他山の石以て玉を攻むべし
言われてアッシュも貫の手元の資料を覗き込む。決して彼は断りなく――たまたま見聞きしたものは別だが――情報を盗み見ることはしない。以前貫に勝手に見るなと言われてから、少年は律儀にその言いつけを守っている。
足跡は有り余るほどあったはずだ、と少年の情報はまだアップデートされていないがために疑念を持って思わず目を落としてしまった。
「なるほど。これでは確かに、被害者以外どこにも行けません」
大通りに向かう被害者以外の足は一足たりとももなかったのだ。
この路地裏、男の周りをぐるぐる回っているだけ。ではいったいどこへ消えたのか。この多い靴跡のせいで鑑識が見逃したのか。まさか、そのような落ち度はない。
ひとがひとり消えるなど、現実社会ではあってはならないことだ。撃った犯人はあのビルの屋上からこの小路へとジャンプでもしたとでも言うのだろうか。
「別の人物が関わっているかもしれません」
アッシュは、東雲の中、縁石で腰掛けていたときの貫の仮説に同意する形を取った。殺しと盗みは別件で動いているのだと。そう考えていた時期もある貫だが、少年が示す道筋は途中で逸れ、違うところに行き着いた。
「狙撃と、略奪。別の者たちがひとつの目的を目指し行動していた」
「ひとつの目的? 別の事件が重なったわけじゃないってか」
一方は男の
「じゃあ、共犯者?」
「どういった事件であれ、犯人はひとりとは限りません。下足痕が多くあるのなら、強盗は複数人いた、と仮定すれば。それぞれが同じ靴を履き、それぞれが似たような痕跡を辿り。スタートは一緒でも途中で、ひとりまたひとりと散り散りになっていけば、ルートは分かりにくくなります。蜘蛛の子を散らす、と言ったところでしょうか。この周辺一帯がグルになって、何かを隠しているのかもしれません」
「この辺り一帯、って……。このビル群も含めてか?」
そう考えれば逃走ルートは複数用意されていた。飲食店の勝手口はいつでもゴミが捨てられるように基本開店中は施錠されていない。しかしながら、この一帯がすべて共犯者なら話は別だ。いつだって利用可能な扉が存在している。
「つっても、ここの関係者がひとりの男を殺すメリットが感じられないな。相当なクレーマーとか、相当な迷惑客とか……。それに一応聞いたけど、この時間店員には全員アリバイがある。銃を扱える人物だってそうゴロゴロいるわけじゃない。もしくは誰にも見つからずに勝手に入ったか」
勝手口だけに。一瞬口を突きそうになったが、アッシュに冷ややかな視線を向けられるだけなのでどうにか吞み込んだ。バックヤードに人が入らなければ、見つからずに抜けることも少ないながら可能だろう。それでも店が繁盛している時間帯では不可能に近い。店の者に見つからなくても下ろし立てのスーツでビシッとキめた被害者を覚えてない客が全くいないのも気がかりだ。
「店も別に系列店ってわけではないし、所有者だって別の人だろ。まさか誰かが全部買収したとか言うんじゃないだろうな? どんだけ金持ちだよ!」
自分たちではどうあがいても届きやしない夢物語を笑い飛ばしながら、貫は毛布を剥ぎ取ってアッシュに返してやった。元は彼のために用意したものだ。車中泊も少なくない職業柄、細身の外国人には辛いだろうとの配慮からだった。
だが返却しても礼はない。いつものことだが軽く窘めようと目を合わせれば、真剣な眼差しを向けられた。
「え? ……もしかしてお前、本気で言ってんの?」
「資金は潤沢である可能性がありますので」
楽しくからかっていた笑いが苦笑いに変わる。闇の資金情勢に詳しくないことが仇になるとは。大手を振って存じていると言える者のほうが少ないはずなのに、どうしてかアッシュの理屈を跳ね除けることはできなかった。
「ビルの所有者って、どうやって調べるんだろうか」
その答えは思ったより簡単に解決した。事件よりだいぶあっさりと判明して若干拍子抜けであるくらいだ。法務局もしくはインターネットでいまや簡単に分かる時代になっていた。違和感を覚えたのは、正式に言えばビルの所有者ではなく土地の所有者のほうだった。
「
建物に関してはすべて別人の名義だったが、周辺の土地は同じ人物が持っていた。それも現場とその周辺のビル群のみ巻き込んだ、最低限の領土だ。決して安い買い物ではない。だがこの土地に、どれくらいの価値があるのか。もっと優秀な場所があるはずでは、との多少の疑念を産む。
「行先が決まりましたね」
アッシュはその迷いを、知ってか知らずかさっさと先に行ってしまう。悩んだり考えたり、立ち止まってばかりではいられない。動くことだ。そうしなければ話は進まない。
この場所を好き好んだ答えはきっと少ない。真意を喋る可能性は薄いが、本人に話が聞けるなら万々歳だ。流 瑞玉という人物を調べていけば、最近日本に別荘を持った中国の富豪であることが分かってきた。
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