脂に画き、氷に鏤む
カトリック系シスター、ベル・ガロファーノが収容されているのは警察病院だ。全身火傷のため治療中だったが、それがいまになってやっと目を覚ましたらしかった。彼女の罪は明白であるにもかかわらず、罪状が出来上がっていないため、まだ刑務所には入っていない。
今年の初めには貫もアッシュも手当てを受けていた場所。まさか再びここに来ることになろうとは。ベルが話せるようになれば来ることもあると分かっていたはずなのだが、どこかで忌み嫌っていた部分もある。
「あ、アッシュ、行きたくなかったら……ここで待っていても――」
「気にすることはありません。行きましょう。オレはもう、シスターに興味はありませんから」
警察病院の端に停めた車の中で、青年はささやかな気遣いをする。しかしアッシュには無用だった。何日、何ヶ月、何年、地下牢で自由を虐げられたか分からないのに、少年はどこ吹く風で外を見ている。
「いえ、訂正しましょう。シスターについては少し興味があります。彼女の言葉が、今後のイズルの活躍に影響するのならば、無駄なことはありません」
「……そう」
一種のブラックジョークにも聞こえる。が、彼が過去を乗り越えているなら越したことはない。苦笑いを浮かべる自分が心配することではないのかもしれない。と貫は思うも、完全に忘れられることではないので空しいものである。
「え、と、病室は……」
「集中治療室ですよ、イズル」
電話中、急いでメモを取ったので、まるでミミズが這ったような文字だった。己のものだというのに認識できないとは情けなく感じてしまった。一方アッシュは看護師に居場所を訊かなくともベルの居場所を推理できているようだ。警察手帳も持っていないから恐らく誰に訊いても答えてくれないので、自分で考えたのだろう。
「あー、そうだそうだ! そうだった」
正直彼女と会うのは足が重い。けれど口が動かせるようになっただけで身体が万全に動くようになったわけではない。無害のはずだ。先の事件の第一発見者、並びに被害者でもあるから、今回は貫が聴取をしていいことになった。多くの子らを食い物にしてきた彼女に向けて危害を加える可能性もあると一時は止められたが、救出劇も繰り広げた警察官に少し任せてみることにしたらしい。
病室は、薬のツンとした臭いと
「ベル・ガロファーノ……」
「……あら、
炎に炙られたのか、以前の鈴を転がしたような声ではなくざらざらした音だった。それに呂律も回っていない。それほど壮絶に燃えたのだ。彼女も建物も、人の子も。貫には思い入れがあるのか、目を瞑っていても存在を認識できている。
「事件のことを、訊きに来た」
「……く、苦しいわ。成、神さん。助けて、わた、くし」息混じりに、女は男に訴える。「お嫁、に貰って、ください、な」
「え」
好いた女性だった。かつては心躍らせる人だった。過去の自分なら、理由は訊かずに快諾していたことだろう。
だけれど貫は、この行動の意味を知っている。ベルはあのとき裏社会の男に見限られて、ひとりで生きるのが怖くなったのだ。裁判にかけるにしても、命ある時間はまだ残っている。おちおち生き残ってしまったがために、これからの身体の心配と、至情の心配もしなくてはいけなくなった。
貫でもアッシュでも、あるいはここの医者でもいい。この場合、すべての男は当て馬にしかならない。彼女にはもう、信念がないから。
「残念ですが、お断りします。それより、事件のことを訊いてもいいですか?」
「…………いやよ」
どのような凶悪犯でも、黙秘権は残されている。だがベルの罪は明白で、どうあがいても重罪は免れないだろう。ここで聴きたいのは刑を軽くするための身の上話ではない。裏の網目はどこまで広がっているのかということだ。この女は絢爛な刺繍よろしく、表は全くほつれのない芸術品だが、ひっくり返せば地獄絵図が描かれている。
プロポーズを断られた腹いせなのか、ベルは何も答えようとしなかった。ある程度は想定内なので、貫は最初のカードを切る。
「ここは警察病院だ。病室は防弾ガラスだし、被疑者の身の安全は警察が保証する。貴女から情報を聞き出したことは、どこにも流出しません」
とは伝えたが、やはり応えはない。浅く呼吸を繰り返し、虚ろな緑の目で天井を見ている。これ以上は口を割っても無駄だと判断したのだろう。相変わらず狡猾な女だ。
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