虎を描いて猫に類す

「アッシュも、もしかしたら、こうなっていたかもしれないってことか?」

「どうでしょうね。シスターにその気があれば、いつでも売り飛ばされていたでしょう」

「あんたは、細かったから、売り物に、ならない」


 ひゅうひゅう息を繰り返しながら、ベルが口を挟んできた。痛みで怯んだらしく少しだけ落ち着いている。商人としてのプライドもあるのか、彼ひとりだけ何事もなく助かった腹いせなのか、その言葉には棘があった。


「死ねば、良かった、のよ……! 細っこいあんたが、のうのうと、生き残りやがって!」

「それも必然ですよ。命脈についてはまだ解き明かしていませんが、オレがここに留まっていられるということは何かに生かされているのでしょう」


 いつまでも冷たい瞳と、憎しみで燃える瞳がかち合う。双方日本には馴染みがない色だが、この場所において存在感を強く放っていた。


「それに、生きていることが死んでいないことなら、シスターだってそうですよ。人を呪わば穴二つ。オレを憎む貴女は、世間から憎まれています」


 一月には大々的に報道されていた悲惨な事件も、次の月になれば違う話題へと移動する。しかしまだどこそこで、子どもを愛する人々から非難の的にされることがあった。ベルはいままでずっと寝ていたし、ここでは外の話柄も入ってこないので知る由もない。


「ん? いや待って、でも……そもそもエヌは、児童支援団体に寄付を募ろうと、金持ちに絵を送っていたんじゃないのか?」

「話がややこしくなるのであまり入ってこないでいただきたいのですが……、まあいいでしょう。Nは児童を支援しているのではありません。支援団体を盛り上げているだけです」


 聞き捨てならないセリフを聞いた気がするが、確かにこの場をこれ以上乱すのはよろしくないだろう。


 ――一番ややこしいのはアッシュの言い回しだろ。


 と、余計な口を挟みたくなる衝動をグッと堪える。


「人の欲とはいつまでも消化できないものです。貧しく乏しい子らのために動けば、金銭が手に入る。奴隷のように扱っても、ゴミのように捨て置いても、支援と銘打てば資金が回ってくる可能性がある」


 富豪が資産をばら撒けば、金欲しさに児童保護施設が増える。紛い物でも建前さえ作ってしまえばいいのだ。むしろ内実が異なっていたほうがNの元に哀れな子どもが来る蓋然性がいぜんせいが高くなる。


 あくまでも自らが手を出すのではなく、第三者に資金の流通を任せている。ゆえにどこが潤沢になるのか捉えきれない。


「画材が、手に入る、からよ。わたくしの商品は、評判が、良かったのに」


 はっきりと欲しいと公言していない分、一番厄介で一番掴めない。


「シスターの美感が衰えてから、あまり買われなくなりましたが」

「それは! わたくしの、せいでは!」

「Nの発言のせい、だとシスターは思っているのですね」


 芸術家とは、真意も掴めないものである。Nは過去に、作品のファンに対して問題的発言をして批判を浴びていた。世界的に有名な人物ともなれば支持すらも必要ないのか、愛好家を怒らせる形となってしまう。


 事の発端はこれまた富豪であった。Nの絵画に熱心になったある男。しかし自分の元へは一向に送られてくる気配がなかった。とうとう痺れを切らした彼は、他のセレブから何枚か買い付けたのだ。ようやく目的のものが手に入った途端、多大な自慢を始めた。これは己のために描かれたのだと吹聴し、大いに歪んだ喜びを披露した。


私は普通I'm normal支持者は嫌いI hate supporters


 その最中さなかに、その男の元に一枚の手紙が届けられたのである。内容は先の通り。そのまま読めば意味が通らない文だったが、SNS等で考察がまことしやかに囁かれることになった。Nや、その人物に関する騒動を良く思わない者からの悪戯の線が強いものの、いま有力な説がN自身からの送付だ。


 ネットには高い技術力を持った者がいるもので、鑑定機関を通さなくとも真実を暴いてしまう輩が多く存在する。英語圏の男に宛てたものだったのでアルファベットで書かれたそれを絵画の署名と照らし合わせたところ、同じ人物が書いた文である可能性が高いらしい。律儀に手書きで送ってくれた賜物である。ただ残念なことに、罵倒に使われたのは普通のインクらしいが。


 しかし、確証はない。匿名がどう喚いても真実にはならない。鑑定機関への正式な依頼、結果がなければ、意見もただの呼気である。


「シスターのところにも、来ましたね?」

「えっ!?」

「事実がどうであれ、その日から貴女の信念は失われてしまった。その結末だけ見れば、確かにNの悪行のせいかもしれません」


 崇拝する人物からの突然の拒絶。もちろん一説が本物であった場合に限るけれど、ベルは不穏な話を信じすぎてしまったのだ。花が萎れるように、はらはらと彼女の心が散ってしまった。


 それで方向性が変われば、商品となるアッシュは堪ったものではないだろう。どこか含みのある言い方だった。


「……」


 懐かしむような口惜しいような、悲しむような感情がないまぜになって、ベルはそれ以上Nのことについて考えることができない。このまま黙っていても打開策はない。少し待ってから、青年は口を開く。


「確かめに、行かないか?」

「……ならば尚更、シスターからの聴取が必要になりますね」

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