‐恋の喜び‐
そうして結局、彼の思い通りに盤上は進んでいく。呼ばれた貫は唇を尖らせて運転席へと移動した。どうしてか櫻もアッシュに倣って同じように後部座席へと移っていく。
まるでブライダルカーの運転手だ。後ろに空き缶でも括りつけてやろうか、と皮肉を述べようと試みて、やめた。バックミラーから若いカップルをねめつける。
「んで、どこ行くんだよ?」
「フレア女子学校、中等部校舎までですよ。……その花は、今朝あったものですか?」
後ろ半分は櫻に向けての質問だった。目を輝かせてうんうんと頷いている。
二人を邪魔するのも野暮か。と、貫が無言で車を発進させた。フレア女子校はここから徒歩で二十五分程度。車なら四、五分で着くだろう。ゆえに、ひと時の幸せくらいは味わわせてやろう、との少しの優しさの現れである。
「そうですか、なら急いだほうがいいかもしれません。それは教室の、卓上にあったものですよね。サクラが来る前に登校した人物がいれば有益な情報も得られるかもしれません。聞き込みに行きましょう」
「躍起になってるとこ悪いけど、全員に話聞くのは骨が折れるぜ? ってか、今日って平日だろ!? 櫻ちゃん、学校はどうしたんだよ!?」
「やっと気付いたんですか? 学校に行かなくとも死にはしませんよ」
いつものように押し問答を繰り広げていると、瞬く間に目的地に着いてしまう。校門を目にすれば、櫻の顔が一気に青褪めた。彼女の話が本当なら、友人と自分の命を掌握させられている場所だ。
今度はお前の番だ。
と宣言を突き付けられて、動じない者などいない。それも得体の知れない人物が自分を狙っているかもしれないと思うと、呪いの類でなくとも――むしろそれ以上に――恐怖は増していくのだろう。
「ね、ねぇ、わたしのこと、守ってくれるよね?」
アッシュのシャツを引っ張って、不安げに見上げてくる。彼は何のためらいもなく真実だけを告げた。
「本日は心配ないです。安心してください」
「そ、そう……?」
「それよりイズル、早急に、学校へ捜査の承諾を取ってください」
「へー、へー。ま、もともと生徒が被害に遭っているわけだし、すぐにOKは取れると思うぜ。聞き込みが終わったらアッシュ、一度打ち合わせな?」
それだけ言い放って、貫は校門を抜けていく。すでに事件として処理されたことは黙っておこう。新しい証言が出てくれば事態は変容する可能性だってある。もちろん何も出なければ時間の無駄になるだろう。そのときはそのときで、あとで反省すればいい。
ついでに車の置き場所も訊いてくるつもりだ。交通課に駐禁なんぞ取られた日には、部署内の笑い者である。
残されたアッシュはこの機会に櫻と話をするべきだと考えた。恋の話ではない。事件の話だ。
「サクラ、友人の机にも同じ花があったとのことで間違いないですか?」
「う、うん」
「贈られたのは、事件の前日ですね?」
こちらから発言していない情報をずばり言い当てるアッシュを、少し恐怖に感じたのだろう。目を泳がしながらも首を縦に振る。
「初めて花を受け取ったのは? 友達?」
「え、と……そう、楓だった。ちょっと気になったけど、キレイなお花だし。女子校って、女の子から女の子への贈り物も普通にするから、誰かからのプレゼントかもって」
「連続放火犯に心当たりは?」
生々しい単語を突き付けられて、幼い少女は一瞬戸惑った。邪悪な世界にまだ慣れていない。その本当の意味も正体も、いまだ知らないのだ。無意識に脳にブロックをかけて、フィクションの世界を作り出す。
黙っている彼女を見て取って、不識なのだとアッシュは勝手に解釈する。
「ふむ……。では、花や植物に詳しい友人はいましたか?」
「あ……」
今度は少し考えて、櫻は口を開く。そこまで親しくないけど、との前置きをわざわざ言う辺り、逆に関係性の興味を惹かれた。
「委員長、かな? 学校の花壇にいつも水あげてるし、頭もいいから。でも! 花の名前を訊いても、分からないって」
彼女の言うことは本当のようで、それに関してはしっかりと視線を交えて断言してくれた。
親しくはないが、ある程度言葉を交わす仲のようだ。知り合いを事件に巻き込むことに気が引けるのか、少女は少し言い淀んでいた。櫻は自分たち三人の他に仲良しグループを作っていない。狙われているのは明らかに我々で、誰かに縋ればその他人を巻き込んでしまうのでは、との不安に駆られている。
クラスメイトには、これ以上いなくなって欲しくはなかった。しかし次の標的が己だと気付いて、落ち着いて他人の心配まではできない。
教師や警察が属する大人界隈には相談済みではあるも、いま現在で解決の糸口にすらなってはいなかった。
「いいですかサクラ、キス――」
「おい」
「おや」
静かで短い男の怒声を聞いたのでアッシュが顔を上げると、窓の向こうから貫が覗き込んでいた。笑顔を引きつらせて見下す保護者を、首を傾げて純粋に見つめている。
「お前、さっき、不純異性交遊は処罰もんだ、って言わなかったか!?」
「処罰が下るのはイズルだけですよ。オレはまだ警察の人間ではないので」
「え? ……えっ?」
ひとり状況が飲み込めない櫻の表情は、白くなったり紅くなったりを繰り返している。瞬間、アッシュの最後の言葉を思い出して、掌で顔を覆ってしまった。
キス。とは何を示していたのだろう。
「ほら、サクラが泣いてしまいました。渋面を収めてください」
「お前な……! 泣かしたのは、アッシュだろうが!」
しばらく押し問答を繰り返したのち、それでも理解できないと無言で訴えるのでいずれは貫が折れることになる。頭を掻いて車に乗り込んで、駐車場に移動することにした。大して多くもない自分が言うのも何だが、男として恋愛経験を積ませてやるのも大事だろう。
「……いやしかし、どうしたものか」
途方に暮れてぶつぶつと独り言を呟くだけでは、アッシュと櫻が進展することはなかった。
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