喧喧轟轟
「久々の傷害事件ですね」
「普通はこういう事件のほうが捜査的には多いんだけどな……」
エナが警視庁に任意同行されている間、警部補の貫とそのバディ・アッシュは、林家周辺で捜査を進めている。屋内には鑑識がまだ残っているので邪魔にならない箇所から情報を探っている。
林 エナは、特に変わった様子もなく人当たりのいい女性だった。近所付き合いも良く、夫にはやや愛情が過剰なところもあるが献身的で、控えめだが明るい性格。そのような彼女が傷害など何かの間違いではないか、と皆口々にそう言うのだった。
「あの……」
「はい、どうしましたか?」
聞き込みを続けていると、スーツ姿の男性が怪訝そうに話しかけてきた。帰宅途中のようなのでどこかの家に戻るのだろう。周辺一帯を警察が取り囲んでいるものだから、不審がっておずおずと声を掛けてきたのである。
怖がられまいと柔和な笑みを浮かべて、貫は元交番勤務でご意見番の本領を発揮する。
「何かあったのでしょうか? そこの、家の者なのですが……」
「あ、ええっと」しかし一番厄介な家に指を差されたので、思わず笑いが引き攣ってしまった。「もしかして……林 朋喜さん、ですか?」
男性の人差し指を辿った先は、紛れもなく事件現場であった。よりにもよって最もこの場にいてはいけない人と出会ってしまうなんて。先月のNの件でようやく気付いたが、自分は口頭向きではない。にもかかわらず、何の因果か厄介なことに巻き込まれやすかった。どう説明するべきか迷っている間に単刀直入なアッシュが口を開く。いつもこのパターンだ。
「奥様の、ハヤシ エナ氏が事件の被疑者になりました」
「は!? ちょっ、どういうことですか、それ!?」
狼狽えるのも無理はない。いきなりデリケートなところを聞かされれば、誰だってそう反応するはずだ。まずは段階を踏むべきだろう。が、そこの話が上手でないともっと下手に混乱を招いてしまう。
「いったい何があったんですか!?」
「あああ、お、落ち着いてください! その、……事件です! えっと傷害の……あー」
一口に傷害事件と言っても、多数のケースがある。第一に朋喜の妻・エナはいまだ容疑者であり、犯罪者と決まったわけではない。警察には身内の心のケアも必要になってくるし、変な噂が立ってしまったら申し訳なく思う。
「家で誰かが、死んだんですか?」
「えっ?」
一瞬、答えるのに迷った。九月特有の、少し肌寒い風が通り抜けた気がしたのだ。
正体はすぐに分かる。いやに冷静だった。先ほどまで動揺していた男の落ち着きではなかった。どこか諦めたような、ついに知られてしまったのか、といった風な態度であった。
「……いえ、そういうわけでは」
その妙な姿勢に引っ張られて、貫も少し興奮を抑えることができた。引っかかりはするが、いま言及したところで不謹慎だろう。何はともあれ、親族には事情を先に述べるべきだ。
「林さんのお宅で、男性が腹部を刺され重傷です。現場では奥様のエナさんしか人はおらず、密室でした。凶器からはエナさんの指紋のみが検出。よって、奥様は……現在警視庁でお話を伺っています」
「そう、ですか。その男性は……亡くなったんではないんですか?」
「そうですね。意識はまだ戻っていませんが、いまのところ命には別条ないそうです。あ……警部! 林 朋喜さんです」
現場の近くまで寄り、目に付いた警部に引き渡す。朋喜とのそれからの会話は上の人間の仕事だ。縦社会だから指示を仰がなければ何もできない。改めて聞き込みを再開しようと踵を返したところ警部に呼び止められた。
「成神!」
「は、はい!」
「同行してやれ。面会希望だ」
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