ホントはどうでもいいオンナ

「っ、アナ……!?」

「ど、して……?」


 その組み合わせは、絶対にないと思っていた。夜叉の好みは年上で、ご飯を奢ってくれるお姉さんで、あたしみたいな。


 と、そこまで考えていたら雨が降ってくる。梅雨はまだ終わっていなかった。


「悪いけど、俺たち、付き合ってるから。妹みたいな子が、タイプで……」


 妹。姉ではなく。


 それを言うなら自分だって妹だ。戸籍上は姉が存在しているし、気は強いキャリアウーマンタイプだが実際は妹である。日本語は都合がいい。みたい、と付けるだけで兄弟関係も無視できる。可愛くて守ってあげたい子が趣味なのだと言われて、アナの思考は止まりかけた。


「…………そう」


 雨脚が強くなる中で、その答えは届いただろうか。別に届かなくとも構いやしない。また愛する彼を買えばいいのだから。きっと芽衣だって今夜は息抜きのために夜叉を買ったのだ。ノイズはいつの間にか除去されて、アナの都合の良いように改変されている。


 足りないのだ。彼を振り向かせるには金額が足りない。財布に入っているはした金では振り向かせられない。それに気付いてアナは走り出した。


 コンビニで全額下ろしてもまだ足りないのではないかと不安に駆られ、気が付けば自宅に帰っていた。どこか、どこかに貯金や忘れているお金はないだろうか。探して探して、やがて物を売ることを思い付いたがすでにこの時間には質屋はやっていない。ならばどのようにして金を稼げばいい。


「あれ、あたし……何のためにやっているんだっけ?」


 そうしているうちに目的さえも見失って、アナは立ち尽くす。何を見た。あの汚い小道の隅で、自分は何を見た。そう、愛する彼と手を繋ぐ親友の姿。だが彼はもともとホストで、偶像で、店に来る女性客のものだ。


「そっか、救わなきゃ」


 なれば、これ以上己のような悲しい女を産むわけにはいかない。偶像は存在しない。そこに愛を傾けてはいけない。虚構を好けばいつか負の感情を生じさせる。

すべきことは決まった。悲しいけれど、さもしい未来を味わわせてはいけない。


 だから、アナは、芽衣を刺し殺した。





「マリー=アントワネットをご存知ですか?」


 アッシュが突拍子もないことを呟くものだから、貫はホットコーヒーを少し噴き出した。


「ぶ! ッゴホ! ふぇ!?」

「マリー=アントワネット=ジョゼフ=ジャンヌ・ド・アプスブール=ロレーヌ・ドートリシュ、ですよ」


 と言われても、彼女の本名はいまここで知った。世界史の本をネオンで熱心に読みながら、貫に語りかけてくる。マリー=アントワネット、ならご存じだが、それがどうしたのだろう。


「はあ、まあ、名前くらいは……」

「彼女はたいそう美人だったそうですが、残念ながら処刑されてしまいまして」

「あー、それは知ってる。ケーキがなければパンを食べればいいとか、何とか」

「逆ですよ、イズル」


 殺人容疑で逮捕された夏目 アナは、別の刑事に連行されていった。彼らは事件前の持ち場に戻って、気分新たにコーヒーで眠気を覚ましているところだ。もっとも、あのようなことがあった後で眠れるはずもない。これは本当に気分転換のためだった。


「彼女は、国に殺されたのです。浪費家で、間者で、色魔なのだと作り込まれた。傾国の美女との言葉もありますが、それも逆だったと考えると面白いものです」


 言葉の意味が分からず、貫は首を傾げる。眠気はないが、頭が冴えているわけではない。最近は夜に活動することが多いので寝不足続きだ。


「国が傾いていたから、たまたまいた美しい王妃を犯人に仕立て上げ、王を、国をかどわかしたのだと歴史書に記した。……過去のことは解明されていないからどうとでも言えますがね。人の都合など、意外とそのようなものです」


「つまり夏目は……」コーヒーを煽って思考の続きを述べる。「相手の男の気持ちが被害者に傾いていたから、女を刺した、と?」


「彼女の場合は、少し違います」


 そうして一呼吸置くと、雨粒だらけのフロントガラスを見つめる。ワイパーすらも動かせず、深夜にひっそりと息を潜めていたのだ。


「耐えられなかったのですよ。愛する親友が、同じ男を愛してしまったがために、自分と同じ苦しみを味わうのが。……雨、上がりそうですね」


 雨の音も趣深かったが、アッシュと雑音なく会話できるのも悪くない。それに雨の中の運転は視界が悪くて仕方なかった。もうすぐ梅雨明けだと聞くし、これから暑くなるのかもしれない。


 貫も、アッシュの瞳と同じ色の空を覗き込んだ。



       熱い絆 編     終幕

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