画竜点睛を欠く
「貴方が、Nか?」
問われた画家は手を止める。筆をイーゼルの受台へ置き、ゆっくりと振り返った。鉄の臭いが濃く、冷たい石肌に刷り込まれている。今回のモチーフは、胎児だった。
また、石の壁だ。あまりいい思い出のない貫は、表情硬く向き合った男の行動を探る。中年で、何の変哲もない長身痩躯の男。よれたシャツにくたびれたジーンズ、それに
日本人だ。
どこからどう見ても、ここ日本で、特に変わりなく生活をしていそうな人物だった。
「ええ、そちらは新しい卸売りの方……ではなさそうですね」
落ち着き払った口調は、どこかアッシュに似ている。少年は少し前から言葉を発しない。何かを考えているのか、それとも珍しく緊張――いや、臆病になっているのか。引き結んだ唇からは、あまり感情を汲み取れなかった。
「警察だ。事情を、聴きに来た」
「おやおや、良くここが分かりましたね。……いや、遅すぎた、と言ったほうが箔が付くのかもしれません。決してこの場所を隠していたわけではありませんからね」
アトリエは、東京のはずれの山奥だった。わずかな情報を頼りに、車で山登りをしてきたのだ。
ほとんどの刑事は現在、貫とは別の捜査員がベルから聞き出したタレコミで裏組織の事情聴取へと回っている。その合間、自分たちが掴んだしっぽは、組織のボスでもましてや末端組員でもない。
その、取引相手であった。デカい魚とは言え、与えられた正当な職務をほっぽり出してきたことには変わりない。彼を捕まえれば貫の名は警察中に轟くだろう。いい意味でも、悪い意味でも。持ち前の気楽さで臨んだはいいものの、さすがに緊張を感じざるを得なかった。
「誰から聞いたのでしょうか? これまでの仲介業者からの買い付けはもうできませんね」
男は白い指を顎に遣って束の間、思案を巡らせる。なおも己が同じ稼業を続けられると思っているかのような物言いだ。気にしてはいけない。罪を正したところで彼には響かない。
そもそも論として、罪の意識すらないと思われた。でなければこのように純粋に、澄んだ眼差しを警官に向けられるはずがない。
貫は少し迷ってから、とある聖女の名を口にした。
「ベル・ガロファーノ。奴隷商だ。貴方に商品を売っていた」
「べ、る……? はて、女性かな? 誰だっけ? 子どもたちはたくさん絵に描いてきて全部覚えてるけど……あ、もしかして。最近品質が落ちた人かな?」
ベル本人が聞けば卒倒しそうな内容をぽんぽんと平気で口にする。次いで苦笑しながら酷評を繰り出した。
「美しくなくなったよね、その……べる? って人の作品。瞳に光が宿ってなくてね。ほらよく言うでしょう? 画竜点睛を欠く、って。それと同じだったんですよ。おっと、これではボクが何を買っていたか丸分かりですね。しまったなあ、黙秘権を使うべきでした。元々お喋りは好きなほうでして」
Nは、くつくつと柔らかく笑っている。これではどちらが追い詰められているのか分かったものではない。久し振りに人と会話した楽しさを、噛み締めているようであった。
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