三月(シマヌ)

Queen of casino, no, I mean King of casino

「潜入捜査……、樽場たるばさんが」

「ああ、ようやく尻尾を掴んだんだ。違法カジノの突入は慎重じゃなきゃいけねぇ」


 数年前から追っていた違法カジノの場所が、やっとのことで割れたとの情報が入った。その潜入に、捜査第一課係長・樽場警部が抜擢されたのだ。


 本来ならば生活安全部保安課、保安第一係の仕事である。だが裏カジノ運営の他に客の蒸発事件が重なっていることが発覚した。それだけではまだ捜査第一課の出る幕ではないが、どうにもきな臭さを感じた上からのお達しだった。

 首謀者はどうにもやり手で、警察に摘発される前――むしろ発見される前の段階で手を変え品を変え、そこかしこの雑居ビルの一角でギャンブルを楽しんでいるらしい。こちらが気付いた時にはもう遅し、踏み込んだ時点で常にもぬけの殻だ。このような遁走が続いている中で、今回の賭場(とば)を相手にまだ悟られずに抑えられたのは大きい。


「俺じゃダメなんですか?」


 血気盛んな新米警部補は、捜査に組み込まれなかったことに若干の焦りを感じて訊いた。真剣な申し出は樽場の団子鼻で笑い飛ばされる。


「フン! 熱いのもいいが、それは最後まで取っておくものだぜ、成神。お前はまだ若い。そんなヤツがカジノにのめり込むには、多少なりとも違和感があるってもんだ」


 言われて貫は身なりを照査する。若干の地肌が覗いている白髪交じりのスポーツ刈り。中年にふさわしい顔の皺。体型はお世辞にも健康的とは言えない太鼓腹。背も貫より十センチほど低い。その彼が着込むスーツもコートも所々れてよれているのを見て取れば、先の言葉にも納得せざるを得ない。


 どこそこのギャンブル場にいても紛れ込んでしまいそうな出で立ちだ。


「安心しな、お前にはきちんと役目があるからよ」

「そう、ですか」


 不服ではあるが、意見はどうにか飲み下したようだ。上司がそうと決めたのなら貫に口出しする権利はない。部下は黙って命令に従うのみ。ただし、誰ひとり欠けても成り立たない。どれほどの端役でも人海戦術のひとりにはなり得る。そういうふうに、組織はあるのだ。


「がっはっは! そう気を落とすな! 始末書地獄を乗り越えた成神には、特別に援護部隊の第一線を任せるからよ!」

「あ、ありがとうございます……」


 始末書地獄の部分には笑えていない自分もあったけれど、おべっかとしても第一線は嬉しいほうだ。次第にこちらの実力を認めてもらっている感じがして、貫はほくそ笑んだ。急な警視庁配属にも関わらず、樽場は同僚として同じ立場で接してくれている。捜査第一課に来た理由を知っているのか、それとも好奇心なのかは定かではないが、少なくとも興味は持たれているらしかった。


「それでは手筈通りに」


 この言葉を皮切りに、着々と事は進んでいた。日本にはカジノが存在してはいけないとされている。理由は、運営が必ず儲かるから。動かしているのはほとんどがヤクザかそれ紛いである。裏の社会が金を持ちすぎるとロクなことがない。


 あの聖女だって、どこまで関係を持っていたのか明確ではないけれど実際痛い目に会った。自業自得だと一瞬で言えれば楽なのだろう。が、一言で済ませられないほどの実体験が貫にはある。ただし悲しいかな。隠匿すべき寒々しい経験にしかならない。





 酒と煙と金の匂い。ここに巣くうのは、人ではなく化け物だ。その中でただひとり、人間の姿を保てる者がいる。


「赤の二十三番です」


 ディーラーだ。今宵はシンプルなルーレット。カラカラと回る小さな玉が落ちた先は、確かに男が宣言した通り、赤の二十三番に入っている。


「おや、お客様。ひとり勝ちですね、おめでとうございます」


 渋い声で祝賀を述べ、敗者から掛け金を巻き上げていく。細く綺麗な指で紙幣の束を詰み、勝者の客へと差し出した。男の行動で、この場の運命は決まる。一喜一憂させるのも彼次第。


 名を、望月もちづき 真信まさのぶ。ワイシャツに黒いベスト、同じく黒の蝶ネクタイ。白い手袋を嵌めたいかにもな恰好の男は、この闇カジノを裏で牛耳るディーラーのトップ、ゲーミングマネージャーだった。

 ぺったりとしたオールバックは黒く艶やかで、色白の肌によく似合う。面長ながらも全体的に整っているので美形の部類だった。


「今日はツイてますね、お客様。ワタクシも嬉しい限りです」


 望月は切れ長の目尻に笑い皺を作り、今夜の王へと拍手を送っている。これだけ見れば柔和な男性に見えるが、瞳の奥底には凍てつく視線を潜ませていた。


「いやいや、ビギナーズラックだよ」


 苦々しく笑いながら報奨金を受け取るのは、樽場だ。上手く潜入し、賭けにも勝って気分上々。だけれど、どうにも素直に喜ぶ素振りを見せられない。怪しまれるかとも思ったが、それでもディーラーは客に対する態度を崩さなかった。


「皆様そう仰られます。ですが、それはお客様ご自身で勝ち取ったものですよ。お喜びくださいませ。今宵はここまでにいたしますか?」

「えっ?」


 意外な言葉に樽場は望月の顔をまじまじと見つめる。それも想定内といったように、彼は笑顔で接していた。接客業の鑑だ。元来ディーラーは違法な職業ではない。属する場所が問題なだけである。


「のめり込まないうちに、お止めになるのがギャンブルの鉄則です。夜も更けてきましたし、初回のお客様に無理強いはできませんので」

「そ、うか……。そうだ、な」

「ラウンジは開放していますので、宜しければそちらでお休みいただいても構いません。酒類や女の子の提供も随時いたしておりますので、何かあればお申し付けを」

「あー、いや……、今日はこれで失礼するよ」


 ガタリと席を立ち、樽場はそそくさとカジノを後にしようとする。その行動に素早く気付いて、望月配下のディーラーやボーイが樽場のジャケットやカバンを丁寧に持ってきた。上着を羽織っている間に黒のレザーバッグに賞金が詰められていく。


「お忘れ物ですよ。お気を付けてお帰り下さいませ。……そうそう、くれぐれもご内密にお願いいたしますね」


 歳は四十の壮年の男だというのに、樽場と違って色気が滲み出る。唇に人差し指を当てたポーズは、その辺の女性を気絶させられるくらいの威力はありそうだった。


 かくして、初日の潜入は幕を閉じたのだ。あまり毎日行くと怪しまれるのでしばらく日を置いて計画を練る。回収した賞金のやり場に困りながらも、次回のギャンブル資金に充てることにした。

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