第110話 王子はプレゼントを渡した
断続的に降り続いた雨が上がり、重く立ち籠めていた雲が海の向こうに消え去ると、サースロッソの気温は途端に上がる。熱された石畳の道路では遠くで陽炎が揺れ、行き交う人々は心なしか疲れた顔をしていた。
容赦なく降り注ぐ日差しにじりじりと全身を焼かれ、ノクスのこめかみから首筋を汗が伝う。
「ナーナが言ってた殺意ってこれか……」
じっとりとまとわりつく暑さに、せっかくだから実際の空気を体感してみようと障壁を張らずに外に出たことをノクスは早速後悔していた。
「アイビー様が日焼け防止の魔術を教えてくださって本当に良かったです」
二人は船が出入りする港の防波堤を歩いていた。海鳥が穏やかな波の上を高い声で鳴きながら飛び交い、時折強く吹く風に乗って旋回する。フリルの日傘を差しているナーナは眩しそうに空を見上げてから訊ねた。
「それで、ノクス様。今日はどうなさったんです?」
日傘にはノクスが実験的に冷却魔術を付けており、爽やかな膝丈のワンピース姿は随分と涼しげだ。
「ええと、大した用事じゃないんだけど……」
普段なら行き先を伝えて『一緒に来る?』という程度のノクスが、今日は『ちょっと散歩に行かない?』と誘ってきたので、ナーナはあらゆる業務を投げ出して速やかに出掛ける支度をした。
しかも誘いにきた時からノクスが何やらそわそわしているため、いよいよ告白でもしてくれるのかとナーナは浮き足立っていた。だが告白にしてはシチュエーションがカジュアルすぎる気がする、と首を傾げる。
「デートに誘ってくださっただけでも私にとっては大した用事ですよ」
帰ってきてからというもの、雨期の終わりの強い雨で気軽に外に出られず、ようやく外出しても攻撃術具塔が面倒を見ることになった竜の様子を確認しにいく程度。
それ以外の時間はアルニリカがノクスの持つ魔術や技能の価値を教えに来たり、書庫から持ってきたサースロッソの伝統や文化にまつわる本を読んでいたりして、二人でどこかに行く時間が少ないのがナーナとしては少し寂しかった。
「こういうことしたことがないから、どう切り出せばいいのかわからなくて。……これを渡したかったんだ」
やはり告白、いやプロポーズかと期待したナーナの前に、ノクスは魔術収納から取り出した小箱を差し出した。綺麗にラッピングされ、花を模した美しいリボンが掛かっている。
「これは……?」
ひとまず両手で受け取り、しげしげと観察した。アコールではプロポーズに指輪を贈る風習があるが、それにしては少し箱が大きい。それに、指輪なら箱を開けて直接指にはめるはずだ。
するとノクスは照れくさそうに目を泳がせ、汗を拭うふりをして顔を隠しながらぼそぼそと言った。
「ちょっと早いけど。誕生日おめでとう」
暑さによるものだけではない赤い顔でノクスが自信なさげにふにゃりと笑うのを見て、ナーナは思考が止まった。
「え?」
手の中の小箱を見つめ、もう一度ノクスを見る。
「……ご存知だったのですか」
ナーナの誕生日は今週末だ。しかしノクスにはガラクシアにいた頃に夏の生まれだと話しただけで、正確な日付を教えたことはない。
「アルニリカ様が今年は四年分祝うって言ってたから、ナーナも本当は忙しいんじゃないか? 早めに渡しておこうと思ってさ」
屋敷内は当日の料理の手配やらゲストルームの整備やらでばたついており、ケヴィンは目下、間に合うように急いで首都から帰宅中。使用人たちの雰囲気で近々何かイベントがあることを察してアルニリカに訊ねたところ、『今週末はナーナの誕生パーティーだから!』と教えられた。
「……お母様……」
「俺がパーティーに出なくていいように、ぎりぎりまで言わないつもりでいたんだろ」
外部の客を招く誕生パーティーは貴族や有力者たちの社交の場だ。ガラクシアの王子が滞在していることは世間に知られていないのだから、わざわざ噂の種になってやる必要はない。ノクスには普段通り術具研で楽しく過ごしてもらって、家族内での誕生会にだけ出てもらおう。サースロッソ家でそのように話し合ったのだが、今まで散々イチャついておいて誕生日すら教えていないのはアルニリカも想定外だった。
「ここで開けても?」
「もちろん」
ナーナは話を逸らし、早速防波堤の端に腰掛けた。ノクスも妙に緊張しながら隣に座る。膝の上でリボンを解き、小洒落た箱を開けると――。
「これは……」
入っていたのは、シシーの宝飾店で見た金細工の髪留めだった。明るい日光の下で見ると一層きらきらと輝いて見える。
「あ、えっと、似合うだろうなと思って! 俺の意思で買っただけだから!!」
値段を見てナーナが遠慮したことはわかっていたものの、あまり嗜好品や宝飾品を欲しがらない彼女が珍しく目を奪われていたのでぜひプレゼントしたいと思った。しかし本人の目の前で買おうとしたら断られるだろうと踏んで、ペンダントの鑑定を口実に一人で店を訪れこっそり包んでもらった。もちろん、赤い髪に金色の花が似合うだろうと思ったことも事実だ。
とはいえ旅の間に渡したところでどうせノクスが預かることになるので、サースロッソに戻ってから渡すつもりでタイミングを見計らっていたところに、誕生日の話を聞いて慌てたというのが真相だった。
「……気に入らなかった……?」
魔物を屠ることに関してはそう簡単に負けない自信があっても、大切な相手にプレゼントを渡すことには全く自信がないのがノクスだ。黙ってじっと髪留めを見ているナーナの顔を覗き込むと、大きな黒い目が急にノクスを見た。箱の蓋を閉じ、うっかり海に落としたりしないように丁寧に脇に置くと、
「ありがとうございます。とても嬉しいです」
「うわっ」
ナーナは今までで一番強くノクスに抱きついた。いつもより高いお互いの体温が伝わり、余計に暑いがそんなことはどうでもいい。
「良かった……」
「ノクス様。欲しかったものを贈ってくれたから嬉しいのではありませんよ」
ほっとしている様子を見てきっと勘違いしているに違いないと、ナーナは腕を解いてジトッと見つめた。
「違うの?」
「私のことを考えてプレゼントを選んでくれたことが嬉しいのです。よく見てくださっているのですね」
「あ、いや、その……」
いつも見ていると改めて自覚させられた恥ずかしさにノクスがつい目を逸らした瞬間、ナーナは日傘で人目を遮りながら頬に唇を寄せた。
「ナっ」
「大丈夫です、今日は口紅を塗っていません」
微かに触れた柔らかい感覚に思わず頬を押さえてナーナを見ると、わざと唇を舐めてみせる。
「しょっぱいです」
汗の味の感想を伝えると、ノクスはとうとう膝を抱えて顔を隠した。
「ナーナには敵わないな……」
竜より強いと言われようが、魔王の力を持っていようが、たった一人の女性に勝てない。
「来年のノクス様の誕生日は、私も何かプレゼントします」
と言っても、物への執着が薄く大抵のものは自分で手に入れてしまうノクスに何を渡せばいいのだろう。宣言してから思ったより難題であることに気付いて、ナーナはもう一度箱を膝に載せ、無意識に撫でながら考え込んだ。
「……楽しみにしてる」
来年も一緒にいてくれるだけでじゅうぶんだ。ノクスがいつになく柔らかい表情で微笑んだことに、ナーナは気付かなかった。
「そろそろ帰ろうか、暑いし」
「はい」
二人が立ち上がると濃い色の影が地面に仲良く並び、時々重なりながら遠ざかっていく。
そしてゼーピアからの大きな船が港に着き、ナーナの誕生日がやってくると、いよいよサースロッソに本格的な夏が来る。
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