鉛は刀と為すべからず

   お返事ありがとうございます。

   『愚痴を言い合うのが大人の文通』ってステキですね。

   そう言ってくれると心が軽くなります。

   テルさんも職場でうまくいかないことがあるんですね。分かります。

   年下は生意気だ、って言葉も痛いほど分かりますよ。

   僕の耳も痛いですが、いまの子どもは図々しいと言うか。

   上の人も、人の気も知らないでこっちをこき使います。

   でもテルさんは優しそうですね。

   テルさんみたいな人が上司なら良かったのに。

   またお話聞かせてください。待ってます。




 その後、彼らは被害者宅ヤサを二件三件、三件四件と順調に回っていくが、本当に内見のようで肩透かしを食らう。何せどこを探ればいいのか分からないのだ。証拠らしい証拠は鑑識が持って行っただろうし、残されたものは関係ないと思われるものばかり。年代、性別もバラバラの男女の失踪。共通するものは身の回りがきちんと整理されているということだけ。


 会議進行の話からもあったように、当初はこの失踪の十数件自体はすべて、関わりのないものだと処理されていた。だが現場の違和感から、細い繋がりを見出しもしや連続失踪事件なのではないかと疑っている状態である。それだって現在は確証がない。だから貫のような若者は行動力として使われる。

 やはり関係のないものであるだろうか、と半ば諦めかけたとき、アッシュが後ろから声を掛けてきた。


「生活感がありません」

「あ? あぁ、そうだなぁ」


 それでも何か落ちていないか、とカーペットをめくり床に這いつくばっていた貫が適当に返事をする。どこを回っても三歩ほど下がってついてくるアッシュは、時代と性別が違えばいい妻になっていたに違いないだろう。いったいどこでそのような作法を覚えてくるのか、貫には謎だった。とはいえ、本当は現場に上げたくはない、が本心である。


「大家に訊いても、特に怪しいところはなかったらしいです」

「おまっ! 何勝手に聞き込みしてんだよ!?」


 しかも涼しい顔で捜査に首を突っ込んでいる。急いで振り返れば少年は本棚から抜き去った小説をパラパラめくっていた。それは紛れもなく家主のものだ。手袋はしているものの現状保存の掟を破るものではない。一気に血の気が引いた。


「こらっ、勝手に現場を荒らすな!」


 懲戒免職の四文字が貫の頭を過る。細かい違いも見逃さない警察の目はいつどこで光っているか分からない。部外者を現場に上げていることも誰かに悟られてしまう。取り急ぎ本をもとあった場所に戻そうと、貫は少年の手からそれを奪おうとした。その拍子に足が何かに引っかかり軽い音を立てて跳ね飛んでいった。


「本が読みたいなら俺が買ってや――ぎゃ!」


 これ以上荒らしたとあれば、また始末書が増えてしまうかもしれない。足元を見ると、転がしたのはゴミ箱であった。よりにもよって集めにくい消しゴムのカスが散乱している。落胆しながら、真白い手袋で集約することにした。


「これは?」

「知らないのか? 消しカスだよ、消しカス。消しゴムの、カス」


 いつの間にか真剣に読んでいたはずの書物はアッシュの手で本棚へしっかりと戻されていた。初めからおとなしく触らないでいてくれれば、とさらに貫は肩を落とす。


 変なところで世間知らずが出たのか、今度少年は白と黒が混ざり合った物体をまじまじと見つめている。学校に通った者なら否応でも身近にあるのだが、彼にとっては馴染みがないのだろう。歳は十六と聞いているがやはり高校にでも入れたほうが良かったのではないか、と保護者はふと思った。


「オレは知りません」

「じゃあ学校にでも行ってみるか?」

「どうして? 現場はここでしょう?」

「……通学する、って意味だよ。学校に行けばもっとしっかり勉強できるし、こんな世界に足を突っ込まなくてもいい。消しカスも知れる」


 最後のは皮肉のつもりだ。軽く鼻で笑って黙々と現場を綺麗にする。


 対するアッシュはいくらか元気になったとはいえ、いまだ細い首を傾げて疑問を整理していた。彼が弄っていると消しカスもまるで何かの芸術品に思えてくる。実際のところ男子高校生なんぞくだらないことしか考えていないのだから、作り出せるとすれば練り消しくらいなものだ。


「ではどうして、彼女は消しゴムを? 学生ではありません」

「え……? あー、そうだな。この部屋の持ち主は、二十六歳の社会人だ。けど、使わないことないだろ。……たぶん」

「こんなに大量に?」

「ん、んー?」掻き集めてみると、片掌にこんもり乗るくらいはあった。「何か、書く仕事をしていたとか――」

「被害者の那智 ナルはIT企業で働くキャリアウーマンです。黒鉛とは程遠いかと」

「黒鉛、て……」

「間違ってはいません」


 それはそうなのだが、鉛筆の芯の成分を久しぶりに聞いて一瞬思考回路が鈍る。大事そうに抱えた手元のゴミに目を落とし、しばらくして貫はぼそりと呟いた。


「手紙」

「……手紙、ですか?」

「最近な、俺も文通にハマってて。ペンフレンドってやつだな」

「あぁ、penpalペンパル。いいかもしれませんね、その線」


 生意気にも英語の綺麗な発音で言い直され、今度貫は苦笑いを返すのみだった。

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