束の間の
「本当に可愛らしいなあ。こんなに可愛い赤子は見たことがない」
「またそれですか。旦那様は、早くも親馬鹿になってしまわれたようで」
津島にある、舅の大橋家の一室である。
俺が何度目かになるか分からぬ言葉を口にすれば、於藤はくすくすと笑う。そうしてから、眠る幸の顔を見ながら頬を撫でる。
「ですが……そうですわね。目元は私よりも、私の母に似たようで。それはようございました」
於藤は心底嬉しそうに言う。
彼女は、自身の目の大きさがコンプレックスだから、娘の目がそうならずに済んで良かったと思っているのだろう。
「ふうん。目元は義母に似ている、か。それは結構なことだ。他は誰に似るのだろう?」
「さて? まだ何とも」
「於藤の母方の、織田の家系は容姿に恵まれた御仁が多いからね。誰に似ても、良いだろう。ああ、だけど……幸、お前の大叔父にだけは似ないでくれよぉ」
「またそのようなことを。口は災いの元ですわよ」
於藤は呆れたように笑う。
どうやら冗談の類と受け取られたようだが、冗談でも何でもない。
いくら愛しい我が娘とはいえ、あの信長に似るのはちょっと……。うん。遠慮したい。
「ところで旦那様……」
そう言って、於藤は居住まいを正す。
「例の
「ああ」
俺も気持ちを切り替える。
「どんな状況かな?」
「はい。職人らに命じ、試作を重ねてはいますが……。未だ、実用できる段階とは到底言い難く。まだまだ試行錯誤する必要がありましょう」
「ふむ。……こればかりは、仕方ないね。何せ、丁度良い塩梅を手探りで見つけねばならないのだから」
そう。仕方ない。開発とは、トライ&エラーの繰り返しなのだから。
と、理屈では分かるが、実は既に少なくない時間と銭を費やしている。仕方ない、と思いつつ、そろそろ結果が欲しいと思うのも、人情というものだろう。
そんな気持ちを察してか、於藤が弱ったような顔をする。
「硝子細工の件を、私が監督したままで本当によろしいのですか? 旦那様自ら陣頭指揮を取られた方がよろしいのでは?」
「いや。自分で言うのも何だが、今や俺の一挙手一投足に、国内外が注視している状況だ。次は何を仕出かすのだ、とね。俺が指揮を取れば、怪しまれよう。が、於藤が硝子職人に物を作らせているだけなら、珍しく美しい硝子細工を気に入った高貴な女人が、趣味で細々とした物を作らせているとしか思われんだろう」
ガラスなんてものは、この時代、然程重きを置かれていない。実用的な使われ方なんぞ、余りされていないのだ。
まあ、見目だけは良いから、一部の女人が硝子細工を持て囃すくらいのものだ。
だから、於藤が細々とした物を作らせているだけでは、それほど怪しまれまい。
万一怪しまれても、それこそ、世の女人向けに売り出す硝子細工を作っているのかと、浅田屋は、次は硝子細工を大々的に売り出す積りだろうか? と予想されるのが関の山だ。
まさかガラスを使って、世の在り方を一変させるモノを生み出そうとしているなど、誰が想像できる?
俺は思わず吊り上がった口角を隠すように、口元に手の平を当てる。
「……完成した暁には、天下がひっくり返るぞ」
半ば独り言を口にする。於藤が、はあと溜息を吐いた。
「責任重大ですね」
「気苦労をかけて済まないね。これからは、幸の顔を見る為にも、ちょくちょく様子を見に顔を出すようにするから、許しておくれ」
「そのような安請け合いをしてよろしいのですか? 旦那様もご多忙でしょうに」
「うん? 忙しいのは忙しいだろうが……」
俺は一つ首を捻る。
この前の茶会で、清水焼は一応の成功を見た。出だしは上々で、窯元も新たな名器を作らんと、日々励んでいる。
無論、まだまだ俺がしないといけないこともあるが、立ち上げ段階が終わった以上、これまでほどの苦労もないだろう。
一方、国内外の情勢といえば、これまた順調だ。
かつての構想通り、浅井を通じて朝倉まで抱き込んだ、織田、徳川、浅井、朝倉の四家による大同盟の枠組みも既に成った。
信長は、莫大な資金援助と引き換えに、後背を徳川、浅井、朝倉の三家に任せ、自らは西進の為、大規模な兵の準備を行っている。
まずは、四国への足掛かりとして、淡路国を獲る積りでいるようだ。早ければ、四月には出兵の見通しだと聞く。
ふむ。やはり、こちらにも問題らしい問題はない。順風そのもの。
「正に世の情勢は、我らに利するばかり。大丈夫だよ、於藤。この様子なら、いくらかの時間を作ることは、造作もないだろう」
俺はすっと立ち上がると、障子を開く。開かれた先の空を見れば、澄んだ青空が広がっている。お天道様からは、温かな日差しが降り注いでいる。
その気持ちよさに誘われて、俺は部屋の外に踏み出し、沓脱石に揃えられた草履に足を通す。
「ん? ……っとっと」
「旦那様、どうかなされましたか?」
背中越しに、於藤の問う声が掛けられた。
「いや、草履の鼻緒がね……」
見下ろした視線の先、草履の鼻緒がぷつんと切れていた。
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