第24話 メイドは王子に悪戯を試みた

 ケーキを食べ終わると、ジェニーは立ち上がった。


「手を洗ってくるよ」


 手づかみでケーキを食べたせいで、その手はベトベトだった。


「ジェニー様、食器を洗える場所はありますか? ご馳走になったので、お手伝いがしたいのですが」

「助かるなあ、それじゃスタッフルームに行こう」

「じゃあ俺も……」


 一緒に立ち上がるノクスに、ジェニーはひらひらと手を振った。


「いいの、ゲストはそこにいなさい。ナーナ姫、こっちだよ」

「はい」


 ナーナは素直に頷くと、ノクスの皿をさっさと引き取り、ジェニーの後を付いていった。


「……まあいいか、仲良くなったみたいだし」


 残されたノクスは、暇つぶしにジェニーがベンチに置いていった本を読み始めた。


 *****


 『関係者以外立入禁止』の文字が書かれたドアを開け、職員用通路に入ったところで、ジェニーはにこにこと微笑みながら訊ねた。


「それで、ナーナ姫。私に訊きたいことがあるんだろう?」

「本当になんでもご存知なのですね」


 ナーナは確かに、ジェニーと二人きりになる機会を窺っていた。でなければ、率先してノクスから離れるようなことはしない。


「ノクスの魔術に関することだね。あの子の側にいてくれたお礼だ。私の知ってることなら何でも答えてあげよう」

「ありがとうございます」


 少し躊躇った後、ナーナはストレートに言った。


「ノクス様が寝ているときに発動する壁を、くぐり抜けたいのですが」

「……」


 ジェニーが絶句した。もしノクスが見ていたら、何の魔術を使ったのかと訊いているところだ。


「何かおかしなことを言いましたか?」

「いや、思ったより大胆なことを言う子だなと思っただけだよ。どうしてそんなことを?」

「添い寝したら、朝どんな風に驚いてくれるだろうかと」

「……」


 再び絶句。それから声を上げて笑い始めた。


「あっはっは! よかった、そんなにあの子を愛してくれてるんだね。ああ、水場はここだよ。職員の休憩室だ」


 ジェニーはひいひいと引き笑いをしながら部屋に入っていく。


「確かに私はノクスに魔術を教えたけど、あの子の魔術は私なんかよりよっぽど強力だからなあ」


 休憩室に併設された、昼食を温めたりするための簡単な調理場で、袖に水が飛ぶのも構わずじゃぶじゃぶと手を洗うジェニー。ナーナも隣でクリームの付いた皿を洗う。


「あの壁を正攻法で突破するのは、世界中の魔術師を集めても無理だと思うよ」

「……正攻法でなければできると?」

「方法はある」


 ハンカチで手を拭きながら、ジェニーはウィンクした。


 *****


 その日の夜、シャワーを浴びたナーナは、


「ノクス様、こちらにどうぞ」


 ベッドの中心に足を投げ出して座り、さあ、と横に来るよう促した。


「え、何?」


 ジェニーに何か吹き込まれたことを勘付き、警戒するノクス。


「試してみたいことがあるのです。どうぞ」

「うん……」


 恐る恐る、隣に座るノクス。すると、


「こうです」

「うわっ!?」


 ナーナは首に腕を回し抱きつくようにして、ノクスをぐいっと横に倒した。


「なん、え、何?」


 冒険者装備ではない薄手の寝間着から一瞬ダイレクトに柔らかさが伝わってきて、ノクスは思いきり動揺した。


「……膝枕です。ジェニー様が、ノクス様はきっとこういうのが好きだと」


 気がつけば、頭がナーナの膝の上にあった。


「やっぱりジェニーか……」


 ナーナに変なことを吹き込まないでほしいと言いたいところだったが、下にはふにふにした腿の感触、上には視界を遮る柔らかそうな膨らみ。抗い難い誘惑だった。


 ノクスが抵抗しないのを確認し、ゆっくりと黒髪を撫で始めるナーナ。


「……ジェニー様とお会いした時、ノクス様が首都にお知り合いがいたことに驚いて、私の知らないノクス様を知っていることに、確かに少し嫉妬しました」


 本当は少しどころではない。


「でもそれから、ノクス様にいろんな魔術を教えてくださったことに感謝しました」

「……ジェニーは、偶然ガラクシアの図書館に視察に来てたんだ」


 情報通を自称する彼女は、もちろん忌み子の噂も知っていた。そして聞いていたとおりの外見をした少年が、一人で真剣に魔術書を読んでいるのを見て、『噂の種に直接取材してやろう』と声を掛けたのが、二人の出会いだった。


「ガラクシアは暇だろうって、長距離を短時間で移動する魔術を教えてくれて」

「そんな魔術があるのですか?」

「うん、俺一人で移動する時にしか使えないけどね」


 何しろ、身体能力を極限まで高めてひたすら走るという力業だ。普通は強力な魔物と対峙した時の緊急脱出に使うのがせいぜいで、日に何度も使えるような魔術ではない。

 しかしノクスは無尽蔵の魔力と治癒魔術にものを言わせ、一日でガラクシアと首都間を踏破し、毎週のようにジェニーの元を訪れて教えを請うた。ジェニーも、貴族連中から変わり者扱いされる自分を慕ってくる少年に親近感と愛着が湧き、姉のように母のように成長を見守った。


「……だから、ナーナとジェニーが仲良くなってくれて、嬉しい……」


 徐々にノクスの声から力が抜けて行き、静かになった。同時に、


「!」


 透明な壁が、ノクスだけでなくナーナも一緒に包み込んだ。


「……本当に成功しました」


 ジェニーによる入れ知恵、もとい無意識防御壁突破講座は、


「ノクスが意識を失う前から彼にくっついて、壁の内側にいればいいのさ」


 という、口で言うだけなら簡単なものだった。しかし警戒心の強いノクスが、密着するような距離に誰かがいる状況で簡単に眠るわけがない。一服盛るしか、と物騒なことを考えていたナーナに対し、


「大丈夫! ナーナ姫ならいける!」


 という謎のお墨付きと共にジェニーに提案されたのが、膝枕作戦だった。


「あの子は一旦寝たらしばらく起きないからね! やりたい放題だ!」


 ぐっと親指を立てる姿はどう見ても由緒正しき首都貴族の長女ではなかったが、ナーナは静かに感謝の念を送っておいた。


「ではノクス様、失礼します」


 そろりと頭を持ち上げ、足を抜く。本当に起きない。

 布団を掛け、計画通り隣に横になり、あとは朝、いつも通りノクスよりも早く起きるだけ、と、達成感に包まれていた時だった。


「んん……」


 ノクスが寝返りを打った。そして、


「!」


 ナーナに触れた腕が、そのまま彼女を引き寄せ抱きしめた。


「……!!」


 声を出して万が一ノクスが起きてしまったら、膝枕寝かしつけ作戦は二度と通用しないだろう。想定外の反撃に必死に堪えながら、悪戯はほどほどにしようと反省するナーナだった。

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