第25話 メイドは眠り王子は一人仕事に出かけた

 なんだか布団がいつもより暖かい。しかも、柔らかくて良い匂いがする。

 思わず抱きしめて擦り寄るように顔を埋めたノクスの鼻先を、繊維質の感触がくすぐった。


「ん?」


 うっすらと目を開けると、目の前には白い滑らかな肌色。

 そして少し顔を上げると、いつになく乱れた寝間着姿のナーナの顔がすぐ近くにあった。


「……おはようございます、ノクス様」

「うわあっ!? 痛っ」


 顔を埋めていたのがナーナの胸元だったことに気付いて、ノクスは跳ね起き、シングルサイズのベッドから落ちた。


「ノクス様、大丈夫ですか」


 そろりとベッドの上から覗き込むナーナの顔はいつもよりボンヤリとしていて眠そうだ。上着の前のボタンは辛うじて胸の下辺りで止まっているだけで、滅多に拝めない深い谷間にどうしても視線が吸い込まれてしまう。


「もしかして俺、一晩中ナーナを抱き枕にしてた……?」

「はい……」


 腰やら腋やらに手を回され、首筋にノクスの髪が当たり、くすぐったがりのナーナは寝るどころではなく、ひたすら声を出さないように必死だった。

 何度か脱出を試みたものの、その度に寝間着は乱れるわ更にがっちりホールドされるわで、最終的に眠気と疲れで悟りを開いた。


「そうだ、昨日話の途中で寝ちゃったんだ! ごめん……!」


 徐々に昨夜の記憶を取り戻すノクス。スローテンポで撫でられる感覚とナーナの静かな話し声が心地よすぎて、いつの間にか眠ってしまった。


「俺、寝ぼけて変なことしなかった? 呪いのせいで身体の調子が悪くなったりしてないか?」


 あわあわと気遣うノクスの姿に、罪悪感がこみ上げてくるナーナだった。


「大丈夫です。ただ抱き枕になっていただけなので」


 実は少々きわどいところを触られたり揉まれたりしたが、全ては悪戯を仕掛けたナーナの自業自得だ。どうなるか予測が付いていたジェニーに1割くらい過失を負担してほしい程度で、ノクスに罪はない。


「そう? でも、眠れなかったんだろ? 今日は買い出しに行くだけだから、ゆっくり寝てていいよ」

「でも……」

「たまには休みも必要だって」

「……わかりました……」


 この眠気には抗えそうにない。せっかくまた一緒に買い物ができるチャンスだったのに。ナーナの一生の不覚だった。


 しかし。


「……やはりいい反応でした」


 身支度を一人で整えたノクスが部屋を出て行った後、ナーナは布団に潜る。耳まで真っ赤にして目を見開いているノクスの顔をまぶたの裏で反芻し、ぼそりと満足げに呟くのだった。


 *****


 ナーナの感触と刺激的なビジュアルが頭から離れないまま、ノクスは人通りの多い街中を悶々と歩いていた。

 貴族は成人と共に婚姻を結び、十代で子どもを授かる夫婦も少なくない。

 呪いさえなければ今頃キスくらいは、と不埒な考えがよぎり、ぶんぶんと頭を振った。


「ダメだ。こういう時は仕事するに限る」


 煩悩を振り払うため、ノクスは首都郊外のとある建物を目指して早足で歩いた。




 冒険者組合の首都本部は、アコールにある全ての冒険者組合を総括している。

 持ち込まれる依頼の数も桁違いで、一階ではずらりと並んだ受付カウンターの向こうで職員たちが慌ただしく事務処理に追われていた。


「どれにしようかな」


 ノクスは壁一面に貼り出された依頼を順に見ていく。量が量なので、魔物討伐系の赤、公的機関や市民からの依頼の青、採集や迷宮攻略系の緑と、掲示板は種類によって色分けされている。


 ノクスもとい、アストラが選ぶのは、いつも赤ばかりだ。いつか換金するためにレッドバケーションを集めているからということもあるが、単に短期で高額の依頼が多く、効率が良いからというのが一番の理由だった。


 高額報酬ということは、その分危険な依頼ということでもある。

 ノクスは毎回、他の冒険者が手を出さないような、もしくは何度も失敗しているような依頼にばかり手を出していた。


 見分け方は簡単だ。ずっと貼られているせいで、日焼けしてインクの色が薄くなっているのだ。


「……一番古いのは……、鉱山の竜の討伐……。例のあれか……」


 ノクスが忌み子と呼ばれる原因の一つ。ちょうどノクスとラノが生まれた頃、アコールの領土内にある銀鉱山に住み着いたという竜。

 忌み子の呪いがジェニーの言う通り宿主の生気を奪う呪いなら、竜の出現はただの偶然だ。十六年間塩漬けの因縁ともいい加減決着をつけた方がいいかもしれないと思ったが、


「さすがに日帰りは無理だなあ」


相手は竜だ。ドットスパイダーのように気軽に立ち向かえる相手ではない。夕方までに帰らなければナーナが心配することもあり、一旦保留にした。


「となると……。まあいいか、これで」


 今はとにかく、簡単で黙々と作業できる依頼ならなんでもいい。ドットスパイダー同様に大体いつでも貼ってある、首都郊外に広がる農耕地帯の害獣駆除の依頼を剥がし、ノクスは受付に持っていった。


 *****


 黒いフードの少年が受注手続きを済ませて出て行った後の、本部の最上階。


「は? 『大魔法馬鹿フーリッシュウィザード』のアストラが、石無しがやるような害獣駆除依頼を受けていった?」


 今でも現役であることを誇示するような筋骨隆々の男性――首都本部の本部長は、部下からの報告を受けて思わず聞き返した。


「そのあだ名、本人に言っちゃダメですよ」


 部下がため息をつく。『大魔法馬鹿フーリッシュウィザード』は、組合内部で呼ばれているアストラの非公式で不名誉な二つ名だった。


「……記録によると、どうやらガラクシアから徒歩で首都まで向かっていたようですが、道中で受けている依頼も似たり寄ったりです」


 本部長は、冒険者証を更新するためだけに依頼をこなしているとしか思えない完了記録をじっと見て、


「……所帯を持ったか?」


 当たらずとも遠からずな予測を立てた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る