっている。銭を貸した証である証文は、その全てが紙切れに成り果てる。
街全体に、悲痛な叫び声が上がるのも当然であった。
「二代目! 準備が整いました!」
店の前を歩きながら考え込んでいる内に、準備が整ったようだ。
「よし! では、大通りへ行くぞ! 一世一代の大博打だ!」
俺はそう言うや、慌ただしい街中を先頭切って歩く。
後ろからは番頭と、荷車の周囲を固める若衆がついてくる。
大通りに出ると、既に人が集まりつつあった。
見習い小僧の触れを聞き付けた連中……か。そいつらが一斉に俺の方へと視線を向ける。
中には遠巻きに、何が何だか分からず通りを窺う人もいる。
これは、まだ触れを聞いてはいないが、何か人が集まっているからと、やってきた連中だろう。
俺はそんな連中にも理解できるよう、大声を上げる。
「織田家中へ銭を貸した証文を、この浅田屋が買い取るぞ!」
その声が大通りを駆け抜ける。
「何?」
「本当か!?」
「あの走り回っていた小僧の言う通りだ!」
一人の商人が、証文片手に慌てた様に飛び出てくる。
「本当に買い取ってくれるんだな!?」
「ああ。ただし! 証文の金額の十分の一の値でだ!」
「何ぃ?」
「つまり、一〇貫の証文なら、一貫で買い取るってこった!」
「糞! 足元見やがって! ……だが、唯の紙切れになるよりマシだ! ええい、持ってけ!」
「毎度あり! 銭はウチの若衆から受け取ってくれ!」
一連の遣り取りを見ていた連中が、我も我もと押し寄せてくる。
「俺のも買い取ってくれ!」
「あいよ! 毎度あり!」
「聞いたよ、浅田屋さん! 証文を買い取ってくれるって本当かい!?」
「ああ! ただし、十分の一の値でだ!」
「それでいい! 買い取っておくれ!」
「浅田屋! お前、正気か!? そんなに織田家中の証文買い漁って! 時勢が見れてないのかよ!?」
「ちゃーんと見てる! その上で買うんだ! はっ、一世一代の大博打さ! もしもこの戦に織田様が勝てば、俺は明日から熱田一の大商人だ!」
「あんた、いかれてやがるな!」
次から次へと押し寄せる商人たちを捌いていく。
それにしても、いかれてる……か。
ははは、一世一代の大博打? 傍からは確かにいかれた博打に見えるだろう。
しかしその実、これは博打でも何でもない。では何か? その実態は約束された勝利の投機。そう、一種のインサイダー取引だ!
俺はこれまで貯め続けた銭を、全て証文へと変えていく。
狂騒の一日は、瞬く間に過ぎ去っていった。
結論から言おう。
織田家の命運をかけた戦いは、俺の歴史知識通り、織田家の勝利に終わった。
それはつまり、俺の資産が十倍に膨れ上がったことを意味する。そう、少なくとも書面上は。
熱田中を包んだ狂騒は冷め、表面上は穏やかな日が戻ってきた。
しかし、俺の正念場はこれからであった。
桶狭間の合戦、その戦後処理が済むと、清洲城から使いが来た。
――急ぎ、登城するように、と。
これも予想できたこと。あれほど、派手な騒ぎになったのだ。
俺の所業が清洲城まで、信長の耳まで届くのは当然のことであった。
その騒ぎの顛末を、信長が気にならないわけがない。そうでなくとも、俺は一日にして織田家最大の債権者となったのだ。
そりゃあ、一度顔を合わせて見ようと思うだろうさ。
俺はこの日の為に用意していた一張羅の着物を身に纏い、いざ清洲城へと登城した。
清洲城の一室に通された俺は、そこで待たされる。瞑目したまま、背中をしゃんと伸ばして座する。そうして、信長がやってくるのを待つ。
ドタドタドタと、荒々しい足音が近づいてくる。
俺は待ち人が来たことを悟ると、畳に頭を擦りつけながら平伏した。
バーンと、ふすまが勢い良く開かれる音。ドタドタ、ダン! どうやら、信長が上座に座ったようだ。俺はそれでも頭を下げ続ける。
暫くの沈黙。俺の頭部に、信長の視線が突き刺さるのを感じる。
「……よい。面を上げよ」
「はっ」
許しを得て、俺はゆっくりと顔を上げる。そして、正面からその男の顔を見た。
鼻筋が通って髭は薄い。整った容貌だ。が、額の皺が神経質さを如実に表す。その上、瞳がこれでもかとぎらついていた。
この男が……! ドクンと、心臓が高鳴る。
ああ、この男こそが、そうなのか。日本史上最も有名な男。戦国の覇者――織田信長!
「貴様が、件の浅田屋か。ふん、ずいぶんと派手なことをしたな」
「はっ」
「……して、何が目的で、あのようなことをした?」
信長が目を細めて、こちらを値踏みするように見る。
「博打です。上総介様が、今川を討つべく博打をなされた陰で、手前も博打をしておりました」
「ふん、博打ときたか。では、互いに博打に勝利したというわけか。ワシは今川を討ち、貴様は大金をせしめた」
「いえ。御言葉ですが、手前の博打はまだ終わっておりませぬ」
「何……?」
俺は信長の目を真っ直ぐ見詰める。
「畏れながら申し上げます。手前が買い漁った証文、これを書面上の額より三分の一の値で、一括して御買い上げ頂きたく」
そう言って、軽く頭を下げる。
「ほう。まこと博打だな。命が惜しくないと見える」
「商魂逞しい、そう言って頂ければ、望外の喜びです。……銭に変えねば、証文も唯の紙切れなれば」
「ふん、銭の為に命かけるが商人か。なれば、望み通り手討ちにしてくれよう」
そう言って信長は立ち上がると、刀持ちへと手を伸ばす。刀持ちが、慌ててその手に刀を握らせる。
「手前を手討ちになさる前に、今暫く手前の戯言にお付き合い願えれば」
「何だ? 言ってみろ」
すらりと、刀身を鞘から抜き放ちながら信長は言った。
俺は、信長が刀身を抜いたのに気付いていないかのように言葉を続ける。
「手前の博打の目的は、一時の泡のような小銭を稼ぐためにありません。真の目的は別にあります」
「何? それだけの銭を小銭と呼ぶか。それに、真の目的だと?」
こちらに踏み込もうとする信長の足が止まる。
「はっ。手前は商人ですから、真の目的はより多くの銭を稼ぐこと。そのために、上総介様のお役に立ちたく思います」
「より多くの銭? ワシの役に立つ? どういう意味だ!?」
言葉尻を大きくし、信長が詰問してくる。
「まず第一に、熱田に対する織田家中の借財が三分の一になるのです。これは、十二分に上総介様のお役に立てたといえましょう」
「ああ。違いない。だが、貴様を手討ちにすれば、一文も払わなくて済むぞ」
「仰る通り。ですが、それをすればこの先、誰も織田家中に銭を貸さなくなるでしょう。それに……」
「それに?」
「手前は、此度の一件のみならず、これからも上総介様のお役に立って見せまする」
「ふむ……」
信長は刀を鞘に仕舞うと、どかりと座り込み胡坐を組む。
「続けよ。如何にワシの役に立つ?」
「無論、銭の力を以て」
信長は眉を顰める。
「上総介様は天下が欲しくはありませんか? 天下取りの為に、必要となるものは何でしょうや? 精強な兵? 有能な将? 確かにそれらも必要です。しかし、一番必要なのは銭の力です」
そもそも、如何にして、信長は戦国の覇者となれたのか?
今回の戦、信長は奇襲によって勝利を得た。
しかし本来は、今川に攻められれば、吹き飛ぶような小大名だ。
広大な領地を持つわけではなく、大軍を有するわけでもない。どころか、尾張兵の弱さは余りに有名である。
ここから如何にして、信長が戦国の覇者にのし上がったのか。
その原動力は、銭の力である。
信長の領内にあった熱田、津島の商業地。
ここから生み出される銭が、彼がのし上がる為の力となった。
考えてもみて欲しい。軍団とはただ消費するだけの、非生産的な大集団だ。
彼らを維持する上で必要なものとは何か? ――そう、莫大な銭である。
その根源的な力をバックボーンに、信長は小大名から、大大名への躍進を遂げた。
後に信長が、当時では極めて開明的な『楽市楽座』という政策を採ったのも、戦における銭の重要性を、彼がよく理解していたからに他ならない。
信長が畿内を制し、大大名となってからも同じこと。
新たに堺商人の協力を得た彼は、信長包囲網という、周囲敵だらけの状況でも息切れすることなく戦い続けてみせた。
それもこれも、やはり銭の力なのだ。銭、銭、銭。とかく戦には銭がいる。
それがなければ、大軍団を組織できないし、維持など以ての外。
だからこそ、十分な銭が無い他の大名は、苦し紛れに農閑期に徴兵するしかなかった。そして少しの間、小競り合いをしては、兵を農村に返すのだ。
その有様は、まるで鎖につながれた獣のよう。
常に制限下の中での戦を強いられる。制限を無視して無理をすれば、すぐに息切れするだろう。領内がガタガタになるに違いない。
しかし、信長は違う。
常備兵とまでは言わない。それでも、彼が率いた尾張兵は傭兵に近い性質があった。つまり彼だけが、戦国の世で制限少なく戦が出来たのだ。
全ては、銭の力によって。
この時点での信長は、まだ銭の力に気付いてないかもしれない。
しかし、後にその先見性を以て銭の力に気付ける男だ。
説明すれば、必ずや分かってもらえるだろう。
「上総介様、武具一式を揃えるに必要なものは何でしょうや? 軍馬を揃えるのに必要なものは? 兵糧を集めるのに必要なものは? 集めた兵に支払うものは? 城を普請するに必要なものは? 戦には何が必要でしょうや?」
「銭……か」
「はい。銭がなくなれば戦が出来なくなります。しかし逆を言えば、銭さえあれば常に戦が出来るのです」
「ッ! 浅田屋ぁぁああ!」
信長が勢い良く立ち上がる。
「貴様が、その銭を用立てようというのか!?」
「はっ! 手前が大商人となる。そう、手始めに熱田、津島を牛耳れる大商人になる。その為の後見を上総介様にして頂けるなら!」
「ははっ! 吹きよるわ! 熱田、津島を牛耳る? しかも、それを手始めといったか!」
「はっ。上総介様が天下人になられる頃には、手前は天下一の大商人になっていることでしょう」
「がははっ! このうつけ者が!」
信長は大笑する。
笑い終えると、踵を返して部屋の外へと歩を進める。
「浅田屋、貴様の言う通り、証文を買い取ってやろう。ただし、四分の一の値だ」
そう言い捨てると、部屋を出ていった。
俺は深々と平伏して、その後ろ姿を見送る。
賭けに勝った。これから、俺は信長と共に天下への階段を登っていく。そうとも、銭の力で天下取りをするのだ。
その門出を祝すように、袖に入れた銭袋が、じゃりと音を立てた。
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