第16話 王子とメイドは朝市に繰り出した

翌朝、ノクスが目を覚ますと、ナーナは既に支度を終えていた。


「おはようございます、ノクス様」

「……おはよう」


 一瞬何が起きているのか把握できずぽかんとした後、徐々に昨日のことを思い出し、


「寝ている間も魔術を発動し続けられるなんてすごいです」


 寝起きの一褒めで完全に覚醒した。




 屋敷と同じように甲斐甲斐しく世話を焼こうとするナーナの手伝いを辞退して、ノクスは一人で身嗜みを整える。


「今日はどうなさるのですか」


 触れ合いチャンスを断られ、ナーナは少し不満そうだった。ノクスは意図的に無視する。


「とりあえず、今日中にガラクシアを出たい」

「では、早速出発するのですね」

「少し買い物してからな」


 ガラクシアは王弟のお膝元とあって、首都の次に賑わう街だ。道中野宿になる可能性もあることを考えて、食材や備品を買い足しておこうと、立ち寄る店を思案した。


「お買い物ですか」


 ノクスの言葉を反復したナーナの顔が少しだけ明るくなった気がして、ノクスは首を傾げた。


***


 街は早朝から賑わっていた。


「ナーナ、何か買いたいものがあるんだろ? 割引が利くかもしれないから、買う前に言ってくれ」

「え? ええと……。せっかくなので両親に何かお土産をと、思ったのですが」


 ナーナの表情がわかりにくいのは、幼少の頃からだった。愛想良くと言われても表情筋を自分でコントロールできないのだから仕方がない。


「よくわかりましたね。私が何か買うつもりだと」

「わかるよ、ナーナの顔見れば」


 さらりと言われて、ナーナはまた、初めて笑いかけられた時と同じ『ギュン』に襲われた。何なら、彼がナーナに向けて微笑む度に襲われている。


「でも、土産物は俺も詳しくないな……」


 顔に出ないのは良いのか悪いのか、ノクスはナーナの肝心な気持ちには気付かず腕を組んで唸った。


「大したものでなくていいのです。何かガラクシアらしい面白いものがあれば」

「規模が大きいだけで、売ってるもの自体はそんなに目新しくないからなあ」


 ノクスは困ったように笑う。大きいだけの、保守的で品行方正な品揃えの街。まるで領主の性質を表しているようだ。

 ナーナは少し考え、


「……本当はイースベルデ産の新鮮な食材が良いのですが、何しろ長旅ですから」


 ぽつりと漏らした。


 ガラクシアでは領民の生活の一部として安価で市場に並んでいるイースベルデの食材だが、その味と品質はアコール中で評判だ。

 特にサースロッソはアコール王国の南の端にあり、寄り道せずに向かっても二ヶ月ほど掛かる。現地で口に入れられる機会はまずない高級食材だった。


 すると、ノクスは簡単に言う。


「それなら、魔術収納に入れておけばいいよ。中に入っているものは、術者が死なない限り状態が変わらないから」


 魔術収納は、魔法が苦手でも誰もが習得したがる――特に商人にとっては、憧れの魔術だ。

 習得できたとしても鞄一つ分くらいにしかならないことが多いが、重い荷物を背負わなくて良くなるし、追い剥ぎに遭っても盗られない。暗器や回復道具を隠し持っておくこともできる。


「本当ですか。ではそうします」


 そう言うと、ナーナは朝市に並ぶ果物や野菜をせっせと選んでいった。袋一杯になった食材の代金をナーナが値切りもせずに支払い、受け取ったノクスが何でもないように丸ごと収納するのを、店主はぽかんと見ていた。


「ありがとうございます。ノクス様のおかげでいいお土産ができました」


 やはりノクスは逸材であるとナーナが再確認しているとも知らず、本人はまた耳を赤くして照れた。


 それから、今度はノクスが普通の食材を買い足す。こちらも、せっかくイースベルデ産の食材が買えるのだからと新鮮なものを多めに買い込んだ。


 買い出しが終わったら、市場の中にある、朝から開いている大衆食堂で朝食を取る。


「パスカルの料理とはさすがに違うけど、これはこれで美味しいんだ」


 ノクスはそう言って、荒っぽい野菜炒めを気楽に口に入れる。ナーナはそれを見てから、そっと食べ始めた。キャベツの芯が硬い、と思った。


「ノクス様は、外で食べる料理は警戒しないのですね」


 屋敷では、ナーナの見ている限りではパスカルが目の前で器に盛った料理、ラノが自分も食べたと言って分けにきた菓子、そしてナーナが持ってきた茶くらいにしか手を付けなかった。


「こんなに賑わってて、席まで運ぶのもセルフサービスの店で、俺だけを狙って毒を入れるタイミングなんてないだろ?」

「……入れられたことがあるのですか」

「ナーナが来る前にね」


 その頃は、料理長の研究室ではなく厨房の片隅に皿を並べて食べていた。――パスカルが目を離した隙の出来事だった。

 それはイノシシやクマなど大型の害獣退治に使う麻痺毒で、臭いや味に敏感な獣が不審に思わないよう改良された凶悪なものだった。

 ノクスが既に治癒魔術を覚えていなかったら、確実に死んでいた。


「さすがにその時は、入れた奴をパスカルと二人で突き止めたよ。それで、同じ毒を仕込んでやった。死なない程度に」


 犯人は三日三晩苦しんだ後、パスカルに尋問されたという。


「でも、厨房に忌み子が入るのが気に食わなかった程度で、死ぬような毒は盛らないだろ? 結局、王宮にいる第二王子派の権力者が首謀者だったって話じゃなかったかな」


 ノクスの次はラノだったかもしれない。王宮内の問題としては結構な騒ぎになったらしい、と、ノクスは後で聞いた。


「クソジジイは家の管理を他人に任せっぱなしだから。ガバガバだよ、あの家。ラノが少し心配だ」


 それでも弟の心配をする辺り、どこまでお人好しなのだろうかと、ナーナはノクスのことが少し心配になった。

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