羊頭狗肉

「え……」


 以前も貫に問うた内容をヨウにも訊いてみる。彼は渇いた声で狼狽し、疑問以上は述べられなかった。いや、自分の意志で述べなかった。この期に及んで知らぬ存ぜぬを貫こうとしている。


「そういった演技はもう必要ないですよ。どうせ捕まるだけです。……羊のようだ、とオレは思いました」


 それは突拍子もない第一印象の思い出。ヨウを一目見たら誰だって感じるだろう。聞き込みを行った近所の人たちも、彼をそのように捉えていた。


「けれど、過剰に覆い過ぎましたね。それは偽りの皮だと言っているようなものですよ。マタイによる福音書には、このような一説があります」


 偽預言者を警戒しなさい。彼らは羊の皮を身に纏って貴方方のところに来るが、その内側は貪欲な狼である。


 そうアッシュは、小難しい文章を読み上げる。すべての意味は理解できなかった。それでも貫はニュアンスで察してみる。過剰に外面のいいやつは、信用ならない、という意味として捉えた。


 がっくりと項垂うなだれたヨウは絶望からなのか眼を零れんばかりに見開いて何かぼそぼそ呟いている。


「……僕を愛してくれているから」

「あ? 何だって?」


 ようやく聞き取れた言葉の端を訊き返すのは貫だ。アッシュは細い指を顎に宛てて何やら考えていた。くずおれた男と食卓とに目線を行き来して、ようやく合点が行ったようだ。


「一種の信仰、ですね。ですがそれは神側が行うことではない」


 常に冷静なアッシュにらしからぬ、軽蔑した音だった。軽いため息を吐いて、もう結構と言わんばかりにダイニングチェアへどっかり腰を掛ける。アッシュブルーの瞳にはすでに哀れな子羊は映っていなかった。


 アッシュの述べた通り、ヨウには一種の信念――否、執念のようなものがあった。


 愛する者は愛される者のために捧げものをするべきである。自分はいままで妻と子によく尽くしてきた。次はこちらの番だ。だが、己の望むことはいつまで経っても向こうからやってこない。


 文字通り大口を開けて飲み込むまでになるには何年かかるのか。彼は待てなかった。供物が自ら命を捧げる時を。


 ヨウにとってむことは、最も神聖なことである。眼の前に出てくる皿に乗った食材たち。それらすべては自分のために命をなげうって、その場に現れているからだ。いつしかヨウは、自分に対する最上級の敬意なのだと思うようになった。神にも等しい、己に対する祭事だと。


 故に食卓は祭壇。そのような麗しき場にふさわしくない少年の行動を見て、ヨウは目の色を変える。


「っ、そこには座るな!! 汚いガキが!!」

「はっきり言っておく」

「……っ!?」


 その文言には妙に皆を黙らせる効力があった。落ち着いているが、明らかな拒絶が含まれているからだ。吠えていたヨウも、どうしてか言葉の続きを待っている。


 アッシュはときどき、得体のしれないものに変化する。伏せていた長い睫毛をゆっくり持ち上げて、アッシュブルーの瞳でこの場を見据える。


「人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、貴方たちの内に命はない。わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠の命を得、わたしはその人を終りの日に復活させる。わたしの肉は誠の食べ物、わたしの血は誠の飲み物だからである。わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、いつもわたしの内におり、わたしもまたいつものその人の内にいる」


 今度は、ヨハネによる福音書六章から抜粋された文である。こちらも中身の意味はどうにも理解できなかったが、拒否しても音は耳を打ち付けた。あろうことか、かのキリストは神であったはずなのに、食人を肯定しているのだ。


 だがそれは神の一部を取り入れろとの話。神が信仰者を攫って食っている訳ではない。ヨウがやっているのは、そういうことだ。


「供犠、と言うのもありますがね」贄を捧げることは、かつての聖職者・ベルが最終的に至った結論である。「それは人が、進んで神に供物を捧げるのです。自らの意思で。意思疎通のない信仰ほど疑わしいものはありません。ましてや神と謳っている自らの手を汚すとは。とはいえ、ここでオレが訊きたいのはそこではありません。果たして食人は、善でしょうか? 悪でしょうか?」

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