‐揺るがない‐
本日は先の少女が述べた、焼死体事件の会議を行う予定である。情報として確証がない以上、櫻の件をいたずらに発言して場を乱すのもよろしくない。ゆえに、彼女との話の内容は黙っておいた。事件が進展すれば惜しみなく話すつもりである。
「榴ヶ岡、は見当たりませんね」
貫が会議に出席してから、アッシュは警察内部の名簿を隈なく探している。櫻の言葉の綾であったことに気付いていないところは、いまだ日本文化に慣れていない幼さと、杓子定規さを感じられた。
もしくは可能性をひとつひとつ潰しているのかもしれない。考えられるあらゆる選択肢にバツを付けて、そのように人生を生きている。アッシュは己の生き方に対しても複数道筋を立てて、理論的に正解を導き出しているのだ。
「アッシュ、帰ったぞ」
「おや、お帰りなさい。イズル」
朝日に照らされた部署内で静かに待っていたところ、貫たちが騒がしく戻ってきた。社会人にとっては、この木漏れ日も風情のあるものだと捉えられない。無関心に椅子に腰掛け、今度は別の事件の話をしているようだ。
「本日は外に出ないのですか?」
「ああ、今回の事件、やっぱり上は事故として処理するってさ」
「そうですか。それでこの落ち着きようなのですね」
どやどやと入ってきたはいいが、確かに皆この部屋から出る様子はない。
不審な点はいくつかあるが、上の命令は絶対である。とはいえ決定権を持つ者が必ずしも目が曇っているとは限らない。元々は事件と事故の両方の観点から考えられていたが、事件である確証を我々が見つけられなかったのだ。こうなっては、貫たちでは文句の言いようがない。
けれどアッシュはきっぱりと違う答えを出して先の行動を促した。
「残念ですが、事故として判断したなら上官の落ち度です。ではオレたちは――」一呼吸置いて、貫へと強い眼差しを向ける。「手がかりを持つ人物に、話を聞きに行きましょう」
「……本気で、信じてんのか?」
櫻と名乗る少女の存在をハッと思い出す。中学生は立派な子どもだ。妄信しては危うい、と彼女の発言を訝しんだ。しかし見捨てれば本当にどうにかなってしまうかもしれない。その可能性があるのなら、彼女の傍にいるべきなのだろう。
「信じるかどうかは関係ありません。事実を確認しに行くだけです」
「アッシュは、いつも通りだな」
ふ、と苦笑し貫は肩を竦めた。アッシュは貫からひったくった捜査資料に目を遣り、素早く情報を頭に入れるべく指で文章をなぞっていく。
「イズルは考えすぎるのですよ。机上の空論が必要なときもありますが、まずは動かさなければならないときもあります」
「それ、逆じゃないのか? 俺のほうが動いてる感じするんだけど……」
「思考して、その結果必要ならば行動します。それが一番早いですからね。オレとて考えた上でその答えを出したのです」
「あー……まあ、そうか」
と鼻の頭を掻きながら応えたものの、アッシュの思考はなかなか読めない。貫が悩んでいる場合は立ち上がり、動いている場合は立ち止まる。彼は真逆の考え方の持ち主なのだ。こちらが考えなしの状況も多いのに、よく合わせてくれる。
阿吽の呼吸。と、そこまで言う気はないが、どこかで似通っているところがあるのか、生活に関しては苦を感じ辛かった。最近は、少しなら相手のことが分かる、と思ってきた頃だ。それでも己の思案するところをするりと抜けられるときがあるので、まだまだ完璧になるのは先だろう。
「被害者の名前、一致しますね」
やがて動かしていた食指を止めて、アッシュは核心的な言葉を口にした。被害に遭った者たちは櫻の口から出た名前と同じだったのだ。
「……そりゃそうだろ。彼女、友達っぽかったし」
「友達……」
友の概念が薄いアッシュには、そこまで情をかけられるに値する人物を特定できない。孤児院の、教会の地下に押し込められていた場では、他人に対して心を育てる余裕はなかった。神の導きで出会った可能性を視野に入れても、ただそこに居合わせただけの現象だと感じるほうが強い。
――いや、それはもう自分が考えてもしようがないこと。
いまは事件、ないしは事故の概要を読み込むだけである。そもそも名前はどこかで公開されているかもしれないし、学校内で出回っているのかもしれない。情報化社会とはそういうものだ。
被害者は少女が述べていたように楓と花梨。松田 楓と榊原 花梨であった。いずれも死因は焼死。だが、写真には煤ひとつない家屋が写っている。それがこの内容の、唯一の謎であった。燃えているのは横たわっていたベッドの一部と、人体だけ。その他、被害者の家具には、火が飛び移ってはいなかったのである。
「見事なまでの発火ショーですね。まるで手品です」
「頭と手足が残った焼死体。そう言いたいのは分かるが、発言を控える場所も弁えたほうがいいぞ」
貫に促されて、ちらとアッシュが辺りを見渡すと、警察同僚たちが気まずそうにこちらを見ていた。官僚名簿を貸してくれたヘルプデスクの女性も若干引いたような目線を向けている。
「おや、これは。イズル以外には禁句でしたか」
「俺だって免疫があるわけじゃねーっての」
常軌を逸している言動が目立つ少年の相手をしているおかげで、ある程度は躱せるようになってきたものの、まだまだ何を言い出すか分かったものではない。されどその真意は誰かを陥れようとして発しているものでないことを知っているので、貫はまだ傍にいてやろうと思っているのであった。
ここで見捨てれば、向こうもこちらもどうなるか定かではない。捨て置いて命絶えられても困るし、こちらが警察全体から迫害を受けることも避けたかった。出会ってから五ヶ月、せめて一年間くらいは見守っていかなければ。
「あー……、外回り、行ってきます」
しかし煙たそうな空気には耐えきれなかったのか、彼はアッシュを引き連れてそそくさと部署を出て行くことにする。他に用事もあることだし、不自然ではあるがここで退出するのも手だ。
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