Q.E.F.
通常であれば疑われてしまうような内容でも、ヨウはすらすらと伝えてくれた。証拠や手がかりが少ない場合、真っ先に疑われるのは家族である。いくら警察の仕事だと名目を持っているとはいえ、憔悴しきっている中でその事実は酷い仕打ちだろう。
もちろんながら当日もヨウに事情を聞き及んだ。しかし話すのは何も知らないとの一点張り。証拠もないので、一度聴取を切り上げている。
「うぅん」
「綺麗に掃除されましたね」
唸る貫の横で、アッシュは気にかけていたことを訊いた。書面とにらめっこする
「その……気分が、良くないので。刑事さんには、掃除しても……大丈夫だって、言われたものですから。さすがに、妻と子どもの、ものとはいえ……」
「ふむ、そうですか。イズル、一度帰りましょう。これ以上はお邪魔になります」
「えっ!? アッシュ、勝手に……! す、すみません!」
収穫なし、と感じたのか、アッシュは踵を返して玄関へと向かう。貫の制止も聞かず靴さえも履き始めていた。
確かに年少者の言葉通り、長々とここにいてはヨウにとっても気分は乗らないだろう。事件の面影を匂わす警察では、あまり回復の力になれない。
「失礼しました! 早く見つけ出しますので、何か思い出しましたらご連絡ください」
「……はい、分かり、ました」
形式上の丁寧な挨拶を終えて、山中家を後にする。アッシュはすでに車に乗り込んでおり、これでは日本で生きていくのに苦労するぞ、と貫に要らぬ心配をされた。彼はこの先どうするつもりなのだろう。自分とて、アッシュの傍にいつまでもいられるわけではない。
「アッシュ、山中さんに失礼だぞ。せめて挨拶くらいは――」
「イズル、世間話もいいですが、本屋に寄ってもらえませんか?」
「お、お前な……!」
年上の話を遮らないのも世渡りするのに大切な技量だ。貫は大きな溜息を吐き、二つ返事をして車のエンジンをかけた。言っても無駄だ。特に、特別視されているいまは。気が大きくていけない。
「本屋って、参考書か? 別に通販でもいいじゃねえか」
「いけませんよ、ネットでは。この目で見て選ばなければ。それに、こうやってイズルと話す時間がなくなってしまいます」
「はぁ? 何だよ、それ」
どんぐりのような瞳で少年はこちらを見つめる。もう少し口角を上げていれば、もう少し目尻を下げていれば人間味が出るのに。まるで彫刻と思わんばかりの表情だった。
「親との交流の時間です。そう言われれば、オレが可愛く思えてくるでしょう?」
「……可愛くない」
主に表情と言動のせいで。次のアッシュの言葉で運転手は何とも言えない感情になる。
「残念です」
苦虫を噛み潰したような顔を浮かべて、貫はそれでも素直にアッシュの希望に従った。勉学も――いや勉学こそいまの彼には大事だ。警察の世話にならずとも生きていけるスキルが身に付けば、こちらとてお役御免である。
「さ、着いたぞ。……アッシュ?」
駐車場に車が停まったが、降りるどころかシートベルトを外す素振りも見せない。どうしたものかと貫が顔を覗き込むと、間髪入れず語り出した。
「強要と教養。先月のことを思い出していました。彼は手癖も悪かったですが、それ以上に厄介だったのが人心掌握術でした。モチヅキは、勝負に関しては何も手を出していません。客が自らグルとなり、獲物を追い込んでいく」
圧倒的なカリスマは、己が命じなくとも他者を動かす力がある。他人が他人を想い行動する場面は、時に愛にも似ていた。善良なファンが、罪を犯したアイドルを擁護するようなそれだ。その強固な結びつきは、教祖的存在の進路を決めてしまうことがある。
「それじゃあ、いつまで経っても……」
最後まで引かれない玉が、必ず存在してしまう。
「確立された確率ですね。これで、文章問題も終了です」
決められている答えを求めるのは、非常に困難だ。納得していなくとも決定されていく道筋。気付くこともなく緻密な計算を打ち立てて、息を潜めて運命まで誘導する。小さな部品として自ら歯車に組み込まれていく。
「さて行きましょう。数学の話はこれで終わりですよ」
少々解せない内容ながらも結局、二人にとってはこれでお終いだ。深く追求する手立ても、彼らを追って山を突っ切る冒険心もない。
次は、とひとつ息を吸い、アッシュは座席を立った。車のドアと古本屋の暖簾を潜って、少年はふと思う。
興味のあることにしか食指が動かないのは自分の悪い癖だ。貫がいるからどうにかして成り立っているものの、外側から抑えつけてくれる者がいなければ、人の形を保っていられるのかすらも怪しい。知恵を蓄えれば蓄えるほど、己のありさまが崩れていく感覚がある。
アッシュの思考の中では、何も感じないままあの地下室で息絶えるか、奴隷として売られるか、もしくは焼け死んでいたかの三択しか用意していなかったのだ。貫と関わったことで得られた未知の可能性は、全くの予想外だった。計算が狂ってしまったのは口惜しいが、新しく拓けた道に賭けることにした。文字通り食指が動いて、彼の手を取ったのだ。
そうやって本能で望む方向を差し示してきた少年が目指すのは、大量の参考書。状況を鑑みれば、いま確かめるべきものがそこにはある。
望みの一冊を、慎重に引き抜いた。
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