‐わたしは明日死ぬだろう‐

「ね、本当に覚えていないのかしら? そのキスツスが届く前に、何かあったとか」

「う、うーん……。どうだったかなあ?」


 一生懸命頭を捻って考えるが、櫻にはやはり思い当たる節がない。それどころか普通に生きているようにしているので、誰かに危害を加えたことは全くないと思っていた。


「あれ、そういえばお花の名前――」

「誰か……何かを踏み躙ったとか、場所を荒らしたとか。ここ最近で、覚えてないの?」

「え? えー?」


 どうしてか櫻の質問を遮って、彼女は具体的に示してくる。事件のことで何か手掛かりがないかと必死に広げていた意識を急に狭められて、櫻は焦ってしまった。シナプスの鈍い反応に、これ以上は追及できないと葵は話を切り上げる。


「そう、残念ね。やっぱりやったほうは、何も覚えていないのね」

「ん? どういう、こと? はれ……?」


 視界が歪む。目にゴミでも入ったのかと擦ってみるが、そのぼやけはあまり取れなかった。葵がそれを見て取って、おもむろにカバンから何を取り出す。何やら、白く細長い棒を口元に抑えつけたかと思えば、カチッと音を立てて小さな火が灯る。


「ふえ!? 安歩ちゃん、タバコ!?」

「ふう、……あら? いけないことかしら?」

「い、いけ、なくはないけど……いやいや、いけない、いけない! 未成年だし!」


 反応があまりにも想像通りで、葵はくすくす笑う。いままで復讐した少女たちも似たような行動を起こしてくれた。こちらからタバコを奪おうと奮闘してくれた者もひとりいたが、酩酊している体では何もできやしなかった。


 麦茶に混ぜたのはスピリタス。少し薄めたって、無垢な少女をすぐに酔っ払いにすることはできる。アルコール臭に違和を感じてはいたものの、何も考えず呑んでくれた。茶を持ってくる間に消毒も兼ねた制汗スプレーを振ったのだと言えば大概は信じてくれる。


「そうかしら? だって榴ヶ岡さんも、飲酒してるわよ?」

「ふぇっ?」


 知能指数の低い奴らは、いまだ守られる存在なのだと勘違いをしている。害を被ることは、自分にはないと信じ切っている。


「でもしょうがないわよね? だって私の花壇を荒らしたんだもの」


 さらに、己は常に正しいと思い込んでいる。他人に害を与えたのに、善意だからとちっとも悪びれやしない。


「花、壇……?」

「まだ思い出せないの!?」意識が朦朧としてきた相手に葵は怒りをぶつける。「完璧な私の世界をめちゃくちゃにしやがって! もういい、もういい……!!」


 それきり櫻の記憶は途絶えた。ごとりと頭から倒れるのを確かめると葵は変わらず鬼の顔で少女を見下す。やることはもう決まっている。これまでふたりを殺害した手順と全く同じだ。タバコの煙を吐いて、昏倒する櫻の腹に火種を押し付けた。苦痛の表情が若干見られるが、意識が飛んでいるので無抵抗である。


 完璧な世界を穢した邪魔者に生きている価値などない。植えた場所が変えられてはどこに何があるか分からなくなるではないか。葵の世界ではあの惨状は、散らかってなどいないのだから。




「葵 安歩、逮捕する」

「……遅かったですね」


 急いで駆けつけた貫たちを、葵は冷たくあしらう。榴ヶ岡家からしれっと出てきた彼女は、特に変わった様子はない。友人に別れを告げて帰宅する、日常のワンシーンそのものだ。いたってありきたりで、隠れ潜む脅威には見えない。


 彼女にとっては、当たり前のことだからだ。邪魔者を排除する方法が、ただ世間と違っているだけ。


「一歩間違えばストーカーですよ?」

「櫻ちゃんは、どうした?」


 心臓が早鐘を打っている。答えはすでに決まっているのに、葵の口から聞くまで思考能力が働かなかった。本当は分かっている、櫻がどうなってしまったのか。真意を暴くか隠すかで、生きる世界が変わっていく。悪意を見ようとしなかった櫻に、葵の心は救えなかっただろう。


「見てきてもいいですよ。でももう助からない」

「アオイ、残念です」

「は?」


 アッシュの文言は、まるで好いてくれた女を振るようだった。

 その実は違う。残念だと称したのは、彼女が彼女で決めたルールを破ってしまったからだ。葵の美学はそれなりに、アッシュの琴線に触れていたのだが。


「キスツス――ゴジアオイになぞらえての犯行だったのでしょう。テリトリーを侵されたから、こちらも復讐してやろうと思ったのですね?」

「……そうだけど、悠長に喋ってていいんですか?」

「構いませんよ。顛末はもう決まってしまっていますから」


 遺体の部分が残るか残らないかだけ。アッシュと葵にとってはそれだけのことだ。そして貫は渋い顔をしながら、手錠を掛けるタイミングだけ計っている。引火性の強いアルコールは良く燃える。被害者三名、その事実だけが報告書には残るのだろう。


「けれど残念ながら、今回ばかりは完璧ではなかった。それがすぐ、解決に至った要因です」

「完璧、じゃなかった? この私が!?」

「そう、これでは本末転倒です。途中まではうまく演じていましたが、やはりオレの想像を超えてはくれない。少年院の中で思い出してあげてください」


 そう告げて、アッシュはゴジアオイの花束を突き返す。萎れえてしまった花弁からは、これが火災を引き起こすものだとの想像がつかない。少女はただ茫然と花を見つめていたが、やがてハッと気づいて顔が青褪めていく。


 そこで貫がやっと動き、車に乗るよう促した。黙って従う葵の横で、アッシュは最後にぼそりと呟いた。


「花言葉すらも愛していた、アオイがするべき行動ではなかったですね」




       わたしは明日死ぬだろう 編     終幕

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