人為淘汰

「勝手に喋るな!」

「っ!」


 その言葉で樽場は現実に引き戻される。後部座席で怒号を放つ部下のひとり。体格に恵まれて、まさに体力を使う職場にぴったりだった。口が裂けても言えないが、頭の出来は望月と比べものにならない。


「月は、満ちるときもあれば欠けるときもあります。それが世の中の常。ですが本当にそうでしょうか?」

「黙れ!」


 反対側の男が吠えて、望月の手をねじ伏せる。ディーラーがいつまでも手指を動かしながら語っているのに我慢の限界が来たらしい。右側から暑苦しく、ぐいぐい難詰なんきつしてくるので中央の位置がずれている。貫も文字通り肩身狭く、参っていると見えた。デカい星を引っ張り上げて意気揚々なのだ、許してやってほしい。これで彼の妻子も喜ぶというもの。


 対して望月はその無理強いをさして気にするでもなく、どこ吹く風で剛腕な男を嗜めた。


「最後まで話は聞くものですよ。それが、この場面においての、貴方方あなたがたの役割なのです。そうそう、世界にはほんの一握り、ツキを味方にできる者がいるんです。それも欠けたツキではない、丸々とした完璧なものです。だからルーレットは好きですね。丸の中を円い球が転がる様子は、完璧にも近い。……貴方だけは、分かっておられるはずですが」


 言って望月は再び中央のバックミラーを射抜く。運転手は先程まで視線を逸らしていたが、次はしっかと鏡越しにかち合った。それで、充分だった。


「黙れと言っている!」

「いい、好きにさせろ」

「樽場警部!? しかし……! ……分かり、ました」


 中年刑事には誰も口答えしない。警察にはいまだ古い縦社会がある。理不尽と思われることも思考を殺して従わなければいけない場合が多かった。いまとなっては、容疑者がどれだけ余裕たっぷりに話したとて結果は変わらない。ゆえに樽場は部下の制止をやめさせたように思える。


 だが。上司は望月に対して警戒心が薄い、というよりやたら肩を持つように感じられた。最後の戯言に付き合うほど、犯罪者に寛容だったか。貫の身体を、あのときと同じ違和感が包んだ。


 カジノで初夜を過ごした朝。上司からは酒と、煙と、金の匂いがしていた。あの時、貫はどうだったと訊いた。すると樽場は勝ったと伝えた。警察官としての立場から、貫が訊きたかったのはもちろん勝敗の話ではない。カジノに潜む悪は、どのようだったか訊いたつもりだった。


「樽場、さん?」


 改めて何かを訊こうと思った。あの質疑応答のズレは、眠いのだと考えて適当に流していた。引っかかりの糸は強く引っ張られて、もはや鬱屈を感じるところまで来ている。


 捕まったのは、果たしてどちらなのだ。


「悪かったな、巻き込んで」

「えっ?」


 だが確信を突こうとする貫の問いを先回りして、警部は言葉を発する。意図が不鮮明の謝罪を聞いた後、車は急発進させられた。警視庁とは違う方向にUターンする。いまさら遠回りなどしている暇はないだろうに。


「楽しいですね、ドライブは。そういえば樽場様、先程の賭け、ワタクシの勝ちでしょうか?」

「賭け? いったいどういう……?」

「警部!? どうしたのです!?」


 後部座席では思い思いに自分の意見を叫んでいる。樽場はただ黙り続けて、街から外れて山のほうへ向かっていた。


 すでに多くの餌を撒き散らされていた。それに気を取られれば、いつの間にか沼に嵌まっている鳥の如く。羽根があっても飛べやしない。ぬるく甘い、どろりとした液体まみれの、獲物。


「警部っ! 車を停めてください! 懲戒免職にでもなりたいのですか!?」


 片側はなおも上司へ訴えている。

 違う。いまや樽場は部下になったのだ。話し相手はそちらではなかった。


「望月、樽場さんに、何かしたのか?」

「ワタクシは何も。勝負事には、自分からは細工いたしません。何かしたのは樽場様のほうですよ。道具にも、貴方方にも、ね」


 ――いったい何をしたというのだ。

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