竜を描きて狗に類す
「シスター、Nが活動を再開しましたよ」
「…………アッシュ!?」
唇と眼球、脳以外はまだ動かないので、ベルは急いでそれを最大級活用して声の主を探す。さすがに少年の存在は気付かなかった。いや、いまはそれどころではない様子で、彼女は言葉の意味の整理を付けようと空を睨んだ。
「まさか、そんな、はずは!?」
「え、何? それってそんなに重要?」
頭を抱えそうになるほど狼狽えて、痛みで動かせずベルはもどかしく感じた。奥歯さえも噛むことができない。貫の脳裏には今朝のニュースが一瞬過ぎるが、そこまで反応するいわれが理解できなかった。
「もしかして、ベルさんがエヌさん!?」
ハッとして、いま手元にあるパズルのピースを嵌める。Nは日本人だとの見解があると言っていたし、日本人でなくとも日本に住んでいる誰かの可能性だってあった。まさかそれが重犯罪者であるベル・ガロファーノなのではないだろうか。
これは名推理と合点が行ったのだが、他ならぬベルの口から鮮烈に否定されてしまった。死の淵から生き返った悪魔はいま一度、過去に捨てた己の風雅に従うことにした。
「違う! 彼は、もっと崇高で、気高くて、わたくしの、憧れなのよ!?」
「奴隷の出荷先は、そこですものね?」
「そうよ! Nは、わたくしの商品で、描画するの!」
ベルの心臓が跳ね上がる。包帯があるために――取っても茶色い皮膚があるだけだが――、紅潮しているかどうかは見えない。聖女と少年の会話をかいつまんで、貫が頭を捻っていた。奴隷賞のことはもう隠す気もないらしい。少しの動揺の音が感じ取れるも、構っている暇はなさそうだった。
「実際の子どもをモデルに、絵を描いている……ってこと?」
「半分は正解ですが」
立て続けに首を横に振られ、自信がなくなってきた。残念ながら二人の間には、どこか深いところで共通の話題がある。あの地下牢で交わした話の中に、真理に辿り着く何かが蠢いている。
「アステルたちは、画材になったのです」
答えを知るのは、まだ年端もいかぬ少年。ベルはそのことをはっきりと伝えていなかったが、聡い子はすでに結論が出ていた。仕立て上げられた少年少女たちがどこに行ったのか。裏社会に流通した後は、どうなるのか。
「がざ、い……?」
「どこがどう紆余曲折してNの手元に届くのかは分かりませんが。もちろんすべての子が画家の元へ行く訳でもないですしね。題材は、地下で同席した者が多いので」
液晶で見た数々の作品の中に、見知った顔があった。最新作のひとつ前に描かれたものは、少女の裸体である。発展途上さをあられもなく表現したそれは、さすがに朝には放送されていなかった。
インターネットに少なく点在している彼女の表情は、アステルの面影がある。冷たくも美しく、キャンバスに貼り付いていた。
「いや、その、あまり話が見えないんだけど……」
「分析できれば良かったのですが、シスターが裏ルートで熱心に集めたものはすべて燃えてしまいましたからね。Nの絵具は、子どもの血液です」
「は、……え?」
芸術家の思考回路は人知を超えている。一瞬の出来事に、貫の頭は止まりかけた。平たい紙の上に置かれた茶褐色。幾重にもある細い線ひとつひとつが、人のDNAを纏っている。
「え!? だってそんな、調べれば分かるんじゃないのか!?」
「ええ、しかし物好きもいますから。知っていても手放したくないがために、鑑定や分析をさせない者もいます。あるいは本当に無知である場合もありますが」
有名なハリウッド俳優が、犯罪者が描いたピエロの絵を知らずに所持していた。
なんて逸話もある。そもそも話題の画家が自分のために作品を描き上げたとあれば、鑑定などしなくとも注目の的になるのは必須だろう。下手に鑑識に回して偽物だと判明すれば、それを見抜けないほど不識な人物だとレッテルを貼られることになってしまう。仮に本物だとしてもN信者からとてつもないバッシングをくらうだろう。表向きは児童愛護心を持つ絵描きだから魅入られる者も多い。妄信する対象が信じてもらえない場合、彼らの敵意に火をつける。
「ただ、裏社会では明々白々でしょうけど。純粋に芸術を楽しむ者は、Nだけですよ」
「で、でも、エヌは……つまり子どもを、虐待しているってことだろ?」
その問いには、誰も否定も肯定もしない。真実を見ていないから、との理由もあるが、単に虐待の文字だけで片付けられる事柄でもなかった。一枚の絵を描くのにどこまでも血液が必要なのかは知らない。献血程度の可能性もあれば、もちろん致死量の可能性だってあった。
それ以上に何か、外傷を受けている確率だってある。ベルを目の前にして、いままで会ったこともない少年少女に思いを馳せた。殴られて、虐げられて、挙句の果てに行き着くところは平面にしかならない。
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