第15話 メイドは王子の寝顔を見ていた

 ノクスと入れ替わりにナーナもシャワーを浴び、戻ってくると既にノクスはベッドに横になっていた。

 ナーナのベッドと反対の方を向き、身体を丸めて寝息を立てている。地下の秘密基地でも同じ姿勢で眠っていた。

 ナーナはそろりと近寄り、その背中に触れようとする。が、


「!」


 見えない壁に阻まれた。

 ノクスが自分の身を守るために編み出した、本人が気を失うと半自動的に発動する防御障壁だった。


「こんなものを使わないといけないくらい、屋敷では安心して寝られなかったのですね」

 反対側に回り、半分ベッドに埋まった寝顔を覗き込む。




 四年前、ナーナがガラクシアにやってきた時、ノクスに最初に向けられたのは静かな敵意だった。

 今思えばあれは、父親が自分より丁寧に扱っている得体の知れないメイドへの、威嚇と嫉妬だった。


 ノクスに与えられていたのは、弟の部屋の半分ほどの広さの日当たりの悪い部屋。

 私物は極端に少なく、同じく少ない衣服は、数着の礼服を除いて皺や汚れが目立った。

 ノクスは声を荒げたり暴力を振るったりということは一切しないものの、ナーナの用意した茶には手を付けず、着替えの手伝いをしようとしても断られる。王子なのに、まるで懐かない野良猫のようだと思った。


 ラノはナーナにもはじめから懐いたが、周りの待遇を見るに、彼が跡継ぎになることは明らかだった。


 これはどちらがガラクシアを継ぐかを見届けるまでもなく契約解消かと呆れていたが、パスカルやラノと話す時にふと和らぐノクスの表情を見て、考えが変わった。


「あんな顔もするのですか」


 歳相応の少年の顔だった。正面から見てみたい、せっかく彼らが成人するまで側に仕えるのなら、一度くらい自分も向けられてみたいと思った。

 それからは、素っ気なくされようがウザがられようが、隙あらばノクスの側にいるようにした。


 転機が来たのはひと月ほど経った頃。パスカルが一緒に食事をしているのを見て、ナーナはふと思い立った。


 いつも通りティーセットを持って、ノクスの部屋へ行く。あまりにもナーナが付き纏うので、この頃にはノクスは前日の予定をナーナに先に告げるようになっていた。

 時々突然外出して、たまに数日帰ってこないこともあるが、今日は部屋にいるはずだ。


 お茶を淹れて甲斐甲斐しく準備するが、相変わらずノクスは日当たりの悪い窓際から外を眺めるばかりだった。


「ノクス様が召し上がらないのでしたら、私が頂きます」


 予想通りの行動をしばし観察した後、ナーナは部屋のテーブルを勝手に使い、自分で淹れた紅茶を自分で飲みはじめた。


「こんなに美味しいのに食べないなんて、もったいない」


 そしてパスカルの作った菓子を目の前でサクサクと食べ始めると、ノクスは驚いてしばらく目を丸くした後、ため息をついて、反対側に座った。


「変わってるなあ、アンタ」

「よく言われます」


 始めからカップは二つ用意していた。ノクスもナーナがしようとしていることに気付いていたのだろう。自分の茶を勝手に注いで、菓子をつまんだ。それから、


「うん、美味しい」


 はは、と少しぎこちなく笑った瞬間、滅多なことでは動じないナーナの心臓が、ギュンと音を立てて波打った気がした。

 そして、結婚するなら絶対に「」だと、ナーナは心に決めた。

 そのためには、ノクスにガラクシアを継いでもらっては困る。しかし彼が正当に評価されないのは悔しい。彼が隠している有能さを発見する度にやきもきした四年間だった。



「貴方は自分で思っているよりも、魅力的な人ですよ」


 どれだけ酷い仕打ちを受けても根は優しく、気を許した者には特に甘い。我慢強さといざというときの頭の回転は目を見張るものがある。魔術の素養についてエドウィンは才能だと言っていたが、それをこんなに早く開花させたのは、本人の努力の賜物だ。

愛想がないと言われるナーナに対しても「ナーナはナーナだから」と淑女らしさを強要することもなく、気楽に側にいられる。

 少し誘惑するとすぐに顔を逸らす紳士的なところは焦れったいが、照れる仕草が可愛らしいのでまあ良い。


 一つ難があるとすれば、


「……弟の容姿が良いことはわかっているのに、双子の自分もそうだと思っていないのは何故です?」


 宿を探すまでに街を少し歩いただけでも、ちらちらと視線を送る若い女性の姿が目に付いた。まだノクスは十六歳。成長期だ。これから更に背が伸びれば、そういった輩が一層増えることは容易に予想できた。


「自覚して女遊びをされるのも困りますが……。やはり早めに決着を……?」


 ぶつぶつと不穏なことを呟いていると、ノクスがごろんと寝返りを打った。ナーナは聞かれていたかと少し焦ったが、起きる気配はなく、ほっと息をついた。


「……それは、これから追々ですね」


 ナーナは半球体の壁を撫でると、灯りを消して自分のベッドに入った。カーテンの隙間から月明かりが差し込むだけの暗闇の中、規則正しく上下するシルエットをじっと見た後、目を閉じた。

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