美麗談議

 開いていた参考書を閉じて、少年はやっと真摯に受け応える。


「美しさは、人それぞれですよ。例えばページが揃っているとか、直角で纏められているとか」


 貫の聞きたいことではない、見た目の話から始めた。アッシュは眼球を動かして、最大限探れる一般的な美しさを語る。


「睫毛が長いとか、鼻筋が通っているとか。星が瞬いているとか、電飾が煌びやかだとか」

「お前はそれが美しさだと?」

「そうですね、それも悪くはありません。イズルの持っている空き缶の凹凸だって、誰かが考え抜いた結果です」


 飄々とした態度に、多少ながらもつい苛ついてしまう。いけない、きっとカフェイン不足で眠気が来たのだ。睡眠不足は人の判断能力を鈍らせる。そんなにすぐカフェインが抜けるはずがない、と後で気付いて恥ずかしくなるのはまた別の話だ。


 貫は人差し指で目頭を揉んで引っかかっていたことを端無く訊いてしまった。


「人それぞれのものを、お前は強要したのか?」


 無意識に、当たりが強くなってしまう。ハンドルに体重を預ければ、瞼が重くなる感覚に襲われた。貫は頭を振って、非難を取り下げる。


「……いや、悪い。気持ち悪いって感じちゃえば、それだけで気分良くないしな。俺だって、苦手なことあるし」


 ベルやテルに言い放った、美しくないとの言葉。アッシュは確かに己の美徳を強要した。が、人間など、自分が不快に感じるものは避けたいと思うものだ。それは貫だって同じ。幼い頃は駄々をこねることしか知らなかったし、アッシュは特に社会経験が少ないので、回避する方法を持ち合わせていないのだろう。

 ゆえに自身の正義を振りかざすことが、唯一の切り抜ける術なのだ。


「強要……、そうかもしれません。以後気を付けます。やっぱり、もっと社会に慣れるために、勉強しないといけませんね。オレには教養が足りなかったということで」

「誰が上手いこと言えと……」

「イズルにとっての美しさを教えてくれたら、オレのも教えましょう。それまで考えておいてください」

「……はぁ?」


 語っているうちに、いつの間にやら景色は早朝へと移り変わっていたようだ。アッシュの瞳と同じ色の、煤けたブルーの空が目に痛い。月が沈んで、太陽が昇る。





「樽場さん? 樽場警部?」

「あ……? あっ、ああ。どうした?」

「コーヒーです。お疲れ様です」


 今日樽場は、朝になるまでカジノにいた。初日は早めに帰ったが、今回は深いところまで潜入してくれたらしい。太陽が昇り切った頃に合流し、貫は労いに、と自販機で買い足したコーヒーを渡してやる。


 警部も寝不足と見えて、少し意識が飛んでいたようだ。目をしょぼしょぼさせていた。


「今日はどうでした?」

「そうだな。今回も……勝ってしまったよ」


 初回ほど大勝ちでもないけれど、元手より所持金が増えている。後に警察への押収物となるとは思うが、バツが悪いのだろう。渋い表情をしながら鼻をさする。


 だが、その言動に貫は違和感を覚えた。どこが引っかかったのかまだはっきりとしない。それでも鮮明に、蜘蛛の巣に捕らえられた蝶が動くように、シナプスが引っ張られた。


「詳しくは、本庁に戻ってから話そう。徹夜になっちまったが、いけるな?」

「あ……はい!」


 アッシュは車の中で睡眠を摂らせている。春先とはいえ、朝晩は冷える。少年のためを思って毛布を用意している辺り、我ながらこの環境に馴染み始めてしまったと実感した。


 正直身体は堪えるが、休んでなどいられない。一刻も早く闇カジノを潰さなければ。餌食となる可哀想な者たちが増えるだけである。

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