Close but no cigar.(近いが、惜しい)

「ち、ちょっと!? 何、変なこと吹き込んでるのよ!?」


 選択肢を増やされて混乱する貫をよそに、ベルはいかつい男の肩を掴んで猛攻していた。その形相はすでに聖女の皮を脱ぎ捨てて必死になっている。


「もう退き時だ。サイレンが聞こえるからな。セニョリータ、我々のことを喋ったら、どうなるか分かっているだろうな?」

「え、そ……そん、な。わたくしは……わたくしも、連れて行ってくれるんですよね?」


 今度は媚びを売るようにぎこちない笑みを作って、男の手を艶めかしく握る。言葉の意味を理解しているからこそ、きっと自分の勘違いだと思うことにした。


「ごめんなさい、スーツを掴んだことなら謝るわ。もしお金が必要なら、言われた分だけ払えるようにしますし。わたくしの奴隷は一級品ですから、また場所を用意していただければいくつだって仕立てられます!」


 大きな指に細い指を絡めて、次いで肩の皺を伸ばしにかかる。男は相変わらず冷たい瞳でベルを射抜いているままで、眉ひとつ動かさない。それどころか逆に、興味を失った色を見せ始めている。

 何か言うのかと葉巻をようやく口から外すと、ベルの顔に向かって煙を吐いた。


「うっ!? ガホッ!」


 それは冬の寒さで凍えた吐息ではない。紫煙だ。健康被害についてはどうか知らないが、少なくともベルにとっては苦しいものだったに違いない。煙の成分うんぬんよりかは、クライアントに見捨てられた事実が多大なる打撃だった。


「ガロファーノ」


 お嬢さんセニョリータではない。呼びかけからも分かる、首切りの合図。


「残念だが外でその話を持ち出した時点で契約は打ち切りだ」

「待って! それは……緊急事態でしょう!?」

「分からねぇのか? プロ失格だな」


 奴隷商に同レベルの玄人がいるのかも知らない。が、少なくとも自分の商品は評判がいいと聞いていた。冷や汗が止まらない。表情も崩れてきそうで、必死に口の端を引き上げている。


 どうしても回避しなければいけない。自分の行商人生が、ここで終わりを告げることを。恐怖がどうも込み上げてきて、思考が回らない。どう取り繕えば許してくれるだろうか。外でその話をしたのがバレなければ、ならばこの警官をどうにかすれば自分も連れて行ってくれるだろうか。


「も、もう一度、ご加護を――!」

「ポルカ プッターナ! 聞き分けの悪い売女が!」

「メス――はぁ!? 誰のおかげで商売できてると思ってるのよ!? わたくしがどれだけ子どもを従順にさせたか知っているの!?」

「知ってるさ。ただし、その先は警察に話しな。兄ちゃんと仲良くな。車を出せ」


 男とベルとの会話を悠長に聞いている間に、教会産の最後の奴隷は車内に押し込められていた。アステルは、これから未知のルートへと流されていく。

 意外とお喋りな、それでいて核心的なことは全く喋らない首領は車に乗り込もうと踵を返したが、再びスーツの裾を掴む者がいる。


「いや! お待ちください! お願いします! 何でもします! この下っ端警察サツをぶっ殺すから!」


 ベルがなおも追いすがってきたのだ。首領風の男は溜息交じりにその指を振り払おうとして、瞬間。


「そういうことじゃ――アン?」

「何するのよ!? 成神! 痛っ……!」


 ベルのか弱く細い腕を力強く引き留めたのは、貫である。一見、裏の組織を見逃すような構図となった。男の腕力にはやはり勝てず、ベルは口惜しくスーツを手放していく。


「何よ!? とっ捕まえるなら、こっちを逮捕しなさいよ! 国のゴミクズが!」

「ははっ! 助かったよ、兄ちゃん。じゃあ、さよならだ。二度と会わないことを祈っている」


 ひらひらと掌を返して裏社会の男は去っていく。何も言い返せない。目をかっぴらいて、睨むとも慄くとも違うごちゃまぜの感情で、時間を停止されたかのようにただ人々の挙動を窺うしかできなかった。


 いまは手が出せない。表に出て来る人物なら、どれだけ貫禄があっても末端だろう。男の歩を止める手立てだって思いつかない。負け惜しみに似た言い訳が止め処なく溢れてくる。ここで何を叫んでも、蟻の大群には全く届きやしないのだ。理念がないから。命令で動くだけの存在だから。


「ふ……っ、ぐ」


 そのもどかしさは掌を伝ってベルの腕へと渡っていた。苦痛と恐怖で顔を歪めている。惹かれていた女性の苦しんでいる姿すら目に入らないほど、貫は手一杯だったのだ。

 そうこうしているうちに固い空気を吐いて車の後部座席が閉められた。絨毯と絨毯が畳まれるような音だ。それだけで、高い車なのだと分かった。タイヤが滑り出したと同時に今度は消防車が駆け込む。こちらのドアは鉄板と鉄板がぶつかるような音がした。

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