フィリア(深い友情)

暴風雨テンペスト

「ん? どうした、アッシュ」


 窓ガラスに打ち付ける暴風雨を眺めて、アッシュが呟く。深夜に近い時間帯だったが、連日の重労働のせいで眠気の耐性ができ始めてしまっていた。おかげで寝付くのは深夜、起きるのは出勤ギリギリという不健康な習慣を体得している。今日は仕事の合間に昇のところに行って疲労しているはずなのだが、それでも雑誌を読みながら部屋でゴロゴロするばかりだった。


「今日は暑かったのに、急に雨が降り出しました」

「あー、あるんだよ。夏には。ゴリラ迎雨ゲイウ……じゃない、ゲリラ豪雨ってやつだ」

小さな戦争ゲリラ……」


 語源となったスペインの小隊に想いを馳せる。不意に耳の奥で、銃弾が弾ける音がした気がした。思えばそれは、遠くで落ちた雷のようだった。それをきっかけに一層雨脚が強くなる。


「うわ、雷!? ……明日の花火大会、大丈夫かな?」


 ここは警視庁近くの警察寮。年始に元々いた職場が燃えたので、寮も新しい場所に移っている。ベッドや家具の配置、薄い布団、二人一部屋なのは変わらないが、アッシュとルームメイトになるとは考えてもみなかった。少年の存在を外に漏れさせたくない算段が見え隠れしている。


「花、火……?」


 学生らが夏休みに入り始める時期。明日は早めの花火が打ち上がる予定だった。アッシュは首を傾げて、貫が漏らしたぼやきを捕まえる。外を眺めていた目線を滑らせてこちらを凝視している。


「初めて聞きました」

「あー、そうか……。えっと、火薬の炎色反応でな、いろんな色の爆発が起きるんだよ。それを夜空に打ち上げれば、花が咲いたように弾けるんだ」

「なるほど」


 とは言うが、今の説明を本当に分かっているのか怪しい。それでも細い指を顎に遣る行為は、彼が理解している証拠であった。再度遠くで鳴った雷に気を取られて、ふたりは改めて雨水垂れるガラスを見る。


「花火、見てみたいものですね。どうやらイズルは、それが好きそうなので」

「えっ、俺いつ話した?」

「それは聞いていれば分かります。いつもイズルの話は大雑把ですが、先程のものはとても適切でした」


 喋り方で見透かされた。いつになくどきりとして貫はぼろを出す。アッシュにとっては変化のない日常会話でも、青年にとっては思い出のあるものだった。


 十代半ばの頃の記憶を探って、照れながら続ける。


「いや、まぁ、警察か花火師か、ちょっと迷ってた時期もあったくらいだ」

「職業ですか?」


 そう、と肯定して、奥底に眠る胸の内を語る。警察と花火師、全くの共通がないように思えるも、貫にはどちらも憧れの強い将来の夢だった。結局のところ、父に薦められ警察への道を歩むことになったのだが。


「花火って、ゾクゾクするんだよ、綺麗だし。夏の風物詩だから、いまくらいしか見れないけど。暑い季節に熱い火花を楽しむなんて、物好きだよな」

「冬が寒いのは知っていましたが、夏が暑いのは知りませんでした」


 最近は車での寝泊まりが多かったので逆に落ち着かない。窓に映る簡素なシャツもハーフパンツも、違和感でしかなかった。だからなのだろう。妙に貫もアッシュも口が滑る気がする。


「雨の匂いも、陽の強さも。人の言葉ですら、覚えていたかも怪しいです」

「……そうか」


 焦げた煙が、いまだに鼻の奥に残っている。あれから七ヶ月経つのに、鮮明なくらいに思い出される。アッシュなら尚更、地下での生活もあって忌まわしい記憶だろう。訊くべきか訊かざるべきか。ただその躊躇いを嘲笑うがごとく、少年は言葉を紡いだ。


「イズルと外に出て良かった。おかげさまで自分なりの美の定義を考えることができました。とはいえ、シスターも初めは彼女なりの美学を貫いていたのですよ」

「美の、定義?」

「イズルにとっての美とは何だか、答えは出ましたか?」


 それは以前、早朝の空に溶けるように消えていった他愛もない会話だった。美しいとは何か。答えは人それぞれだと返してしまった結果、己の意見も述べなければならなくなったのだ。実はすっかり忘れていたのだが、どう答えればいいのか、どこかで分かっている気がした。


「そうだな……。命を、燃やすこと……かな」

「ふむ」

「あー、いや、しっかり言うと恥ずかしいから、あんまり聞かないでくれ!? その、今年に入ってからさ、自分のいた環境とまったく違うことがありすぎて。のほほんとしてるだけじゃ、できないこともあるんだって思ってな」


 日常が怒涛によって壊されていく。それに伴って、思考能力にも変化を生じさせねばなるまいと感じていた。いつまでも考えなしに突っ走っていけるほど、大人の世界は甘くなかった。


 いつかアッシュにも分かるときがくるのだろうか。あるいは聡い少年のこと、すでに気付いていて、あえて立ち位置を外しているのかもしれない。


「イズルらしい答えですね。生を燃す、とは」

「恥ずいからやめろっての!」


 いつの間にか少年は外を見るのをやめて、隣のベッドに腰掛けている。丁寧に薄いレースカーテンも閉めていた。長い睫毛を伏せれば物憂げな雰囲気すらも醸す。貫が着ればくたびれた部屋着も、古代エジプト少年王の装いに見えてくるようだった。


「オレの美しさは、秩序と共生です。では、おやすみなさい」

「は? ち……きょ? え、ちょっ、それだけ言って寝るなよ!?」


 やけに難しい言葉を並べられたので、理解をする前に横になられてしまった。音は分かる。ただ意味が分からない。少年を無理に起こすのも成長の妨げになるのではと考えれば、伸ばした腕を引っ込めるしかできなかった。こういうときに大人の威厳を見せられず、貫は少し唸って結局電気を消した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る