光炎万丈長し
対して、言われたベルはたまったものではない。劣化、だと少年は言った。どこが劣化しているというのだ。妙に平坦なアッシュの口調には核心を突く何かがあった。ベルさえも気付いていない潜在意識の奥深くを抉るようなそれだ。決して鋭くないのに、ごっそり穿ってくる。その秘匿事項を包むものが取り払われた代わりには怒りが埋められる。
「劣っている、ですって? 何がどうだって言うの――」
「では、シスターの商品について見解を述べます。醜悪な自尊、他者承認欲求、自己顕示欲が近頃見えておりました。作品に自我を出してしまったのでしょう。他人を仕立てるなら、欲をかいてはいけないのです」
ベルの言葉を遮ってアッシュは、立て板に水を掛けたように流暢に語る。ここまで言葉が発せたのか、と一種の不気味さがベルの脳裏を掠めた。いや、しかし。
――何を言っているのだ、この化け物は。
見解だと彼は言った。やはりこちらの作品にケチを付けている。
「自己顕示欲……? 作品に自我を出した? それのどこが悪いのよ!」
「シスターはその先を見ている。彼、彼女らがどこへ行って誰に愛でられるのか。己の称賛や注目目当てでの活動は美しくありません。いつか呑まれてしまいますよ」
火の手がアッシュの左頬を舐める。ポーカーフェイスな少年のせいで、炎もまるでただの薫風に見えた。季節外れの、初夏を感じる風のよう。地下室から爆ぜているものは室内の半分を焼いているが、まだベルまでは届かない。いま呑まれそうなのは彼のほうだ。
少年の体力がなくなれば無駄なお喋りに付き合うこともない。少しばかりくだらない話を聞けば、いつか力尽きるだろう。退路は先程入ってきた扉のみであるし、命の危機に瀕すればいくら平然としている彼だってこちらに歩み寄ってくるはず。落ち着け、もっと冷静に考えろ。むしろこれは好機だ。扉からは何やら激しい打音と籠った声が聞こえているが、アッシュを囮にすれば逃げ果せることも可能であろう。
しかし逆を言えば、彼次第でベルの命運も決まるということを意味している。
現時点では自分の命令を聞く様子でも、泣いて助けを求める様子でもない。子どもの生意気な言動にはいつだって付き合ってやっていたし、ここは苛立ちをぐっとこらえて日常に戻してあげよう。
「いつまでもふざけていないで! いい子だから、こちらへいらっしゃいな!」
「ほら、いまもそうやって支配を重ねようとしています」焦るシスターをよそに、アッシュは淡々と続ける。「支配ではなく、慈悲で当人自ら死地に赴かせること。それが、美しさです」
「はぁ!?」
短い忍耐だった。もともと気性の荒いスペインの血筋なので我慢などできるわけがない。いままでそれを極力抑えて修道女をやっていたのだ。感謝されこそすれ罵倒される筋合いはない。
かの有名なマザーも人身売買を行っていた。笑顔の裏で取引された者は数知れず。求める場所へ引き渡して、何が問題なのか。職業柄、聖人と言われ隠されてきた事実だ。
否、アッシュが諭すはそこではない。芸術と猟奇の間に潜む美学を説いて、真の崇高なる神事へと昇華させようとしているのだ。言われてみれば自分とて初めは、優しさを含めて作品を仕立て上げていた。ベルを信じて引き攣った笑みを浮かべながら、取引に引き渡される子どもの姿が脳裏に過(よぎ)る。
あれらの足は、勝手に悲境に向かっていた気がした。
「子どもに、何が分かるのよ!?」
しかしそうなると、いま己は何をしている。審美を見分けられなくなった自分は何になる。この気付きを認めてしまうと一気に心が折れてしまう。違う、違う。自分は間違ってなどいない。正論を否定しようと、必死に叫んだ。
怒声に呼応したのか、ステンドグラスが割れる。神はまだ見捨てていない。ひとつ、退路が増えた。しかし中央で燃え盛る父の像の横を潜れれば、の話だ。振り返り、同じくそれを見て取ったアッシュは、ベルとは違う感想を漏らした。
「父は許してくれなかったのですね、シスター。残念です」
「は? 許してくれなかった、ですって? 誰が誰に許しを請うのかしら。天空に神などいやしないわよ」
「そうですね、天空に神などおりません。神は――」
「ベルさんっ!」
やっとのことで扉を蹴破って、会話に入ってきたのはあの巡査、貫だった。これは
「成神ぃぃぃ!?」
「おや、そこにいると怪我をしますよ」
「話は後だ! 早く避難しろ!」
それぞれが自分の主張を述べる中、歪な雑音が耳を劈く。金属がひしゃげる先は、麗しい聖女の頭上。かつて人から神となった男の熱い接吻が、子である従順なシスターに迫ってきた。
「ぎゃああああああああ!!!」
いつもの鈴の音はどこへ消えたのか、祭壇の後ろに祀られていたキリスト像の下敷きになりベルは絶叫を上げる。裏社会と対峙していた時ほどではないものの、狼狽えて貫は周りを見渡すばかりだった。
その一方で何か気付いたように少年は目を円くした。火炎が煌々と照らした瞳は、冬の空に相応しいアッシュブルー。振りかぶる灰の隙間で、それだけが唯一違和感を持って存在している。
「誓いの抱擁ですか。美しい」
斃れる十字架の鉄柱をするりと避けたアッシュは、ベルに向かって初めて、面白そうに笑みを見せる。すでにその皮肉を受け取る相手は自身の咆哮で聴覚が働いていない。だがそれにも関わらず、くつくつと純粋に笑っていた。声を張ると歳相応で、少し高くなる。それはちょうど、鈴を転がしているようだった。
「来い!!」
「おや?」
その朗笑を断ち切ったのは、制服警官だ。スーツに似た袖から伸びる一般的な男性の腕。笑顔で最期を迎えられる自分はなんて幸福だろう、と感じていた思考を打ち砕く行動をしている。その意味が理解できず、アッシュは目を白黒させていた。
「早く、避難を……!」
額には烈火から来るものかそれとも緊張から来るものなのか、大量の汗が見られる。あるいはその両方であるだろうと悠長に考えながら、アッシュは強く握る手に引かれて外に放り出された。
外気はとてつもなく冷たく、あの地下牢を思い出させる。以前まで同じ温度の部屋に押し込められていたはずなのに、いつになく心臓が縮こまった。それはきっと火炎のせいだと仮定して、すぐに忘れることにする。
ややあって背後から、呻きながら男女のペアが這い出てきた。全身に大火傷を負った女を、軽装になった男が哀れそうに担いでいる。制服を父の像の首に引っ掛けてどうにか退かしたように見えた。アッシュは、偶然ながらも神を絞殺した貫に少し興味を持つことにする。
「
母の愛を謳うカーネーションの名を冠した聖女は、結局のところ母には成りきれなかった。アッシュはベルに拒絶の言葉を吐き捨てる。黄色いカーネーションの花言葉はそこはかとなく辛辣だ。
貫は、英語に似た知らない発音を聞き取って、顔を上げる。一瞬日本語かとも思ったが、煙を吸った灰色の脳を活性化させても単語はヒットしなかった。この寒空の中、破れたコットンリネンの服を身に纏った少年。火にくべられていたときとは打って変わって、とても細く小さく見えた。
撲殺孤児院 編 終幕
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