信長は屋号ですら呼んでくれない
熱田の大通りを一人歩く。
俺が通り過ぎると、通りのそこかしこから視線が飛んでくる。中には景気良く声を掛けてくる者もいる。
「よう、ご機嫌いかがだい、熱田一の若旦那!」
「悪いわけねえだろう!」
「ちげえねえ!」
とまあ、こんな感じだ。
シンデレラガールじゃあるまいが、一日にしてのし上がった若手商人、浅田屋の二代目たる俺は、目下、熱田の耳目の的であった。
好奇、羨望、嫉妬、それから、警戒と恐れ。
向けられる感情は、必ずしも良いものばかりではない。むしろ、悪感情の方が多いと言える。
出る杭は打たれるというが、俺は飛び出過ぎたが故に、上から打つこと能わない。
だからと諦められるほど、商人という生き物は人が出来てない。
上から打てねば、足を引っ張ればいい。
それが、生き馬の目抜く世界に生きる、商人という人種の厭らしさだ。
まあ、俺も、そんな商人たちの一人ではあるのだが。
熱田に店を構える浅田屋二代目、大山源吉。それが、俺の肩書だ。
なんで庶民風情が、苗字を名乗っているんだと思うかもしれない。
けれど、実はこの時代、苗字を持つ庶民は多かった。
公式の場では名乗れないし、公文書の類にも憚られて書きやしないが、庶民が日常的に苗字を使うのは当たり前のことであった。
でなければ、ややこしくて仕方がない。
名前の源吉。これも、庶民にありふれた名付けだ。
庶民に人気の名前として、『源』『平』『藤』『中』といった、大貴族の氏を名前の一字に持ってくるのは、よくあることだ。
俺の名前もそうだし、後に天下人となる木下『藤』吉郎もまた、御多分に漏れず、この手の名付けである。
まあ、折角の苗字ではあるが、俺の場合は『浅田屋』と、屋号で呼ばれることがほとんどで、『大山』という苗字が使われることは稀であった。
行き交う人々の雑踏の音、呼び込みを行う商売人の声。昼日中の大通りなだけあって、熱気がすごい。
その上、今日は快晴で、お天道さまも燦々とした日差しで照らしてくる。
もう六月に入った。
現代の暦でいったら、六月末か、七月の頭になる。本格的に暑くなり出す時分だ。
ちっ、汗をかいてきやがった。
今着ている着物は、裏地を付けない単衣の着物。本格的な夏に差し掛かる一歩手前の服装だ。
しかし、こうも暑いとなると、早めに夏着物である薄物に、衣替えしておくべきだったか。
少し行儀が悪いが、着物の襟元を軽く引っ張ると、手を団扇にして着物の中に風を送り込む。
やらないよりマシといった具合で、余り涼やかさは感じられない。億劫な気分に浸ったまま、通りを行く。
そうこうしている内に、ようやく俺の店、浅田屋に着いた。
やれやれ、これで少しはゆっくりと涼める……うん?
「二代目!」
番頭の彦次郎が、店の入口から駆け寄ってくる。
……嫌な予想しかしない。
どうやら、家でまったり涼むことは許されないらしい。
「どうした? 何かあったのか?」
俺は機先を制して、彦次郎が口を開くより先に問い掛ける。
駆け寄ってきた彦次郎は一つ頷く。
「はい。二代目に御客人が」
「客?」
来客の予定はなかった筈だ。
しかし、この番頭が無断で店の中に上げる。更には、俺が帰るや駆け寄ってまで、客の来訪を告げるとあっては……。
これは、生半可な来客ではあるまい。
俺はそう当たりを付けると、核心に触れる問い掛けをする。
「客ってのは誰だい?」
「清洲城の、織田様の使いの方です」
なるほど、こいつは生半可な来客じゃない。
****
というわけで、俺は清洲城に再びの登城。
前に信長に会った時と同じ部屋に通された。
この、クソ暑いのに、羽織袴姿である。
まさか、国主に会うのに、平服というわけにはいかない。分かるとも。
だからといって、これはあんまりだ。まるで拷問じゃねえか。
ドタドタドタと、前にも聞いた荒々しい足音が近づいてくる。
俺は畳に額を擦りつけ、平伏してみせる。
バーンと、ふすまが勢い良く開く。
またもやドタドタ、ダン! ときた。足音も座る音も荒々しい。……この人は、いつもこの登場の仕方なのだろうか? 内心、呆れてしまう。
「おう、来たな、うらなり! 面を上げよ!」
……うらなり? 一瞬反応が遅れる。
暫くして、それが俺のことを指した言葉だと理解する。
そうだ。伝聞によれば信長は、人にあだ名を付けるのが好きだったのだ。
しかし、うらなりは酷くないか?
確かに、武将に比べればガタイも良くないし、元気に見えないだろうが。
「……はっ」
うらなり呼ばわりに、どうも釈然としないまま、頭を上げる。
「今日貴様を呼び出したは、他でもない。早速、ワシの役に立ってもらおうと思ってな。おい! あれを持ってまいれ!」
「はっ!」
信長の命を受けて、小姓だろうか? まだ幼さを残した少年が、両腕で抱える様にそれを持ってくる。
「どうじゃ、うらなり? 当然、これが何かは知っておろうな?」
「……種子島、鉄砲ですか」
信長が、にかっと笑う。
まるで自分の宝物を披露する童のようである。
「そうじゃ! ワシはこれに目を付けていての。既に百丁ほど揃えておる」
自慢げに膝を叩く様は、本当に童そのものである。
しかし、無理もない。
畿内ならいざしらず、この辺りで百丁も揃えている者は、他にいまい。
さて、重要なのは、信長がただの新しいもの好きで、火縄銃を持て囃しているのか。あるいは、真にこれの価値に気付いているのかだが。
「して、うらなり? 貴様はこの鉄砲をどう見る?」
信長の表情は変わらぬ。が、俄かに雰囲気が変わった。最早、童の様な稚気は感じられない。
これは、試されているな。
商人として培ってきた経験が、警鐘を鳴らす。下手な回答は出来ないと。
「……もっと数を揃える。それが為れば、戦場の在り様を一変させましょう。それだけの可能性を秘めた武器であるかと」
ぎらりと、信長の目が光る。顔付きも戦国大名のそれに変わる。
「貴様もそう思うか……」
「はっ」
これまでの信長の大声に反して、囁くような声音。
俺もつられて、小さな声で返す。
「うらなり、貴様なら、これを何丁用立てられる?」
信長の言葉に、暫し虚空を見詰め思案する。
信長が望むであろう数、それは戦術を一新するに足る数に違いない。
信長の鉄砲戦術として有名なのは、長篠の戦……か。
一説によれば、あの戦で、信長は三千丁の火縄銃を用意したというが。
まあ、いきなり、三千丁は無理にして。
例えば、千丁を用立てられるか? ……答えは否である。
まず単純に、千丁購入するだけの資金を、今の俺も、織田家も、ポンと支払うことなどできはしない。
仮に、購入できるだけの銭を掻き集めたとしても、問題はまだある。
火縄銃の主要生産地といえば、近江の国友、紀州の根来、和泉の堺と、見事に畿内に偏っている。
いざ大量に購入しようとすれば、畿内に赴き、買い付けることになろう。
おそらく、百丁、二百丁なら、銭さえ足りれば売ってくれると思う。
しかし千丁ともなると、喩え購入能う銭があっても、売ってはくれまい。
商品が悪い。
これが茶器だの、名画だのなら、金儲けの為に簡単に売ってくれるだろう。
しかし、火縄銃は兵器だ。それも最新式の兵器。
それを大量に売るのは、彼らの警戒心が邪魔をするだろう。
何せ、正当な対価が支払われているとはいえ、その行為は敵に塩を送る以上の利敵行為とすら言える。
畿内商人からそれだけの火縄銃を購入するには、彼らに強い影響力を持つ、彼らに政治的に働き掛けられる、そんな立場にならねばならぬ。
その一番手っ取り早い近道は、畿内を領することだ。
畿内を領する大名になれば、正当な銭を支払えば、売ってくれるだろう。
だが、今の織田家は畿内を領するどころか、尾張の片田舎の大名に過ぎない。
まだ美濃も――後の岐阜すらも領していないのだ。
とてもではないが、大量の買い付けなど不可能だろう。
そう結論付けると、俺はようやく口を開く。
「残念ながら、上総介様が望まれるような数は用立てられぬでしょう。まず、資金が足りませぬ。何より、畿内商人との繋がり、影響力がありません。手前自ら出向いても、精々百丁、二百丁の購入が関の山かと」
「やはりそうか。残念じゃ……」
「申し訳ありませぬ。上総介様の望みを叶えるには、暫し時が必要でしょう」
俺はそう言って、軽く頭を下げる。
「であるか。致し方あるまい。……それでも百丁でも喉から手が出るほど欲しい。うらなり、畿内に買い付けに行ってくれぬか?」
「相分かりました……が」
「が?」
「手前自ら畿内まで出向くのです。子供の使いでもありません。唯、鉄砲を買い付ける。それだけで終わらせる積りは毛頭ありませぬ」
信長は一瞬訝しげな表情を作り、次いで面白げに笑む。
「何を企んでおる、うらなり?」
俺は気持ち、信長に体を近づける。
「手前に提案が御座います」
俺は自らの腹案を、信長に対し語って見せたのだった。
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