十三月(マカルサ・アッダリ)
探偵の助手にあたる人物は、自身の判断を読者に知らせなければならない。
「おん?」
アッシュが白い息を吐きながら、珍しく自分の意見を主張した。温度を感じる余裕などなかったが、やはり地下であれ屋敷内は温もりがあったことを思い出される。参考書だろうか。先日今年最後と言ったが、事件が終わったので少しなら時間がある。ただし、帰庁すれば報告書の嵐であろうが。
「どこ行くんだ?」
「……教会に」
その要望に、貫は口を開閉させた。しかし結局何も言わずに車を走らせる。イルミネーションを横目に進んで、元職場である交番付近を通り過ぎた。アッシュはこの間購入したもう一冊のほうを忙しなく、それでいて慎重に読み進めている。科学はといえば、もう用済みになったのか、警察寮の部屋の一角に雑多に積まれていたのを思い出す。
ややあって、荒廃した、教会だった場所へ辿り着く。それと同時にアッシュも本を読み終えたと見え、車を適当に停めてふたり、静かに降りた。
街中はライトアップで華やかなのに、住宅街では街灯の冷たい光だけがこの場を照らしている。
アッシュとの最初の繋がりを嫌でも思い出すことになる場所だ。火炎舞う教会に久々に寄ったがまだ解体は行われていなかった。現在も警察の管轄下にあるのか、キープアウトと書かれたバリケードテープが貼られている。
それをおもむろに引き上げて、アッシュは隙間へと体を滑らせた。
「ちょっ、おいコラ!」
仮にも警察の前で、だ。
貫が止めようにもその忠告は効力をなさない。少年は常に、何かに守られているかのように行動している。ともすれば刹那の間に消えてしまいそうなのに、気にするでもなく進んでいく。
「建造物侵入罪だぞ、一応」
後を追いかけて貫がテープを潜る。隣に並んで溜息を吐いた。アッシュが上目遣いで保護者を見遣る。
「警察が同行していれば、捜査の一環と思われるのではないですか? 身分証明書は常に携帯しているでしょう」
胸ポケットを指し、その中にあるはずの警察手帳を示す。思わずその場所に手を置いて確かめた。触れば確かに固い、何かがある。いま現在の、己の身分を証明するためのツールだ。これがなくなれば自分はただの生き物になる。雑多な風景の一部にも、誰にでも、なれる。
「さて、イズル」
そう声をかけるものだから貫はハッとして少年を見返した。
扉は焼け落ちて跡形もない。いつの間にやらヴァージンロードだった領域に足を踏み入れていたようだ。近くには、表面が少し溶けたキリスト像が斃れていた。首には黒焦げのマフラーに似たものが巻き付いている。
上着だ。あのとき貫が神を絞殺するために脱いだものだった。
――そのままだ。何もかも。
焼けた椅子、崩れた石壁、砕かれたステンドグラス。ぽっかりと床に口を開けた、地下室へと続く道。隙間から月明かりと寒風が流れ込んでいる。
「どうした? アッシュ」
一年、経った。アッシュと知り合って約一年。しかし今晩はその歳月がなかったかのように思われる。昼に出火し、夕方前に鎮火したような。夜には鑑識も引き上げて、いまは静けさだけが残っているような。そう言えばこの放火はアッシュがしたものだった。状況が状況なために、その罪は問われていない。
「もう嘘を吐かなくても、大丈夫ですよ」
冷たい風が通り過ぎる。この子どもは、自分が何を言っているのか分かっているのだろうか。嘘を吐く必要がない、とは。言われてみればこの空間には貫とアッシュしか存在しない。ここで何を暴露しても誰も聞くことはない。
が、真意を確かめるために貫は訊きかけた。
「何を言い出すかと思えば、意味分かって言って――」
「本性を隠さなくともいいと、言っているのです」
一瞬の沈黙。目を
「…………ふーん、あっそう」
やがて諦めたように溜息を吐いた。再び上げた容貌からは、トレードマークの笑みが消えている。以前から真剣な表情を作るときはあった。だがその際、目にはきちんと光を宿すことを忘れてはいない。
しかしこの夜はどうだ。誰もいないと思って気を抜いたのか――否、ようやっと彼は皮を脱いだのだ。肩をがっくり落とし、無感情で世界を受け入れている。物恐ろしささえも覚える冷淡な態度で、興味なさそうに少年を見つめた。
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