ホイール・オブ・フォーチュン

「ツイてない? このワタクシが?」


 望月は護送車の中で、警察官の下卑な煽りに応えた。捕まったのだ。樽場の潜入捜査の賜物である。初めて見る望月は指の体操をしながら疑問によって首を傾けた。手錠がかけられているにも関わらず、何とも悠然たる態度で、枷の重さを感じさせない。


 パトカー内。その後部座席。


 片方には血の気の多い同僚――彼が煽った張本人である。――、もう片方には貫が座して、真ん中に望月が余裕そうに腰掛けていた。状況が状況なのでアッシュは置いてきているが、どうしてか心細かった。車の運転は樽場なので多少なりとも安堵する。


「ワタクシの名前、知っていますか? 望月ですよ、望月。意味は満月です。一片も欠けることのない、完全な月のことです。ああ、それは少々説明しすぎでしょうか?」


 まるで優雅なティータイムを過ごしているかのように振舞っている。淑女を口説き落としそうな物言いで言い含めていた。この言動は少し、あの少年に似ている。ただ過ごしてきた年月が違うため、望月のほうが余裕も無駄な行動も多かった。ここまでなら遊んでも大丈夫、と見当をつけられる大人の対応だ。


 満月が何だと言うのだ、と横柄な態度で突き放した片方の警官に、呆れ顔でやんわり笑みながら嗜める。直接向き合えば、色香でつい同性でも眩んでしまうほどだ。


「おやおや、そのようにお叫びなってもワタクシの名前は変わりませんよ。まずは落ち着いて、ご自身の手札でもご確認してはいかがです?」


 まるでまだカジノのテーブルを支配しているかのようである。確かにヤツの言葉通り、この状況は変わらない。手錠は間違いなくかけられているし、走行中の車から逃げ出すことも不可能だ。だったら、と少し気持ちが揺らぐ貫とは対照的に、反対側の男はさらに怒りで顔を紅潮させていた。


「だったら黙っておけ!」

「ディーラーでも会話は楽しみたいのですよ。ほら、フロントガラスから見える月はとても綺麗です」


 告げてふい、と正面に顔を方向転換すると、バックミラー越しに今度は樽場と目線が合った。樽場は気まずそうに視線を逸らす。その様子を見て取って、望月は一層柔和に笑った。


 時は本日、カジノ潜入の直前にさかのぼる。そろそろギャンブルの沼から抜け出そうと突入隊を控えさせていた樽場は、入店の時点で違和感を覚えていた。望月以外誰もいなかったのだ。客どころか、彼のお付きのボーイや受付すらいない。


 理由について彼は多く語らなかったが、こちらの正体や覚悟に、確実に気付いていたと見えた。だから望月は他に影響が出にくいように、ひとりで待っていたのだ。しかしそれなら、全員で逃げることもできたはずだ。


「お待ちしておりました」


 そう豪語して、樽場の心情をざわつかせる。他の尻尾がなかったのは手痛いけれど、望月に手錠を掛けられるだけマシだろう。不審なことは考えるな、考えるだけ無駄だ。鎖をじゃらりとちらつかせ持ち場にいるディーラーに近付いていった。


「一席だけ、お付き合いしませんか?」

「あ?」


 にこやかに、まるで接客を続けているかのように恭しくテーブルを指し示す。いや、客ならここにいるのだ。今夜はたったひとりの警察官のために、ディーラーはテーブルについている。いつだって望月は、樽場を客として扱ってくれていた。


「いまさら、何だって言うんだ?」

「本日はに、樽場様しかいらっしゃっておりませんので、ぜひワタクシと勝負を。いやぁ、何年ぶりでしょう」


 緑色の卓上の端にはビッグシックスが乗っていた。それを仰々しく持ち出して、ふたりの間に置き直す。樽場は無意識に何かを賭けようとしてポケットを探ったところを、望月に止められる。


「簡単なことです。いまは二人しかいませんから、ジョーカー、もしくはフラッグに止まればワタクシの勝ち。それ以外に止まれば樽場様の勝ちです」

「そんな……確率的には俺が有利、だろ?」


 針が停止する項目は全部で五十四枠。その中でジョーカーとフラッグは一枠ずつしかない。賭ける際、最も掛け金が多くなる、一発逆転を狙う場所だ。五十四分の二。これならば、誰だって勝てる。


「ええ、もちろん。樽場様が勝てば、ワタクシはおとなしくお縄につきましょう」

「おいおい、本当に捕まってくれるのか?」

「それが賭け事の面白いところですから」


 望月はその言葉を合図に、躊躇なく歯車を回した。勢いよくパタパタと音を立てる。それがゆっくりと止まりかけた瞬間は、さながら永遠にも感じた。


 結果は――。

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