十月(テベトゥム)
人は塵から生まれてきた。生まれてきてから得たものに執着するな。いずれ人は塵に戻っていくのだから。
「一課宛ての郵便が来ています」
涼しさが暑さを殺した、十月初めの金曜日の早朝。封筒が珍しく、警察窓口に届いた。送り先は捜査第一課。流線形の英文で書かれた宛先は、アッシュだった。少年の名はどこで知れ渡ってしまったのか、他の書簡に紛れて一通、彼の元へ届いている。
「アッシュに……手紙、だと!?」
有り得ない事態に貫は元気に吠えた。朝早く自分の机の上に真白い封筒が届いていたので、意気揚々と宛名を見たのだ。一際目立つ英字を解読して目を疑った。後ろに控える褐色の少年をねめつけて、嫌そうに再度手紙へと視線を落とす。
名前が変わる余地はない。当の本人は涼しい顔をしており、気にも留めていなかった。アッシュの前では稀な事柄も平々凡々な日常へと変化する。そろそろまた寒くなるというのに、何にも関心がないのは考え物だった。
「はあ、そうですか」
「ちょ、おま……! どこの誰だ!? っていうか、誰にここにいること教えたんだ!?」
「誰にも教えていません。知り合いは火にくべてきましたので」
相当なブラックジョークだったが、アッシュの口調は冗談に聞こえないほど真摯だった。貫は頭を抱えて、保護者であることに何度目かの絶望をする。とにかく、と改めて吠えて、封筒を少年に手渡した。
「何が書いてあるかは知らんが、取りあえず読んどけ。変なこと……例えば脅迫とか、そんなのが書いてあったらちゃんと報告するんだぞ?」
「分かっています」
表情が乏しいので分かりにくいのだが、実は言われたことはきちんと守っている。判断基準の相違があるけれども、そこまで貫が首を突っ込むほど子どもではない。内容が気になる心持ちをぐっと堪えて封を切るのを見守った。
母はひとりで行きます。どうか貴方が、
わたくしのことを覚えていてくれますように。
わたくしの想いはどこまで届きますか?
いつかその血に記憶として入り込めないかと考えております。
いいえ、できないのでしょうね。
いつか流れ落ちてしまう血液では、
わたくしが移っても時間が経たずに消えてしまう。
その脳に刻むのが、早いのでしょうか。
「母からでした」
「は……! お母さん!? アッシュにも、母親がいたのか……」
無感情に育ってきた少年を、この世に送り出した人物がいたとは思えなかった。母とは、この冷たい生物と真逆の温かいものだと認識している。しかし、いままで出会ってきた咎人たちを思い返せば、どのような者でも、母から産み落とされているのには変わりない。
「
「い、いや、そこまでとは……!」
人は塵から生まれてきた。から始まる、日本とは違い少し長めの言葉だ。いまの己の名と相まって、何とも風情あるものだと感心する。そういった意味では、シスターからいい名をもらったと言えよう。
「えっと、それで……お母さんは、どうだって? 引き取りたい、とかか?」
ほんの少し気を遣って、現在の保護者は腫れ物に触るように問うた。宛名も含め、宛先はアルファベットで書かれているし、その人の住まいは外国だろうか。出会うだけにしても手続きなどが必要かもしれない。そうなるとこちらも面倒臭いことになりそうだったが、アッシュがどうしたいか、まずは訊いておく必要があった。
あまり感情を見せることがない彼からは想像できないけれど、急に思い立って身勝手に動かれるとそれはそれで面倒だからである。
「どうでしょうね。会えたとしてもただの人ですから。彼女はオレの行動を制限できるほどではありません」
「ん? んー、ま、その……難しい問題だとは思うけどよ。アッシュがいまのままで満足なら、俺からは変なことは言えないが」
悪の孤児院にいた影響か、恐らく大人にはいい印象は持っていない。そこに送り込まれた元凶となるのもまた親であることを感じ、貫は押し黙った。
特に現在について、双方から不満の声があがることはない。もちろんながら初めは戸惑ったけれども、いまは互いに生活の一部と化している。会話も仕草も、いつの間にか相手のターンを待っているほどだった。
「心配せずとも、会うことはないでしょう。オレには会う術がない」
「心配……。まあ、何かあったら言ってくれ。会う術、って言っても、何か……あるかもしれないし。とりあえず、脅迫文とかじゃなくて良かったよ」
「そうですね。もうこれ以上続く話はないでしょうから」
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