戦国一の出世頭
信長、市姫の御前を辞すると、俺は頭を抱えながら歩く。
嫁、嫁、嫁かあ。あ~~、そう来たか……。
政略結婚、この時代だ、その可能性を考えなかったわけじゃない。
別に大名クラスじゃなく、例えば商人でも、大店の若旦那が、これからビジネスパートナーとなる店の娘を娶ったり、そんなことは有り触れたことだ。
でもなあ……。そうは言っても、例え政略結婚であれ、その決定に自分が全くの蚊帳の外に置かれるだなんて、考えてもいなかった。
そうだ。せめて、決定に俺の意思が介在していたなら、ここまで悩むまい。
例えばだ。そう、○○屋の娘と、××屋の娘、嫁候補が二人いたとする。
両方の店とも、政略結婚の相手として甲乙付け難い。
どちらかを選べ、そう言われたなら、器量が良い、あるいは、気立てが良いと評判の方の娘を選ぶ、それくらいの自由はあってしかるべきだ。
冷静に考えれば、候補が二人しかいない時点で、全然自由ではない。
しかしそれでも、示された選択肢の中から自分で選んだのだと、そんな思いを抱くことはできる。
だがいきなり、こいつがお前の結婚相手だからと押し付けられれば、納得のしようもない。
ああ、だがしかし、最早俺が納得できるかどうかなんて、些事に過ぎない。
何せ、尾張国主直々に取り纏めた縁談だ。
そんなものを断れる人間なぞ、この尾張にいようはずもなく。
言わば、伝家の宝刀。いや、ちと違うな。
……ああ、そうだ。黄門さまの印籠だ。あるいは、錦の御旗だ。
端から、逆らうという選択肢は存在すらしていない。
なんて、済んだことをうじうじ引き摺りながら城内を歩く。
すると、少し前に聞いた小煩い声が響く。
「待て! 浅田屋、待つんじゃ!」
俺は、うんざりとしながら声のする方に顔を向けた。小柄な体躯、貧相な顔立ち、いかにも小者臭のする男。
……やはり、猿木藤か。
見て分からないのか? 俺は今気鬱なんだ。話し掛けてくるなよ。
そんな本音を押し殺して、渋々口を開く。
「何用でしょうか、木下様?」
「にゃ? 何でおみゃあ、オレの名を知っているだがや?」
「上総介様よりお伺いしました」
「殿から……。それなら自己紹介の必要ないにゃあ。話が早うていいわ」
藤吉郎がこくこくと頷く。
「それで? 手前に何か御用がお有で?」
俺の再度の問い掛けに、藤吉郎はキョロキョロと周囲を窺いながら答える。
「当然じゃ。用もなく話かけんわ。……浅田屋に折り入って相談があるんじゃ」
その言葉にげんなりする。
周囲に憚りながら商人に頼むことといえば、相場は決まってくる。
俺のそんな心情を察したのだろう、藤吉郎は慌てたように言葉を付け足す。
「手短に済ませるにゃあ。だで頼むわ! 少しだけオレの話を聞いて欲しいんだぎゃ」
「……何でしょう?」
俺は溜息を堪えて、藤吉郎に続きを促す。
これが、将来の天下人でなければ、急用があるだとか、適当な断り文句を口にして、とっとと退散しているところだ。
藤吉郎は、一瞬言いにくそうに口を噤んだが、やがて意を決したように話し出す。
「浅田屋、おみゃあに、おみゃあさんに、オレが出世する手助けをして欲しいんだて!」
「はっ? それはどういう……?」
出世の手助け? 俺はてっきり借金の申し出か何かかと思ったのだが。
「オレは、一応部下を数人従える立場だがや。いうても、その部下ちゅうのは、氏素性も分からんような、最底辺の兵じゃ。織田家に対する忠誠心もなきゃ、出世も諦めとる、その日の食い扶持さえありゃあええ。そんな、やる気の欠片もないような……」
藤吉郎の口から零れ出るのは、内に秘めた憤怒全てを吐き出す様な声音であった。
「あんな連中率いても、手柄なんか取れるわけないわ! オレは連中とは違う。……生まれは変わらんけど。でも、あんな風に腐ってはないんじゃ!」
貧相な顔が真っ赤に染まる。全身をわななかせる。
「だけど、あんな連中でも、即物的なモノには引かれる。……銭じゃ。銭を使えば、馬を人参で釣る様に、連中を動かせるんだて」
ようやく、話の行く末が見えてきた。
「つまり、その銭を手前に出して欲しいと?」
藤吉郎が無言で頷く。
「なるほど。木下様の望みは分かりました。しかし、手前が木下様を支援する利益とは何でしょう? 商人は利益なく動きはしませんよ」
当たり前だろう。商人の仕事は、ボランティアじゃない。
さて、藤吉郎はどんなメリットを示してくる?
「……オレが出世すりゃあ、浅田屋は、織田家中に味方を増やせるわ」
「ふむ? それはどういう意味でしょう?」
織田家中に味方を増やす。どういう意図を持った発言だ?
「おみゃあが、殿に目を掛けられてるといっても、決して安泰じゃないわい。おみゃあが、目を掛けられれば、掛けられるほど、重用されれば、されるほど、上の連中は、おみゃあのことが、目障りになるんだて」
「ふむ……」
「上の連中は、おみゃあを、嫉妬する。危険視する。必ずそうなる。おみゃあの邪魔をするぞ、足を掬おうとするぞ。……分かるだがや? ……オレが出世して、織田家中でそれなりの立場に立ったら、浅田屋の味方したる!」
なるほどね。それなりに考えてはいる。だが、甘い。
「木下様の言うことは尤も。なれど、出世するかどうかも不確かな木下様を支援するよりも、その銭で重臣の方々の歓心を買う方が、手っ取り早くはないですか?」
俺のそんな返しに、藤吉郎は拳をぐっと握り締める。
「おみゃあ、それを本気で言っとりゃあせんよな?」
藤吉郎は怒りすら滲ませて、俺を睨み付ける。
「上の連中は、どこまでいってもオレたちと相入れんて。……銭渡しゃあ、表向きは、ええ顔するがや。でもな、腹の内では、おみゃあのことを見下しとる。商人風情がってな。だで、おみゃあのことを味方なんて思わんて! 都合が変わりゃあ、すぐに手の平返す。悪びれもせんと。……でも、オレはそんなことせん! オレを見てみやあ! 下々の出じゃ! 百姓の子じゃ! どんだけ出世しても、絶対におみゃあを見下したりせん!」
そう力強く宣言するや、体を俺の足元に投げ出す。
そして、信長や市姫を相手にしたように、額を地面に擦りつける。
「頼むわ! 絶対に後悔はさせん! 恩は返す! 何倍にもして、必ず返すで!」
俺は、藤吉郎の頭を見下ろす。心中で感嘆の溜息を吐いた。
これが、この在り方がそうなのか。
今、自分に何が必要なのかを嗅ぎ分ける嗅覚。貪欲なる出世欲。そのために何でもして見せる泥臭さ。
ああ、これが、戦国一の出世頭……その原点。
「……顔を上げて下さい、木下様」
「にゃ?」
額に土を付けた顔を、藤吉郎はゆっくりと持ち上げる。
「分かりました。よく、分かりましたから」
「それじゃあ……!」
「ええ。微力ではありますが、手前が支援させて頂きます」
そう言って、藤吉郎の手を取ると立ち上がらせる。
「本当かて!?」
「ええ、本当です」
「そうか! そうか! 嬉しいのう! 源さ、二人で、ふん反り返ってる上の連中をぎゃふんと言わせるんじゃ!」
「源さ?」
「おう。オレたちは今から朋輩じゃ! オレは源さと呼ぶで、源さも藤吉郎って呼びゃあて!」
そう言って、貧相な顔をくしゃくしゃにして笑う。
その表情は、お世辞にも見栄えが良くないが。しかし、不思議と人好きする笑顔であった。
「いいでしょう。これからは、藤吉様って呼ばせてもらいます。ご要望通り支援させて頂くので、くれぐれも、手前を失望させぬようお気を付けを」
「おう、分かっとる!」
また、予想外な縁を結んだものだが……。
まあ、構うまい。この男が有能なのは、歴史が証明しているのだから。
味方に付けて、損になることはあるまい。
俺はそのように、無理やり理屈付けたのであった。
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