七月(ティスリトゥム)

フィラウティア(自己愛)

「僕は母さんを殺す」


 言葉と同じ内容のメールが警視庁に送られてきたのが数日前。サイバー犯罪対策課に協力を要請したところ、すんなりと犯人が割れた。都内在住のしま ひたくという、十七歳の少年だった。


「な、何を言い出すの、この子は!?」

「えーっと、昇くん。その……」


 そこで駆り出されたのが貫とアッシュだ。九割方いたずらだろうと軽くあしらわれ、あまり実績のない警部補と、その補佐が出向いている。アッシュなら歳も近いし、との意味不明な理由で放り出されてしまった。そもそもアッシュが警察の人間認定された覚えもないし、警部補の補佐がいるなどというのも聞いたことがない。無論、巡査や巡査部長の人間であれば話は別だ。だが少年はそのような者ではない。


「冗談でも、そんなこと言っちゃダメだし、警察にメールしちゃいけないよ?」

「じゃあメールしなかったら良かったの?」


 昇は細く高くしなやかそうな身体なのに、猫背であるのが気になるところだった。歳相応の成長期に相応しくない体勢だ。色白でそれなりに顔立ちはいいのに、前髪が長く目にかかっている。


 彼はいわゆる、引きこもりというやつだった。豪邸でもこういう子はどこにでもいるんだな、と貫は頭の片隅で思う。全体的に吹き抜け構造で天井が高く、しかし空調がよく利いており七月でも汗ばむことはなかった。家具も食器も衣服も、目に見えるものはほとんど高価そうである。革張りのソファに掛ける親子の、その息子だけが、どうしてかその空間に不釣り合いだった。


「こ、こら昇! 馬鹿なこと言うんじゃありません! ごめんなさい、うちの子が馬鹿なばっかりに……。警察の方にご迷惑をおかけしてしまうなんて……!」

「いえいえ! 何か悩んでいることがあったら、お兄さんが相談に乗ってあげられるし! その、やり方はちょっといけなかったけど」

「申し訳ありません! ほんとにこの子は……!」


 そのやりとりを何度かやったが、結局昇が口を開いたのはあの一言しかなかった。母親がこれからきつく言い付けると言うので、今日のところはとりあえず本部に帰ってきたのである。


「ま、若気の至りってやつかね? 俺も学生の頃良くやんちゃしたなー」

「イズルはいまでも無茶しますけど」

「ぐ……! それとこれとは別だろ!? っつーか、誰のせいで無茶してると思ってんだよ!?」


 ほとんどは犯罪者のせいなのだが、アッシュといるとロクなことがない。間接的に巻き込まれているような気がしてならなかった。もちろんそれは時の運などが重なり合っているだけなのだが、とんだ疫病神を拾ったと貫は思うばかりである。


「ぐうの音が出そうでした。自らが望んだことが、結果として現れただけでしょう?」


 再びぐうの音が出そうになり、すんでのところで口を噤んだ。


 いやいや、自分がそこまで気圧されることはない、と貫は思い直しアッシュを軽く睨んだ。


「足手まといがいるんでね! 変なことに首を突っ込むもんだから、優しい俺は助けてやってるの! 屁理屈言うなら留守番にするぞ?」

「おやおや、ふたりで補ってきたものだとばかり思っていましたが。足と手が使えないなら、頭と口を使えばいいのですよ」

「……バカ言え」


 頭と口が達者な足手まといには、それしか反抗できなかった。子どもの扱いには慣れていない。先程の昇に対しても、どう答えるのが最良なのかは判断できなかった。幼い心は繊細で傷付きやすく、ガラス細工を思い起こさせる。それを何度も製錬し頑丈にしてやるのが大人の役目なのだ。細かい切れ込みは砂でこすって、さらに灼熱のビードロをコーティングしていく。


 丁寧に丁寧に、しかしその工程の途中で、巧妙な工芸品だったものは、いつしか無粋なガラス玉へと変わるのだ。築いてきた若いガラスの感性は、何の変哲もない量産型の大人へと転じる。





「昇! お前は……っ、出来損ないなんだから、部屋の奥でじっとしてなさいよ!」

「ご、ごめんなさい、母さん」


 左の頬を思い切り引っ叩かれて、昇は顔を俯ける。軽い耳鳴りを引き連れながら、彼は謝る音を口にした。母からはずっとその態度を強いられてきたのだ。自分は出来損ないだから、何もできない落ちこぼれだから、母の手を十数年煩わせている。


「もういい! 戻ってて! もう迷惑の掛かることしないでよ!!」

「……分かった」


 見方によってはヒステリックと捉える者もいるだろうか。そうではなくこれは、母に心労を掛けさせている自分への罰である。仕方のないこと。昇は悲しくも短い人生を恨む。母親に私怨はない。されど、こうするしか自分が望む道はない。

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