二章

信長の無茶振り

 今日は抜けるような晴天となった。空には雲一つ見当たらなく、朝から暖かな日差しが降り注いでいる。

 であるのに、どうしたわけか俺は、岐阜城と名を改められた城の隅っこの、しかも手狭な一室に籠って四十過ぎのおっさんと差し向かいで膝を突き合わせていた。


「つまり本日のご用向きは、来たる足利将軍家ご使者のご訪問、その際の饗応の件だということですね、村井様?」


 俺は目の前で難しい顔をしている、村井貞勝に確認を取る。そう、今日の呼び出しは信長によるものではなく、珍しく貞勝からの呼び出しであった。


「そうじゃ。大山、お主も殿から聞いておるやもしれんが、此度の使者の要請を殿はお受けする積りじゃ。そして、冷たくあしらった前回と異なり、此度は抜かりない饗応をせよとの仰せじゃ」

「なるほど……」


 一度目の義昭からの使者はすげなくあしらった。そうすることで、信長という人間が、足利将軍家の権威を振りかざすだけで、唯々諾々と言うことを聞くような男ではないと知らしめた。

 これを受けた義昭は、すかさず信長に丁重な文を送ったようだ。仮にも格下にある信長に対してだ。そして使者の人選も考慮したことがよく分かる。前回とは雲泥の差だ。


 信長はこの二度目の要請を受ける積りでいる。更に言えば、只受けるばかりでなく、義昭が信長に誠意を以て当たれば、信長も誠意を返すことを示そうというのだ。

 その為に抜かりない饗応をせよと、貞勝に命じたのだろう。


「此度の饗応役を正式に拝命したのは林殿じゃ。私は、林殿の下で、実務面を差配することとなった」


 俺は頷く。織田家の宿老林佐渡(この時分はまだ佐渡守を名乗っていないが)が饗応役を務め、その下で貞勝が実務を取り仕切る。なるほど、正に万全の構えだ。


「諸々の礼典、しきたりに則り、万事抜かりない饗応を。これは、私が実務を差配する以上、一点の瑕疵なく取り仕切ってみせる」


 貞勝はそのように断言する。すごい自信だが、確かに貞勝なら口にした通りにやり遂せるのだろう。

 しかし、ならばどうして俺が呼び出された? ……嫌な予感しかしない。俺はじっと貞勝の顔を見た。まだ話は終わりではないだろうと、続きを促すように。


「じゃが……」


 貞勝が歯切れの悪い言葉を漏らす。その顔は苦々しいものだ。そら、来た。やはり厄介ごとに相違なかった。

 聞かずに帰りたいが、無論そういうわけにもいかない。仕方がないので、今度は言葉に出して続きを促す。


「何か問題でも?」

「うむ……。実は、殿がこのように仰ったのだ。――『通常の饗応とは別に、何ぞ、使者の度肝を抜くような催し物をせよ』と」

「…………」

「つまりじゃ。織田上総介侮り難し! 使者にそう思わせてみせよ、と」


 の、ぶ、な、が~! まーた部下に無茶振りかよ! そりゃあ、貞勝も難しい顔をするわけだ。そんなんだから、本能寺を(以下略)!


「大山」

「……はい」

「お主、この手のことを考えるのは得意であろう」

「い、いえ。村井様、それは手前を買い被りす…『得意であろう』」

「…………」


 貞勝がずいっと顔を近づけてくる。その目は笑っていない。否定は許さない、そんな圧力をひしひしと感じる。


「……村井様のお役に立てるかは分かりませぬが。手前も無い知恵を絞りましょう」

「うむ。そうか。頼りにしておるぞ、大山」


 貞勝はすっと前のめりにしていた姿勢を正す。

 駄目だ。完全に根負けした。俺は内心大きなため息を吐いたのだった。




 貞勝の前を辞した俺は、岐阜城の城下町を歩いている。主君が代わってまだ大した時が経っていないというのに、城下町に消沈した様子は見られない。

 むしろ、新たな変化に乗り遅れまいと、強い意気込みすら感じられる。何とも逞しいものだ。


 俺は活気に溢れた通りを抜けながら、引っ越してきたばかりの浅田屋岐阜支店への帰り道を歩いていた。

 全く、とんでもない宿題を与えられたものだ。唯でさえ、岐阜支店の開店準備でテンテコマイだというのに。その上新たな厄介事とは……。


 はあ、最早誰憚ることなく溜息を吐く。気が重い。ふと、脳裏に過るのは、信長と光秀の有名な逸話だ。

 噓か真かは分からない。ただ、現代に伝わる所によれば、家康の饗応役を任された光秀の仕事ぶりに不満を覚えた信長は、光秀を厳しく叱責し、あまつさえ、一度ならず二度三度と、光秀のことを足蹴にしたというのだ。

 あの当時、織田家中で指折りの重臣であった光秀をだ。


 ぞっとする、心胆が寒くなった。どうか、本当にあった逸話では無いという説が事実であって欲しいと願わずにはいられない。もしも本当であったなら……。

 あの光秀ですら足蹴にされたのだ。俺など、足蹴にされるだけで済めば、御の字というものだろう。最悪首が飛びかねない。物理的に。


 ったく! そんなことだから本能寺が(以下略)!


 はあ。辛いなあ。店に帰った所で、心休まることもないのだ。何せ、今は師走かという程、バタついているのだから。それに……於藤もいないしなあ。俺はまた溜息を吐いた。


 当初、岐阜支店の開店準備前から、於藤はこちらに越してくることになっていた。少しでも手伝えることがあればと、そんな殊勝なことを言ってくれたものだ。

 しかし、その予定は変わってしまっている。いや、それ自体は悪いことではない。むしろ、おめでたいことであった。

 それというのも、引っ越し直前に於藤の懐妊が発覚したのである。


 開店準備前の岐阜支店など、バタつくことは元より容易に想像できた。身重の身で、そのような場にいるのもよくない。

 だから、こちらが落ち着いてから越してくるようにと申し付けたのであった。


 今於藤は、彼女が心細くないようと、俺の勧めで津島に里帰りしている。しかしまさか、俺の方が心細い思いをすることになるとは。

 それもこれも、無茶振りばかりする信長が悪い。


 俺は内心信長に呪詛の言葉を延々吐きながら、帰途に就く。ほどなくして、岐阜支店の店構えが見えてきた。

 外から見ても、まるで蜂の巣をつついたように、慌ただしく人が出入りしている。回れ右をしたい気持ちに駆られたが、ばちりと家人の一人と目が合ってしまった。

 俺は諦めて、真っ直ぐ店の方へと歩み寄る。


「お帰りなさいませ、旦那様!」

「うん。何か、変わったことはなかったか?」

「はい! 先刻より、旦那様を訪ねてきた客人がお待ちになっております」

「客?」

「ええ。旦那様が不在だとお伝えした所、戻るまで待つと仰られて」

「……客人は誰だ?」

「織田家中の木下様です」


 ……何しに来た、猿木藤?


 またぞろ厄介事かと、俺は大いに顔を顰めたのだった。

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