一線を画す

「二十億の作品は、贋作かもしれません」

「ぶっ!?」


 何とも突拍子もないことを口走るものだから、貫はアイスコーヒーを噴き出しそうになる。それをどうにか一滴も残さず嚥下して、苦笑いを浮かべる。元々たいした代物ではないが、さらに味が分からなくなってきた。

 湿った唇を拭って軽口を叩く。


「……おいおい、アッシュ。そんな審美眼まで持たれちゃ、俺の立場がなくなるぜ?」

「立場? 一警官に審美眼は必要ないでしょう。鑑識課なら別ですが」


 そうではなくて男のプライド的なものだったのだが、確かに職務に美術品の鑑定は必要ない。そうなると鑑識課や科捜研にすら接点のないアッシュにこそ偽物を見抜く目は不要なのではないか、と頭に過ぎったがどうせ趣味の一環だの一般教養だのと御託を並べるのが関の山だ。反論するだけ無駄なので――貫が負けるから――、こういうときはすんなり受け止めるのが吉だ。


「んで、どうして違うって分かったんだよ?」

「Nの作品には一貫性がありますからね。詳しくは鑑定してみなければなりませんが」

「一貫性……って言われてもエヌさんの絵も今回の絵も、きちんと茶色で描かれてるぞ?」


 アッシュと同じ肌、またはミルクコーヒーのような色をした絵画がいまだ液晶画面に映っている。今回の絵とは別に、以前からの作品も複数映し出されていた。貫自身の目ではどの作品も何ら変わりなく見える。


「問題は塗料です。しかし贋作が出たのもこれが初めてではないですから、N本人が何も言ってこないのであれば、問題はないのでしょう」

「え!? 何個か偽物あるの!? この中に!?」


 少年の言葉を確かめようと、目を凝らしてテレビに近付くがすぐに次の話題へと移ってしまった。マスコミはいつもそうだ。日々新しい情報を垂れ流しにして、流行に乗り遅れた者は置いて行かれるだけである。


 違う話題にはさほど興味もない。と言うよりかはやはりこちらも、ついていけないのが本音だ。目線は自然と画面の左上へと移動する。

 あ、と間の抜けた声を漏らせば、やっと現時刻を思い出した。


「ヤベ! もうこんな時間! アッシュ、車の鍵持って待っててくれ!」

「もう準備しています。着替えのシャツはここ、昨日脱ぎ捨てた背広はそちらに」


 言うなら少しくらい畳んだり、纏めたりしてくれたらいいのに、と口中で文句を述べながら、それでも彼が口出ししてくれることによっていくらかスムーズに朝の支度ができている。唇を尖らせながらも、これも素直に受け止めていた。


 いざ、服装も整って外に出ようとしたときに、貫の携帯が突然鳴る。


「目覚まし……じゃなくて電話? 第一課から?」


 スヌーズの目覚ましを掛けているのでそれかと思ったが違った。それも誰かの連絡先ではなく、己が在籍する部署からの電話番号だ。そもそも樽場以外には存在が煙たがられているので、あまり同僚の連絡先を知らない。


「そろそろ他の方とも交流を持ったほうがいいかもしれませんよ」

「うるせ! ……はい、成神です。あ、ええ……え!? それは、本当ですか!?」


 驚きと焦燥と、少しの嬉しさが混じった反応だった。気まずそうにちら、とこちらに目線をやった貫を見て、勘のいいアッシュはすぐさま状況を計算する。


 第一課からの電話ということは、警察絡みの報告を受けているはずだ。それも自分が一枚噛んでいる。そうでなければここまであからさまにこちらを意識しないだろう。


 やがて電話を切った貫が言いにくそうに少年に向き直る。


「あ、あの――」

「シスターの意識が、戻ったのでしょう? 事情聴取のため、病院へ参りましょうか」

「っ、……アッシュ」


 内容を見透かされて何かを言い繕おうと少年の名を呼ぶが、結局は息が詰まるだけだった。頭で考えるのは自分の役目ではない。そう貫は割り切って、大人しくアッシュを同行させることにする。


「分かった、行こう」

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