五本の矢は一本一本バラバラにせよ。
当月最後の週末。アッシュに提案された通りに行動に移してはみたが、あくびを噛み殺すばかりだ。普段より早起きなので頭が回っておらず、貫は大口を開けるばかりである。
まだ薄暗く、足元には朝霧が立ち込めている。そこまで濃くはないので、それももうすぐ晴れるだろう。その結果を待つまでもなく、水分のヴェールを引き裂いて現れたのはひとりの郵便局員だった。
「あっ、すみません。お仕事、ご苦労様です」
「ああ、おはようございます! えっと……何か、ございましたか?」
朝だというのに爽やかに挨拶をする男性を見ると、眩しくて目を細めてしまう。陽射しのない段階からあれでは、昼間はもはや神々しくなっているのでは、と勘繰るほどだ。
「あー、いや、大した用ではないんですがね……。最近捜査第一課宛てに、手紙が来ていまして」
「そうなんですか? 実は、配送担当者が急に退職しまして。先週までのことはあまり詳しくないんです。警察に手紙を届けるのもこれが初めてで、珍しいこともあるものだと嬉しがっていたのですが」
無邪気にはにかむ配達員からは、特に変な意図は感じない。裏表のなさそうな、どこにでもいる好青年だった。
「ちなみに、先週まではどなたが?」
「
都会の風に乗り切れず離脱したのだろう。身内の訃報が好機となる場合もある。人がいなくなる理由など、意外と単純で明快なものだ。
「おっと、そろそろ配達を再開させませんと。こちら、本日分です。それでは、また機会がありましたら」
「うぇ!?」
配達員の男はこれ幸いと、持ってきた封書たちを貫に手渡した。ポストはすぐそこだが関係者に渡したほうが速いと考えたのである。思ってもみない事態に、掌から零しそうになりながらも何とか手紙を死守する。
その中から自分宛の封筒だけを抜き取って、アッシュはさっさと本庁内へ帰っていってしまった。久しぶりに顎に指を遣って、詩的な言葉をぽつりと漏らす。
「冥界へ、帰ったのですね」
母へと繋がる手がかりは忽然と消えた。国際郵便にしては謎が多く、内容も理解しがたいものであった。伝令を持ってくる者は任を解かれたのだろう。彼の事情がどこまで本当かはもう察する術がないが、恐らく虚偽なのでは、と感じた。害はないので罪に問うこともできない。不用意に探すこともできない。
「ちょ、ちょっと待てよ!」
郵便物を受付に置いて貫が駆け寄ってきた。まだ窓口は開いていない。雑多に置かれたそれを見て、受付嬢は驚いてしまうだろう。普段の貫なら宛先を確認して各部署を回るくらい愚直な人物像であるはずだった。それを投げ出してまでアッシュを追いかけたのは、どこか寂しそうで、そしてどこかへ消えてしまいそうだと思ったからだ。
「これが、最初で最後の手紙です。母の愛はこれ以上、オレには届きません」
「え? どうしてそれが分かるんだよ」
「伝令者の任務が終了したのです。もう続きはありません」
アッシュと母の会話すべてが分からないものだから、首を捻っているばかりだ。今月は貫の推理が――いままでがどうだったかは置いておいて――どうにも光らない。比較的平和な月だったから、第一課内も穏やかだったこともある。来月からはまたどこかで、凶悪な出来事が彼らを待ち受けているかもしれない。
「母・アルルは、すでにこの世にはいないのです。最初に受け取った手紙が、時系列的には最後に書かれたもの。この最後のものは、初めに筆を執った段階の手紙です」
「え、つまり……。順番が、逆?」
「そうです。手紙は届いた順で読むのではなく、逆から読むのが正しい。そのほうが、意味が通りやすいのです」
気が付くと彼らは自分たちの部署へと着いていた。朝の陽射しが、廊下側の窓より鋭く入り込んでいる。いつもの流れで机まで歩き、いつの間にやらアッシュ専用となっている引き出しをひとつ開けた。三通の書簡を手に取りそれぞれ広げていく。
「一通目は諦めと呪いの言葉。二通目は哀願と愛念。三通目は忍耐と要求。そして四通目は……」
淡々と、アッシュは見解を述べていく。正直言えば、心の真意を見抜くことは不得意である。常人の思考まで覗けるわけではない。回りくどい書き方も相まって、どれが正解か不明瞭になっていた。
紙の破ける音が、静かな部屋に木霊する。
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