侃侃諤諤

「あの男、自分から吐露しましたね」

「んー、そうだっけ? ……トロ? 大トロのこと?」


 車に乗り込んだあとにややあって、少年から話を振る。眩しい街灯の横を通り過ぎながら警察寮へと向かっていた。運転中なので貫は適当に聞き流している。


 深夜の住宅街に聞き込みを行っても成果はない。どころか警察の評判をますます落とすだけである。もとより殺人ではないから、そこまで重々しい捜査は行わない。


 朋喜は無事にあの家に帰れただろうか。鑑識や捜査班はとっくに引き上げているだろうが、後日何か見つかるかもしれないのでしばらく現場はそのままの状態で保つことをお願いしていると思われる。いや、表向きは犯人が自供したと調書を取っているから、もう追加の捜査はしない可能性もあった。


 しかし傷害があった家で生活するのも辛かろう。


「近くのホテルにでも送っとけば良かったかな?」

「彼はイズルと違って常識もありそうですし、心配しなくとも大丈夫でしょう。それより思案すべきなのは……」


 先程の会話。魚のトロのことでないのはアッシュの雰囲気から何となく察した。


 結果的に軽く無視してしまった形になったが、貫にとってはそこまで重要なことでもない気がしている。気が動転して要らぬことまで喋ってしまう性質の人だっているし、他愛のない話をすることで気が楽になる者だっているからだ。その辺りはアッシュより弁えているつもりだった。


 警察は多くの人間を観察する役目も担っている。元交番勤務、平だが巡査であった彼にとっては容易い作業だ。


「また警部にでも、それとなく双子のことは聞いておくよ。言われてみれば似てたよな。瓜二つってやつだ」

「ウリ、二つ。二つ……ですか。ウリ、は野菜の瓜でしょうか?」


 次はアッシュが植物のことについて訊く番だった。しかしながら答えはすでに用意されているようで、貫が口を開くより先に自分の世界へと入り込んでいる。何度目か分からない思慮に耽って、アッシュが睫毛を伏せた。


 彼が黙ると夜に溶けそうになるから不思議だ。肌の色は決して漆黒ではないのに、コーヒーに落としたミルクのように、闇に混ざっていく感覚がある。いつか離れていくまでは見守ってやれねばなるまい。と、貫は何度目かの心積もりをした。


 さて、本来ならば一ラリー前の会話で常識なしと不名誉なレッテルが張られていることに注文を付けるべきであった。彼の失言にも慣れていたので見逃していたが、年長として突っ込もうか突っ込まざるか悩んでいたところを向こうから話題を変えてくる。


「あ、参考書を購入してもいいですか?」


 少しさいなんだ貫を嘲笑うかのように、少年は少年らしく勉学に励むつもりらしい。これならまだまだしぶとく世間を歩き回っているだろう。苦笑交じりに了承し、本屋への道へ切り替える。今回は何を選ぶのかと思っていたら、しばらくして年季が入った古書を持って帰ってきた。


「あ? 何て読むんだ、それ?」


 破れかけの表紙には、ミミズが這ったような文字が書かれている。漢字のようだが、いまいち読みにくい。昔、遠足で行った、つまらない博物館で見た文章と似ていた。


「『童子字尽安見どうじじづくしあんけん』、『小野篁歌字尽おののたかむらうたじづくし』……の写本です。これは崩し字ですね。イズル行きつけの本屋は、いい意味で何でもあります。隅に眠っていました」

「へ、へぇ……そう?」


 行きつけ。


 と、アッシュは言ったが、実は初めから偶然立ち寄っただけの古書店である。特に思い入れなどあるはずがなかった。どきりと心臓が跳ね上がり、気付かれてもそこまでダメージのない自尊心を隠し、無意識に冷や汗が出てくるのを必死に悟られないようにする。ぎこちなく気楽そうに笑い、車を走らせた。


 毎度ながら夜闇の中で本を読めることに感心しながら、少ない会話を繰り返す。まだまだ暑いな、とか。これから涼しくなるようだ、とか。そのような、無味乾燥な内容。それほどまでに貫とアッシュの存在は自然なものになっていた。


「イズル、この事件ヤマ、まだ終わらない予感がします」


 不穏なアッシュの宣言は、この時点では発言力を持たなかった。当件に対する、落丁したページが多すぎたのだ。それは巧みに隠されてり合って、はたからは見目好い本を作っている。

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