ルダス(遊びとゲームの愛)
「あ、こんにちは、昇くん。様子はどうかな、と思って――」
「こんにちは、成神さんとアッシュくん。僕は概ね元気です。先日は迷惑な連絡を入れてしまい、すみませんでした」
「お? おおう」
いきなりしおらしい態度を取られたので、貫は委縮する。馬鹿だ馬鹿だと罵倒されてきた少年には似つかわしくなく、涼やかな優秀さを読み取った。素直に応じていればこれ以上の罪には問われにくい。恐らくはそれを考えて、昇は行動しているのではないか。
「母さんはいつもあんな感じです。でも母は悪くありません。僕が至らないばっかりに、とてつもない迷惑を掛けてしまっているのです」
「ヒタクはここで何を?」
「反省中と言われましたが、ここはれっきとした僕の部屋ですよ。パソコンとヘッドフォンに修理用の工具箱、それにゴミ箱さえあれば僕の空間は完成します」
いつからここに押し込められているのか覚えていない。生活空間を共にしたくない意志がひしひしと感じられたために、自分から望んで汲み取って、いまに至る。愚かな人間に生まれ落ちた自分に課せられた宿命なのだ。
退屈しのぎの最低限の娯楽ツールと、生活に必要な物さえあればそれで昇は充分だった。どうにかごねて手に入れたパソコンだったが、今後はもしかしたらそれも没収されてしまうかもしれない。大それたことを宣言してしまったので、遂に母親からはきつい言葉を貰ってしまった。
「いや、反省してるなら、いいんだけど……。もう、家族を心配させるような真似するなよ?」
「……それは、母に伝えてあげてください」
家族にも昇の心情を知る必要がある。
そう貫は受け取った。孤独の中で、いまにも折れてしまいそうな少年は、消えそうな淡い笑みを作る。それはアッシュと出会った頃に見たものと同じだった。
「分かった。じゃあ、その、……大丈夫か?」
立っているままだと頭を少し下げなければいけない。アッシュにはちょうど良さそうだが、貫はその体制が少し辛かった。無遠慮なれど適当に座らせてもらい、狭い部屋を観察する。若いからなのか窓はなくとも男性特有の体臭は薄い。むしろ生活臭がないと言ったほうが正しそうだ。ゴミどころか髪の毛ひとつ落ちてない、綺麗なフローリングだった。
「僕は父の跡を継ぐこともありませんし、気にすることでもありません」
本当はこの状況や、心情が溢れ出てまた良からぬことをしでかさないかの確認だったが。返ってきた答えは将来に対するものだった。
「いや、うーんと……」
うまく話が噛み合わない部分があるのは若者特有なのだろうか。ただ単に目的を話してない自分の非もあるとは思う。しかしアッシュに似て捉えどころのない少年だったので貫の思考を鈍らせた。無害に見えるが、これからどう接すればいいのか分からない。こういったところが家族と溝を作った原因でもあった。
「お父様はやはり社長ですか。でしたら家具販売の嶋グループの方ですね?」
「うちには秀才のうたがいるし、僕以外で困っていることはありません」
「家具……。だからたくさん高そうな椅子とかがあるのか」
親や妹が偉大だと、肩身が狭くなるのだろう。日々のストレスに耐えられなくなったのかも、と貫は推測した。十七歳では抱えきれない悩みから、警察にあのようなメールをしてしまったと思われる。
先刻の問いを反故にして、貫はその話に乗っかった。
「なあ、君には君の人生があるし、お父さんに振り回されず、自分の道を見極めてみるのもいいぞ? 俺だって別に、親族に警察官がいるわけじゃないし――」
「成神 貫、さん? それはおかしいですよ。ノンキャリアなのに警部補になれるわけがないじゃないですか。ご本人に訊こうかと思って待っていたのですが」
「む!? そ、それは色々あってだな……」
やっと辛うじて会話が成立したかと思ったのだが、痛いところを突かれてしまう。こちらの事情は一般市民に説明すべきところではない。けれど、どう説明しようか考えている自分がいた。こういうときはアッシュが助け船を出してくれる可能性がある、と一縷の希望を持ってちらと見上げれば褐色の少年は顎に指を遣って考え事をしていた。これではしばらく現実に帰ってこない。
が、意外なところで助けを出したのは母の綾であった。高級そうな紅茶と茶菓子を持って、もてなしに来たのだ。
「ごめんなさい、お待たせいたしました。あの、ご気分を害してはいませんでしょうか? この子がご迷惑をお掛けしていて、本当に……」
「あー! 大丈夫、大丈夫ですよ! 息子さんとは、しばらくお話していきます」
「そ、そう、ですか? ですが、何かあればすぐに呼んでくださいね。……直置きで失礼します」
ふわりと甘い間食の香りは、いまやっと認識できた。運ばれてくるまでお茶を淹れる準備や焼き菓子を温める時間があっただろうに、物置部屋の中には現在まで漂ってこなかった。世界が薄い扉一枚で分断されている気がした。
「それでは、失礼します」
母には子が二人いる。兄に構っている暇が見当たらないのだろう。一人っ子の貫には味わったことのない寂寥感が背筋を舐めた。
愛は不平等だ。それを知って、みな大人になっていく。
「それなりにいい紅茶です。ですが、マリアージュはそこまでではありませんね。一般的です」
「お前、人が出してくれたものにケチ付けるなっての」
「ケチ? は、付けていないと思いますが。ただの感想です」
人によっては青筋を立てそうな屁理屈を述べる。冷ややかで客観的な意見には、綾が逆に可哀想に思えるくらいだった。居なくなってから口を付けてくれたのが幸いだ。
「って言うか、アッシュはどこからそういう情報仕入れてくるんだよ? 前々から気になっていたけど……」
「情報化社会と言いますでしょう? これからはインフォメーションを大事にしなければいけませんよ。嗜みは生活を充実させますし、コネクションも作れます」
上質な紅茶のカップも茶菓子の皿も、二人分しかなかった。羨むでも手を付けるでもなく、昇はいつの間にかパソコンに向かって電子の砂を見つめている。
寮と警視庁を行き来するだけの生活を充実させることに意味はあるのかと貫は思うも、アッシュには彼なりのうっぷん晴らしも必要なのだろう。引きこもりの昇でさえも電子機器に齧りついているくらいだから、さもありなんだ。
「ヒタクも
見抜かれて昇はくすりと笑う。まるで悪戯がバレた子どもみたいに。
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