二月(アル)

階級死すとも貫は死せず

   初めまして、貫と言います。社会人で、二十三歳です。

   こういうのは、小学校以来で、何を言っていいのか分からないけど。

   最近は仕事でバタバタしていて、ストレスもかかる日々です。

   すみません、こんなこと伝えるつもりじゃなかったんですが。

   僕は関東にいるのですが、一段と寒くなってきましたね。

   雪は、あまり降っていませんけれど。

   本当に春が来るのか、疑わしいくらいです。そちらはどうですか?

   よければ、お返事待ってます。




「始末書って、こんなに時間が掛かるものなのか……?」


 貫の目に映るたくさんの文字。それはすべて彼自身が書いたものだが、何を走り書いたのかもはや覚えていない。


 あの火災から、約一ヶ月が経つ。健康そうに見えた貫でも、教会から退出したその後昏倒して、意識が二日戻らなかった。ようやっと目を覚ました際に携帯の液晶画面の日付を見て、しばらくは混乱状態だった。医師の説明を聞いてもほとんど頭に入ってこない。唯一合点がいったのは、思ったより煙を吸っていたために身体が弱っていたということだ。でなければ大の大人がここまで眠りこけているはずがない。ただ、目立った外傷がなかったことが救いだ。


 もうふたつ、気がかりなことがある。あの孤児院で救出したベルと、少年だ。ベルに関しては全身火傷のため現在集中治療の最中で面会はもちろんながらできない。あの火事で命があっただけ奇跡だ。ただし、これから何があるかは分からない。峠はいつ頃超えられるだろうか。ちなみに少年のほうはずっと眠っているよう――外傷はほとんどないものの――だが病室に向かうことは可能とのことだった。


 意識を取り戻しても数日は経過観察で入院する必要がある。体力のある若い男は多少身体に無理をしても平気なものだ。さすがに手持無沙汰なので貫は少年の病室に足を運ぶことにした。白いシーツの間で眠る褐色の少年は細く、複数の点滴の管が繋がっている。大変な栄養失調であったとだけ聞いていた。きっとその管たちも少年の身体に栄養を運んでいるに違いない。


 名をアッシュということを、貫はこのとき初めて知った。


 身寄りもなく、故郷も不明。この異国の地で酷い仕打ちを受け、天国を崇拝する場所なのに地獄にいた気分だっただろう。いまはただ、無垢に横たわっていればいい。痛みも感じず苦しみも感じず、幸せな夢を見るといい。

 その想いに呼応したのか、アッシュの瞼が微かに揺れる。貫はシーツを綺麗に正し、病室を後にした。


 ややあって同僚と上司が見舞いに来てくれた。へらへら笑って見せたが、どうやら彼らは自分を心配しているわけではなさそうだ。目の端を吊り上げて、しかし何を怒ろうか迷っているふうだった。


「職場が、焼けた」

「………………へ?」


 その音を聞いたとき、また思考が止まる。やっと起きたと思った病院の真白いベッドに再び意識を埋めて、その言葉の意味を分解し始めた。

 回復してから例の場所へ足を運んでみれば。それは確かに仲間の言った通りで、ほぼ毎日顔を出していた交番は黒い煤の塊と化していた。放火魔でも、ましてや教会の火が飛んだわけでもない。何を隠そうその原因は、貫にあるのだった。


「まさかさ、ストーブ蹴飛ばしてたなんて気付かないじゃん? 必死だったし」


 苦笑いをしながら改めて紙に目を落とす。重い溜息を吐いて、アイデアを絞り出すために頭を掻いた。事実をつまびらかにするのに長考する必要もないだろうが、事が事なのでどれを書き出そうか悩んでいる。


「イズル、全部書けばいいですよ」

「つってもさぁ、お前も一枚噛んでるんだぞ?」


 声を掛けたのは、浅黒い肌の異国の少年。あのときの雪のような純白のシャツを着ている。まだ糊が利いており、真新しいものであることを主張していた。違う孤児院へと移送されるのかと思いきや、どうしてか警視庁内で保護観察という立場になっている。教会火災からの生き残りであり、やむを得ないとは言え放火犯だ。それを鑑みれば処置は適切なのかもしれないが、仕方なく保護者となった貫は未だ納得がいってない点もある。


「それでも、巡査から警部補になれただけいいじゃないですか」

「本当にそう思ってるかぁ?」


 先日まで床に臥せっていたとは思えないほど彼は嘯いている。少年の細い指が指し示すのはスーツの襟に掲げられた小さな赤いバッジだ。金の文字で『S1S mpd』と銘打ってある。


 ここは桜田門にある建物の、とある一室。警視庁刑事部捜査第一課。その窓際に追いやられ、成神警部補は苦虫を噛み潰したような顔をしていた。異例の二階級特進は新しい同僚に煙たがられ、それでもどうにかせせこましく収まっている。


 殉職もしていない貫がどうして警視庁なんぞに机を用意してもらっているのか。ベルと共にいたスーツ男と接触した唯一の人物となってしまったための、体のいい監視の意味もある。刑事ドラマではよく、警察のトップとマフィアは裏で繋がっているとされているし、貫の不安は募っていくばかりだ。メディアの見過ぎと言われればそれまでの話。だが、この処遇はどうにも呑み込めない展開だった。


「お前はさ、どこまで話したんだよ、アッシュ?」

「すべて話しましたよ。それはイズルが知っているでしょう?」


 いかにも、当日あったことも含めて殊更詳しく、必要のない内容まで話してくれた。アッシュの取り調べには貫も同席したからよく分かっている。


 ベルの所業、マフィアとの取引、子どもたちの行方。気になるところは多々ある。しかし少年が語ったのはただ、孤児院での敬虔なる経験のみ。シスターが誰を引き連れて誰をいたぶっていたか、把握できたに至っただけだ。ただしその話だけで充分すぎるほどの調書だった。


 その知識は果たして、上澄みなのかそれとも澱なのかは、定かではない。彼はどこまでを知って、その上でどこまでを語ったかを訊いてみたのだが。


「うーん、まぁ、そう、だな……」


 年端もいかない子にそれを訊くのはお門違いだろう。やけに落ち着いて、大人びて見えるから深いところまで関知しているのでは、との疑念に襲われる。本当に知っていることだけをきちんと話してくれた可能性だって、いや、本来ならばそのほうが確率的には高いはずだ。


「だから気にせず、思いのままに書き起こせばいいのです」


 隣に控える少年は流暢に日本語を使い、それが外見とのギャップを醸し出していた。日本に連れて来られてからの年月は本人にも計り知れない。それでもここまで言葉を喋れるようになるまでは大層な努力と集中力と洞察力がなければやっていけない。一言で表すなら、利口、であった。


 聡明な彼にも上の機関は特別待遇で、警視庁への出入りが可能になっている。階級は特にないけれど、警部補である貫の補佐役として、それとなく居場所を作っていた。保護者となった貫の目も届きやすいとの名目だが、こちらも何か深い理由がありそうだ。令状もなければ明言もされていない。ただ、人の忖度の度合いに任されている。


「おい、成神! 私語を慎め。事件だ、ついてこい」

「は、はい! 樽場たるば警部!」

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