北野大茶湯

 ――永禄七年十一月


 義昭を奉戴し上京した信長は、義昭から管領斯波家の家督継承、あるいは、副将軍の地位を勧められていたが、これを辞退し続けていた。


 信長はそれまで上総介、後に僅かな間、三介(上総、上野、常陸の三介)の官位を自称すると共に、代々織田家当主が自称した弾正忠も並行して用いていた。

 そこで義昭は、副将軍の地位を遠慮した信長の為に朝廷に働きかけ、信長を弾正忠へと推挙。これにより、十一月二十四日、信長は正式に弾正忠に任官し、従五位下に叙される。


 翌十二月、信長は弾正忠推挙の御礼も兼ねて、製作を命じていた舞蘭度茶器の第一号となる茶碗を義昭に献上した。


 更に、年が明けて永禄八年一月、丁度梅の花が咲き誇る時分に、京での大規模な茶会を主催しようと試みるが、開催のお触れを出す直前に、前年より丹羽長秀、滝川一益、池田恒興、木下秀吉らの諸将に攻め立てられていた北畠が和睦を申し出てきた。


 そこで、一旦茶会の触れを出すのは延期とされ、和睦交渉を終えた二月、桜の時期を逃すまいと、改めて茶会開催のお触れが出された。――二月二十八日、北野の森において大規模な茶会を催す、と。



 ――永禄八年二月二十八日 京都北野天満宮境内


 今回信長は、京や堺などを中心に、公家や武家の貴人を始め、豪商や著名な茶人をこの茶会へと招待した。

 更には、釜や呑物を持参すれば、町人や百姓も自由に参加してよいと言ったので、近隣の民も押し掛けて、境内には年始のお参りかというほどに人が詰めかけていた。

 人数はどうやら、1000人に達しようかという程集まっているようだ。


 此度の茶会の基本は野点(野外での茶会)ということで、境内のそこかしこに二畳の畳が置かれ、めいめいが自由に茶を楽しんでいる。

 しきたりに厳格な屋内の茶会と違い、気楽な野点であるから、皆ゆったりとした様子で茶を飲み、話に花を咲かせ、大層賑やかな様子である。


 俺はそんな楽し気な人々の間を縫うように境内を歩く。

 すると、ふっと風が吹き抜けて、桜の花弁が舞った。人々は目を細めてそれを見やる。

 何とも風流なことだ。当初の予定からずれ込み、この季節になったのは却って良かったのかもしれない。

 まだ朝夕は冷え込むとはいえ、昼間ならぽかぽかと暖かい陽気だ。


 この陽気なら、屋外での野点でも大丈夫だろうと開催場所を変更し、また同時に民の参加も許した信長の臨機応変な指示は、なるほど的確なものだったのだろう。


 境内を歩き、拝殿の様子が遠目で窺える位置で足を止める。すると、拝殿の警護をしている兵らの中に、見知った信長の小姓の顔を見つける。ばちっと視線が合った。

 流石は信長の小姓と言うべきか、気が利く少年で、俺に手招きをしてくる。

 お陰で、耳を澄ませば、拝殿の中で交わされる声を聞けるくらい傍まで近づくことができた。


「ありがとうございます」


 俺は抑えた声で礼を口にした。


「此度の功労者の一人である大山殿の為ですから」


 そう言って、小姓は如才なく笑う。

 そんな遣り取りを交わした後に、俺は拝殿の中を窺った。


 北野天満宮の十二畳の拝殿は今、二つの仕切りで三つの茶室に区切られ、そこでは公家や武家の貴人たちがもてなされていた。

 それぞれの茶室の茶頭を務めるのは、堺の豪商にして高名な茶人としても知られる、今井宗久、津田宗及、千宗易たちである。


 俺はそれらの茶室の中でも、千宗易が茶頭を務める茶室を注視した。

 そこには錚々たる顔ぶれが並んでいる。

 まずは、この茶会の主催者である織田弾正忠信長。室町幕府からは、十五代将軍足利義昭に、幕臣の細川藤孝。そして公家からは、昨年政敵であった関白近衛前久を義昭と共に追い落とし、再度関白の地位に就いたばかりの二条晴良。


 征夷大将軍に関白だなんて、武家と公家の頂点だ。皇族を除けば、最も高貴な面子と言える。何ともまあ、途方もないことである。


 そんな中でも、千宗易は落ち着き払った様子で茶を点てているのだから、大したものだ。肝が据わっている。


 ふと、義昭が持参した茶碗に目を留めた藤孝が、わざとらしく尋ねる。――無論、仕込みなのだが。


「上様、そちらの茶碗は初めてお目に掛かる品かと存じますが……」

「おお。これか」


 義昭が持参した茶碗を軽く持ち上げる。遠目からは、単に黒い茶碗としか見受けられないが、俺はそれがどのような茶碗なのか良く知っている。

 手捏ねによる僅かな歪みと厚みがある形状が特徴的な、陶磁器の茶碗だ。鉄釉をかけて焼いたことから、黒色の茶碗となっている。


「弾正忠殿からもらった品でな。昨年から京で産するようになった新しき茶碗よ。見るがよい、この重厚な黒焼きを。唐物の天目茶碗にも劣らぬ、いずれ天下の名物になるであろう、素晴らしき茶碗じゃ」


 自慢の宝物を誇示するように、義昭が褒めそやかす。それを聞いた藤孝がまたも口を開く。


「ほほう! 上様がそこまで仰られるとは! 某も拝見させて頂いても?」

「よかろう」


 義昭が藤孝に茶碗を手渡す。藤孝は、どれどれと茶碗を見分すると、感嘆のため息を吐いた。


「はあ。なるほど、素晴らしき茶碗ですな。昨年から産するようになったと仰られましたが、この焼き物、名は何と言うのです?」

「まだ決まってないそうじゃぞ。そうであったな、弾正忠殿?」

「はっ。その通りです」


 信長は言葉短く返答する。

 そこで、これまで黙っていた二条晴良が口を開く。


「ふむ。どうでしょう? それならば、公方殿がお名付けになられては?」

「おお! それはよろしいですな、関白殿下!」


 藤孝が大いに頷き賛意を示す。

 義昭はというと、少しだけ困惑した面持ちになった。


「余が? ふーむ。……どうかな? 余が名付けても構わんか、弾正忠殿?」


 義昭は信長に目配せする。


「公方様が名付けて下さるなら、この上ない名誉です。是非とも」


 信長はそう言って、頭を垂れた。


「左様か。……確か、清水寺に通じる五条坂が窯元であったな。ならば、清水焼と」


 義昭は捧げ持つように茶碗を持ち上げながら、そのように厳かに言った。



 一連の遣り取りを見ていた俺は、苦笑を浮かべないようにするのに苦労した。酷い茶番である。

 が、この茶番こそが、劇的な効果を発揮する。

 この茶会での話を喧伝すれば、舞蘭度『清水焼』の名声は大いに高まることだろう。


 俺はぐっと拳を握り締めたのだった。




 永禄八年二月二十八日のことである。

 信長公主催の大茶湯が北野天満宮にて催された。

 公家、武家の貴人から、百姓に至るまで貴賤問わず千人を超える者が参加した。

 天候にも恵まれ、盛況となり、信長公ご機嫌斜めならず。

 公方様より舞蘭度茶器にお褒めの御言葉を頂戴するばかりか、新たな舞蘭度に名を賜ったことは、これ以上にない御名誉なことであった。


 ――『信長公記』

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