五月(アブ)
‐思いを託します‐
「お巡りさん、助けてっ!」
「は……、え?」
若草薫る五月の陽気の中で、貫は女子中学生に腕を掴まれた。警視庁に出勤する前の出来事である。昨日は久々に一日非番だったので、今日こそは、今月こそは幸先よくスタートを切れると思っていた矢先だった。
「イズル、不純異性交遊は処罰が下りますよ」
前が開け放たれたブレザー、短いスカート。色素の薄い髪に緩くかかったウェーブの少女は、ホテル街にいれば一瞬で高値が付きそうであった。が、貫には全く身に覚えがない。
「ちっ、違うっての!!」
ついでに言えばお巡りさんは巡査のことなので、現在の立場である警部補を指す言葉としては不適切だ。しかし彼女にとってはどうだっていいように見えた。少女の恰好はよくよく見れば、中学校に混じっていれば違和感のない程度。まさかの警視庁に、誰かを誘いに来ているわけでもないだろう。
幼いながらも切羽詰まった表情には少なくとも冗談の色は見えなかった。横を行くアッシュには縋る様子もなく、少女は続ける。背広の大人の威力は絶大だ。
「大変なの! 誰もわたしの話を聞こうとしないのよ!? わたしを助けてよ! じゃないと死んじゃう!!」
「……死ぬ?」
女学生には似つかわしくない不穏な文字を聞き取って、貫とアッシュは顔を見合わす。何かあるかもしれないと貫が真剣な顔で訴えても、少年は相変わらず感情の薄い反応をするばかりだった。
「そう!
「それって、もしかして……」
フレア女子学校中等部連続焼死体事件。
連続とは言え二件しかまだ起こっていないが、子どもが犠牲になる事件は行動に移るのが早い。その三件目が起こるのだと少女は豪語している。新聞などで取り立たされているのを目にし、自分も危険なのではと被害妄想を掻き立てられたのだろうか。あるいは多くの人に気に留めてもらえると思い乗り込んできたのか。そう貫は考えながら彼女の話を聞いていた。
受付窓口の人は冗談だと判断し門前払いしたのだ、と怒りながら話し終えたところ、アッシュから感想を頂戴する。
「本当なら大変なことですね」
「え? ああ、そう――」
「警察が掴めなかった事件の真相をこの少女が握っているとしたら、沽券に関わる大問題ですよ」
珍しく他人を心配した。と思ったけれど、気がかりだったのは警察の立場だったらしい。それも己の身が危険に晒されるとの意味でもなく、ただ大きな勢力を持つものが少しのことで突かれ廃れていく様を楽しみたい風にも聞こえた。
「あ、えっと。とりあえず、お名前教えてくれるかな? 俺は成神、こっちはアッシュ」
「
「じゃあ、櫻ちゃん。お兄さんたち、これから仕事なんだ。けど、折を見て抜けてくるから、車で待っててくれる?」
「馴れ馴れしく名前で呼ばないで」
「ぬぐ……!」
こちらが下手に出ていればこの仕打ちである。助けを求めに来た瞳の輝きはどこへやら、いまは軽蔑するような目でこちらを見ていた。中学生からすれば二十三歳はおじさんに見えるのだろうか。こちらにその気はなくとも多感な時期の女の子だ。さすがに車で待たされるのは危ういと、若干身を引いている。
その間にアッシュが、鉄の助け舟を理論的に言い放ってくれた。
「イズルにはオレが付いていますから、何かをしようとしてもできませんよ」
「あ、……そう? そういう関係?」
何かに気付いたように櫻は苦笑する。
――どういう関係?
ふと、脳内で貫が訊き返す。すんでのところで関係ない質問を飲み込んだ。面倒なことには首を突っ込みたくない。が、どこかで何かを失った気がしている。
少女とアッシュと貫の意図は残念ながら重なり合わなかったけれど、結果的には同じ行動に落ち着いたようだ。どことなく不安感は拭えなかったけれどもうすぐ出勤の時間である。
「じゃ、車には乗って待っててあげる。変なことしたら警察に言うからね!」
叫んで、貫の手から車のキーを奪い取ると、舌を出しながら去っていく。子どもらしいささやかな抵抗だ。
「こちらも警察なのですが……?」
言葉の趣旨を理解しきれず、アッシュは天を仰ぐ。もしや櫻は警視庁関係者の娘なのだろうかとあらぬ推理を打ち出したところで、貫に首根っこを掴まれた。
「行くぞ! 遅刻すると大目玉だ!」
「では出勤したら調べたいことが――」
「後にしろ!」
はて、出勤後の自分はフリーのはずだったのだが、とアッシュは記憶を辿る。さすがの彼でも事件会議には参加できない。後ほど貫から資料を渡してもらえるまでは、デスクを拭いたり他の調べものをしたり、もしくは参考書を読んだりして時間を消費していた。恐らくは遅刻するのではとの焦りから思考能力が鈍っていると思われた。
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