賢い人は、善と悪を知るだけでなく、最悪と次悪の区別がつく
だがその予想はいつになく外れることになる。若干手紙のことも忘れかけていた次の金曜日、また同じような書簡が届いたのだ。中を開けて見ればやはりヘブライ語。茶紙も変わらず、純白の封筒に入っている。
ここへ来てほしい。それで魂は救われる。そう感じておりましたが。
貴方はここへは来ないのですね。
どこかで命を落としていないか、血を流していないかと、
近頃考えます。
想いが届けば願いが叶うかもしれない。
どこにいるのかしら、わたくしの愛しい子。
「やっぱり親御さん、何か気がかりなことがあるんじゃないか?」
貫には異国の字が分からないが、状況を読める力はある。図らずも内容に近しい言葉を言い当てて、アッシュは目を見開いた。
「イズルにヘブライ語を解読できる頭が備わっているとは、驚きました」
「それ、遠回しにバカにしてんのか!? いや、……読めはしないけどよ。日本では空気読んで暮らさないと仲間外れにされるからな」
半分は冗談を、半分は嫌味を込めて吐き棄てる。幼少期から付き合ってきた国のおかげで、ある程度環境に適応するスキルは身についていた。アッシュと話すようになってから、改めて実感する機会が増えた気がする。拒否しても常に、周囲について考えなければいけないときがやってきたのだ。
「制限を外したら、イズルはどうなるのでしょうね」
「あ?」制限、を社会のルールと置き換えて、貫は答えてやる。「どうかな、それは分からん。それでも、いまのところは何とかやってるぜ?」
――不必要なことを訊くものだ。
と呆れて笑う。世界が変わらずこのままでも、いまはいくらか満足はしている。楽しいことばかりではなくとも、毎日過ごせるだけの娯楽はそれなりにあった。
「そうですね。ちなみにオレは、オレの思うままにしか動けません」
羨ましいと思う感情はすでに薄れている。大人になると責任を取らなくてはいけない場面が多くあるし、心のままに動くことで逆に束縛が強くなる可能性だってあった。それは視野を広く持ったおかげでもある。無論、足枷にもなっているのだが。
「いまだけは、それでいいんじゃないか?」
「ならばオレは、イズルといます」
「……後悔しても、知らないからな?」
アッシュの真っ直ぐな目には答えられなかった。保護者としてはいまだ至らない点が見受けられるので、あのアッシュブルーの瞳は直視できない。ふい、と目線を逸らす。
この先はどうなるか分からない。少しの義理から今後の警告をしてやった。頼られているのか、放任されているのか。少年の行動からはどうにも読み切れない。それでもここにいると言うのならば、それだけは受け止めるべき事実だろう。
少なくとも次の手紙が届くまでの一週間は、アッシュは貫と共にあった。
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