大安売り

 慌てて樽場を見るが、彼には何も変わった様子はない。変化したのは鏡越し、片割れの同僚だった。つい先程まであんなに元気だったのに、昏倒したように眠りこけている。


「次第に楽になります。貴方方の運が良ければ、死ぬことはないですよ」

「ぐ!? ぬ……!」


 急激に重くなる瞼に、貫は抗えず奥歯を噛み締める。夜は慣れているはずなのに。どうしても勝てない。


 遠退く意識の中で、ようやっと車が停まった感覚があり、起きているふたりの会話が微かに耳に入ってきた。


「勝負は楽しいですね。長年ディーラーをやっていると、ワタクシも賭けてみたくなるのです」

「望月、だが勝負は無効さ」

「ああ、そうかもしれませんね。樽場様ご自身で止めてしまわれましたから」


 穏やかに談笑している。この場にそぐわない、異様な会話だった。


 ――それなら最初から、行き着く場所は決まっていたじゃないか。


 樽場は公務員よりも、茨の道を選んだのだ。止まりかけたホイールは、樽場自身の手で止めてしまった。ジョーカーの位置で。

 結果だけ見れば勝利者は望月だ。それ以前に客側の反則行為である。それでも樽場は、身を焦がす衝動から抜け出すことができなかった。相手に勝ちを与えてこそ得られる快楽。その瞬間、分かってしまったのだ。この歪んだ世界を。


 不安定なトランプタワーに君臨する王を守るため、従者たちが命を懸けて守っていく図式を思い付く。賭け事に対しては、本当に彼は手を下していなかった。手を加えていた真の正体に気付いて、樽場は観念する。享楽に魅入られそうな者をそそのかしているのは、同じく享楽に骨まで魅入られた者たち。


 客は客を呼び、この裏カジノは存続し続けているのだ。


 運命の歯車は、残念ながらここで止まった。誰かが勝てば誰かが負ける。勝負とはそういうものだ。警察にとっては負けでも、樽場にとっては勝ちなのだろう。


「さて、彼らは生き残れるでしょうか? ディーラーとして、この場を支配するのも悪くはないでしょう?」

「薬はお前が用意したもので――いや、何でもない」


 現場から望月を連れ出す前、彼は小さな薬袋やくたいを机に並べた。


 お好きにどうぞ、と言われて樽場は一瞬の逡巡を見せる。選ぶか、選ばざるか、選んだとしても使わず捨て置くか。数多くの選択肢が目の前に現れた。急に、ディーラーになった際の手腕を求められたような気がした。


 運が良ければ死ぬことはない。何が包まれているかは望月は語らなかった。が、その意図は語らずとも明確に樽場に伝わっていた。

 パトカーに乗り込む者は樽場が決めている。二人の部下の顔が脳裏に過り、だが瞬時にして結果を出した。


 少しも欠けることのない満月の明りを浴びながら、彼らは、次の根城へと歩を進めていった。




「イズル、おはようございます」

「……ふあ、ん、あ。ア……シュ?」


 太陽が燦々と降り注ぐ山道で、貫は懐かしい声に起こされる。高く聳える杉林の間に、遠い遠い空に似たアッシュブルーの瞳を見れば、ここは現実なのだと悟った。既定の量より多かったのか、それとも思惑より少なかったのか。どうにも頭が痛い。


「薬を盛られるのは二度目ですね。いい加減学習してください」

「悪、い」


 今回こそはバツが悪い。同僚が複数いたにも関わらず、警察としての仕事が成せなかったからだ。本来ならば望月を検挙して、浮かれ気分の朝だっただろう。こうも寝覚めが最悪では、さすがの貫とて申し訳なく思う。


「望月 真信。彼はこうやって人を飼い慣らし、毎回逮捕から逃れているようです。検挙だけに駆り出されるのではく、潜入捜査に、もっとイズルを推しておけば良かった。貴方ならこうはならなかったでしょう」


「俺を買ってくれるのは……嬉しいけど」貫は口の端を吊り上げた。「一端の高校生まがいに、そう言われてもな」


 複数の刑事を引き連れたワイシャツの少年は、恰好だけ見れば立派な同類だ。ご丁寧に白手袋まで嵌めている。観察眼、現場整理能力に長けており、貫に淡い嫉妬心まで生じさせていた。


「オレには確信があります。確率の話ではなく、イズルであれば結果は変わっていた」

「……確率の、話だろ?」


 多くの者から信頼されていた樽場でさえ、負けてしまった。それともあれは、向こうにとっては勝ちなのだろうか。


 それなのに、自分が前線に出てどうなる。内に秘めたる情熱すらも矮小に見られる『若者』という生き物は、どうにも生き辛さを感じなければいけない場面があった。おのずから希望を捨てて進むことだってある。


 す、と手袋の右手を差し出され、重い身体を預ける。立ち上がると、ふわりと新緑の匂いがした。もうすぐ、春である。



        悪徳ディーラー 編     終幕

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