吹田城の戦い 三

 汗をしたらせ、中には鮮血をも流しながら動き回る男たち。

 皆が皆、声を張り上げながら懸命に戦う。


「食い止めい! 登らせるな!」

「そこじゃ! 突き落とせ!」

「矢じゃ! 矢をくれい!」

「もう尽きたわ!」

「なら石じゃ! ……石もない!? なら、投げられるもんなら何でもええ!」

「そこよ! 塀を越えた敵がおるぞ! 討ち取れい! 討ち取れい! 足掛かりを築かせるな!」


 兵らの怒声が尽きない。一兵残らず休みなく動き続けているのは、吹田城の守兵たちであった。


「全く! 門徒どもは飽きもせんと!」

「次から次に、千客万来じゃな!」

「なら、客人を石礫でもてなすとしようか!」

「何じゃ! まだ石あったんか!?」


 気丈にも軽口叩き合うが、彼らの顔に疲労の色がこびりついていた。

 無理もあるまい。本願寺勢が吹田城に攻め寄せてから、もう五日目の昼であった。


 傷つき倒れ、後方に下げられた兵も少なくない。

 踏み止まって前線に張り付いている兵らにも、無傷な者はほとんどいなかった。

 それでも挫けず高い士気を誇るのは、やはり窮地にも関わらず、全く下がることなく共に戦う指揮官の姿があったからだ。


「明智様! 塀を越えて来る兵も少なくありません! ここは危険です! もうお下がりください!」


 近習の一人が、悲鳴のような声で光秀に注進する。


「馬鹿を申すな! 謙遜という美徳を欠いた言い草をすれば、まだ持ち堪えておるのは、ひとえに私がここで踏み止まっておるからよ! 下がれば一気に崩れよう! なれば、前も後ろもあるものか! 早いか遅いかの違いじゃ! であるなら、今日まで共に戦い抜いた兵らと枕を並べて死にたいというものよ!」


 光秀の叫びに兵らは感激する。中には涙ぐむ者もいた。

 すると、兵の一人が場にそぐわない明るい声を出す。


「本当によろしいので、明智様!? 明智様がおらずとも、辞世の句をゆっくり考えられるだけの時間なら、持ち堪えてみせますがね!」


 その軽口に、光秀は笑う。


「辞世の句か! 魅力的な提案じゃのう! じゃが、それを人に伝えてくれる者がいそうもない! それに……!」


 光秀は城の外を指差す。


「あの坊主を見ておる方がよっぽど愉快じゃ!」


 光秀が指し示したのは、いかにも偉そうにしている年嵩の僧兵であった。

 初日から三日目までは見えなかったが、四日目からは本陣より前線に出張り、顔を真っ赤にして怒鳴り散らしては、門徒兵たちを嗾けている。


「城が中々落ちないのを見て、業を煮やしたのであろう! 全く! 坊主のくせに、我慢強くないことよ!」

「正に、正に!」


 兵らは手を叩いて面白がる。


「誰ぞ、まだ矢を残しておらんか? あの坊主を射てみたい」

「矢など残っとらんわ! それに、あそこまで届くはずもなかろう!」

「左様! 左様! それに万一届いてしまえば拙い事じゃ! 唯一の娯楽がなくなってしまう!」

「それはいかん! 諦めるとしよう!」


 再び、笑い声が弾ける。

 そんな馬鹿にしたような声が聞こえたわけでもあるまいが、その僧兵は何事か怒鳴ると、肩を怒らせながら本陣に戻っていく。


「何じゃ? 引っ込みよるぞ!」


 その疑問の答えは、ほどなくして明らかになった。


「あ! あれを、明智様! 敵の本陣が!」

「動き出しよったな……」


 緒戦から全く動きを見せなかった、本願寺勢の本陣が前へ、前へと進み、吹田城へと迫り来ていた。


「業を煮やし、遂には堪忍袋の緒が切れたか……。坊主共、総攻撃に出る積りのようじゃな」


 軽口を叩き合っていた兵らにも緊張が走る。遂に来るべき時が来たのを悟った。

 光秀は、そんな彼らを見回す。


「諸君! よくぞこれまで戦ってくれた! 礼を言う! 私はこれより最後の一戦仕る! 諸君らは、私に付き合うも、敵に下るも、逃げ出すも好きにして良い!」

「水臭いこと仰るな! 最後までお付き合い致します!」

「応とも!」

「そうじゃ!」


 兵らは口々に光秀と運命を共にすると言う。


「有難いことよ……。なれば、各々刀槍の獲物を握れ! 開門し、坊主共に最後の突撃をかけん!」

「ハッ!」


 それぞれ手に持つ石やら、木片やらを投げ捨て、刀槍を手に持つと、持ち場を離れ門の前へと続々と集まっては列をなす。


「開門! 開門!」


 光秀の命に、城門が開かれた。


「者ども、気勢を上げよ! 鋭! 鋭……!」

「「応!」」

「鋭! 鋭……!」

「「応!」」

「我に続け! 突撃!!」


 気勢を上げながら、ダッと城兵たちは門の外へと駆け出す!

 最初は何事かと面食らっていた門徒兵らも、その意図を察すると、踏み潰してくれんと総兵力を上げて突撃して来る。


 刻一刻と近づく彼我の距離! あと僅かで激突する! 丁度その時、明後日の方向から鬨の声が上がる。

 光秀らも、門徒兵らも、何じゃ何じゃとそちらに視線を向ける。声が上がったのは、門徒兵らの斜め後方。そこには、蒼穹の下たなびく黄色地に永楽銭の旗印! その下には、千人以上もの集団がいる。


「あれを! 明智様、あれを! お味方です! お味方の後詰が駆け付けてくれました!」


 狂乱したように近習の一人が叫び声を上げる。

 光秀は黙って頷くも、内心苦笑いした。


 ――丁度駆け付けたその時が、偶然にも時を見計らったかのような時節になるものか!


 そう思うが、兵らの喜びに水を差したりはしない。


 ――もしかしなくても、門徒兵らが総攻撃をかけるのをじっと待っておったのだろう。我らが激しく攻め立てられるのを、悠々と見詰めながら。いやはや、強かなものだ。


 光秀はそう看破するが恨みはない。何故なら、それで正解だからだ。総攻撃の前に行動に出ても、千余名の兵力では弾き返されたであろうから。

 しかし今なら違う。業を煮やし、総攻撃に出た門徒兵らの後方に現れた味方は、無防備な背中を攻撃し放題だ。それに――。


「挟撃じゃ! 味方の後詰に坊主共は浮足立っておる! 突撃せよ! 味方と挟撃し、坊主共を蹴散らせ!」


 光秀の命に、天を衝くような声が応えた。


 おろおろと浮足立つ門徒兵に、飛ぶ矢のように真っ直ぐに突き刺さる光秀旗下の将兵たち。少し遅れて、門徒兵らの後方にいる部隊もまた、突撃をかけた。


 地を蹴る足音に、剣戟の音、怒声に蛮声、断末魔の叫び。

 そう時をおかずして、敵味方入り乱れての乱戦となる。織田方の奮戦ぶりを凄まじいものがあった。

 その一方で、思いがけず苦戦を強いられることになった門徒兵たちの動きは鈍い。


 乱戦の最中も、前へ、前へ、只管前へ、敵を斬り伏せながら進むうちに、一層乱戦はぐちゃぐちゃと混迷を極め、光秀は自分たちが今どこにいるのかも分からなくなる。

 それでもただ我武者羅に槍刀を振るう。


 門徒兵側も、右往左往するばかりでもない。何とか立て直そうと、指揮を執る僧兵らが声を張り上げる。すると――。


「そいつじゃ! 違う、そっちの僧兵じゃ! そやつの首に十貫じゃ!」

「本当か!? 鼠の旦那!」

「十貫は俺のもんじゃ!」

「いいや! ワシのもんじゃ!」

「ええぞ! 戦え! 大義がどうのと小難しいことは言わん! 銭じゃ! 褒美じゃ! 出世じゃ! 武功を上げりゃ、いい思いをさせたる!」


 そんな声が、風に乗って光秀らの下に届いた。

 思わず光秀は笑ってしまう。が、光秀の近習の一人は気に喰わなかったのか、ぼそりと呟く。


「何と卑しいことよ」

「そう言うな」


 笑いながら光秀は窘める。


「将の務めは、兵らを奮い立たせ、よく戦わせることじゃ。方法はともかくとして、お味方の将もまた、それを実践しておられる」


 窘められても、まだぶすっとしている近習は言い返す。


「されど、あのような将よりも、明智様の方がよく兵を戦わせることが出来まする。某らが、それを証明してみせましょう!」


 その言葉に頷いた光秀旗下の兵らは、あちらの兵に負けてなるものかと、一層激しい戦いぶりを見せる。

 それに満足しながらも、光秀は後詰に現れた部隊の将は誰であろうか? と目を凝らす。すると、敵兵の向こうに上がる瓢箪の馬印を見て取った。


「ははあ、木下殿か……面白い御仁じゃ」



 ほどなくして、挟撃の猛攻に遭う本願寺勢は、これは堪らぬと一旦兵を引き上げることとなる。

 我先にと逃げ出す門徒兵を見て、織田方の兵は勝ち鬨を上げた。



「明智殿! 明智殿!」


 そう叫びながら、僅かな供回りと共に駆け寄ってきたのは木下藤吉郎秀吉であった。

 全身を砂埃に汚し、顔にもまた土汚れがある。


「良かった! ご無事であったか! 取るもの取らず駆け付けたが、寸での所で間におうて良かった! 本当に良かった!」


 光秀の手を握り、今にも泣き出しそうな風情で藤吉郎は言い募る。

 光秀は益々おかしくなった。――はて? その汚れはいつどこで、ご自分で付けられたのだろう? そう思うたが、流石に口にはしない。


「此度の後詰、感謝致しますぞ、木下殿」

「いいや、当然のことじゃ!」


 互いに目を合わせる。言葉とは裏腹に、その瞳には相手の器を見極めようという意図が見え隠れしている。


「……木下殿、本願寺勢は一旦引いたとはいえ、まだまだ健在。ぼやぼやしていては、態勢を立て直して、再び攻勢をかけて来るに違いありません。今の内に退きましょう」

「うむ。そうじゃな。その通りじゃ」


 藤吉郎は頷くと、自らの部隊の下へと戻っていく。


「撤退じゃ! 撤退!」


 こうして辛くも、明智、木下両部隊は、本願寺勢から逃れて退却を果たす。


 兵らを心服させ戦わせる光秀、兵らの欲を煽り戦わせる藤吉郎、全く異なる二人の将ではあるが、両者共によく兵を戦わせることに違いはない。

 この吹田城の戦いで、二人はそれぞれの実力を認め合ったのだった。

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