梅香匂う頃

   こんにちは、テルさん。

   僕の職業について、鋭いですね。

   職業柄、口外はできないので、それだけ書いておきます。

   お写真、ありがとうございます。本が好きなんですね。

   収集癖って電車とかプラモデルとか、そういうのだと思っていました。

   やっぱり凡人の発想はダメですね。

   え、いいんんですか? 是非遊びに行きたいです。

   今度仕事が落ち着いたら、いえ、次の非番の日にでも。

   テルさんは、ご予定どうですか?




『行かないほうがいいですよ』


 重い頭で、嫌味たらしいノイズが反芻される。


 ――行かないほうが良かっただろうか、あいつの言った通りに。


『それでもイズルがそうしたいなら、オレは止めません』


 ――ああ、そうだな。俺もお前も、そういうヤツだ。


 少し呻いてみせるも、自分の口から発せられるワインのきつい匂いがするばかり。平々凡々な生活を送っているので、高いワインの味など分からない。それに何かが混ぜられていたとしても。


「ぐ……あ……」

「起きたかい? 貫くん」


 霞む視界で煌びやかな照明を捉える。ここは高層ビルの最上階。食堂へのドアを潜れば中央に白いクロスが掛けられた卓。その上には赤ワインとワイングラス、銀の蓋クローシュの乗った皿がふたつあった。右手側は床と同じ大理石張りの壁で、赤いドレープが下がっている。左手側は一面強化ガラスになっており、都会の眺めを展望できた。人が一度は夢見る、最高の場所だ。酒を酌み交わしている相手から、はかりごとを企てられていなければ。先程までは信頼を持って互いに接していたはずだった。


 金持ちのイメージが強い、細長いテーブルの端と端で客と主人は宴を開いていた。向こう側に座すのは壮年男性。貫より七歳ほど年上で、大人の落ち着きを醸し出している。彼は優雅に葡萄酒を傾けてほろ酔い気分だ。光を透かしたり薫りを楽しんだり、悠長に弄んでいる。向こうは混ぜ物なく純粋なアルコールらしい。その状況が、彼が首謀者であることを物語っていた。


 見知らぬながらも心の内を知った文通相手との会食。とても気が合って、心地良くて、互いに尊敬できる人物だと勘違いしていた。その思惑は外れ、料理もそこそこに男は手早く貫を仕留めにかかろうとしている。


 机に突っ伏していたせいか身体の節々が痛い。この食卓には誰も助けに来ない。建物の構造的に入り組んでいるだけではない。男の住まいには広いにも関わらず、小間使い等も見受けられなかった。


「コレクションは楽しんでくれたかな?」


 目の前で昏倒している男がいるというのに、彼ははにかんで照れ笑いをする。穏やかな時間がまだ流れているのかと錯覚するほどだ。確かにこの男のコレクションは凄かった。溢れ出る知識は大量の本から来ていることが分かる。もとより彼が収集したものを見せてもらうとの名目で、貫はのこのこと、この屋敷にやってきたのだ。


 分厚い専門書、洋書や日本文学まで幅広く取り揃えられた隅に、法医学にまつわるものもあった。『法』とあるので法律の本かと思い貫は手に取らなかったが、注目すべきは『医』のほう。中身は、人体の構造を解する内容である。


「でも本当に見せたいものはこれからなんだ。もう少し付き合ってくれるかな、貫くん?」


 な、に、を。


 そう発音したつもりだったが、口がうまく回らなかった。手紙ならあんなに流暢にやりとりができていたのに。

 男の名はまどか テル。最近できた貫のペンフレンドであり、連続失踪事件の真犯人である。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る