第9話 王子はクソジジイと決別することにした

 各々が転移陣を踏むと、次の瞬間には迷宮前の広場にいた。


 外は既に日が暮れていて、野営の灯りの中、待っていた人々がぱあっと顔を明るくする。


「おかえりなさい! よくぞご無事で!」


 主にラノの周りに集まる使用人たち。ノクスにも、庭師に肩を貸している手前、救護班が近寄っても良いのか躊躇う素振りを見せた。


「そろそろ歩けるか」

「あ、ありがとうございました」


 礼もそこそこに速やかに離れようとする庭師に、


「おい」


 ノクスは声を掛ける。


「罠のことは、忘れてないからな」


 なるべく悪そうに笑ってみせると、庭師は蒼白になった。一層具合が悪そうに震えながら、よたよたと離れていく。


「哀れですね。余計な気を回さなければ、昇給もあったでしょうに」


 メイドを送り届けて戻ってきたナーナは、いつも通りノクスに茶を差し出した。


***


 翌日の午前中。

 ラノとノクスは、再びエドウィンの執務室に呼ばれた。


「……」


 父の前には、厳かに台座に載せられた、赤と青の宝玉。


「先に最下層に辿り着いたのは僕たちでしたが、あの双頭の蛇は、ノクスの手助け無しには倒せませんでした」


 案の定、ラノは必死にノクスを擁護する。


「僕とノクスで頭を一つずつ潰して、その両方から核が出てきたのです、つまりこの核は、僕とノクスが一つずつ手にしたものです」


 だが、ノクスにも言い分がある。


「俺は遅れて最下層に着いて、ラノの手柄を掠め取ろうとしただけです。あの蛇にとどめを刺したのはラノなんだから、両方ともラノのものですよ」

「またノクスはそうやって!」


 声を荒げようとしたラノは、父が組んだ手を静かに下ろした仕草で一旦引き下がった。


「……経緯はどうあれ、二人とも核を持ち帰った。何故核が二つ出てきたのかという謎は残るが、決まり通りに評価せねばなるまい」


 ふー、と小さく息を吐く父。


「二人はガラクシア家の成人男子と認められ、王より子爵位を授かることになる」


 ラノはそれを聞いてぱあっと顔を輝かせ、ノクスは正反対にすこぶる嫌そうな顔を隠さなかった。


「じゃあ、ノクスもイースベルデに」

「いや」


 すぐにでもノクスに抱きつきそうなラノの声を、エドウィンは一言で低く遮った。


「二人も行く必要はない。ノクスは屋敷に残れ」

「ええっ! どうしてですか、二人で蛇を倒して、同じように核を取ってきたのに」

「当たり前だろ、条件を忘れたのか? 『先に最深部に辿り着いたほう』がイースベルデを貰うんだ」

「そんな! ノクス、まさかわかっててやったんじゃ……!」


 慌てすぎていつものフワフワな喋り方が出始めたラノを、エドウィンは咳払いで再び制止した。


「従者たちから報告が上がっている。ラノの怪我の元になった者と、ノクスに妨害の罠を仕掛けた者は減俸半年。そしてカバーができなかったもう一人も減俸三ヶ月。そして従者を庇ったラノ、お前もまだ甘い。サースロッソで上に立つ者の心構えを学んでこい」

「はい……」


 成人はできたものの、まだまだ未熟という評価を下されて、ラノはしゅんと肩を落とした。


「じゃあ、ノクスはこれから何を?」

「ノクスには――」

「それについてなんですが、父上」


 ノクスは、何か言いかけたエドウィンの声を遮り、挙手した。


「俺はこの家を出ていきます」

「ノクス!?」


 突然の進言に、ラノが思わず大きな声を上げた。


「……続けろ」


 エドウィンは、青い目で静かにノクスを見据えた。


「端的に言えば、俺はこの屋敷にいる意味がない。それだけだ」


 もはや敬語も使わずに、ノクスは静かに言った。


「ノクス……」

「悪いな、ラノ。子爵位を貰ったところで使用人からの態度は変わらないだろうし、庇ってくれるラノがいなくなるなら悪化する可能性すらある。庇われないと生きていけないような場所を家とは言わない。違うか?」


 すると、ラノはそれ以上何も言えず、ぐっと押し黙った。


 半端な貴族なら威圧感で顔すら上げられなくなるというエドウィンを前にして、ノクスは背筋を伸ばしたまま、淡々と続けた。


「使用人たちが俺にどんなことをしてきたか、アンタだって知らないわけじゃないだろう。もし知らないなら尚のこと悪い。今まで散々放置しておいて、残れって言われて残るとでも思っていたなら、アンタの頭にはパンケーキでも詰まってるんじゃないか」


 どうせもう会うこともないと、ノクスは今まで言わずにおいた言葉を思いつくままにぶつけた。


「俺はこのガラクシアって家にも、アンタにも、とっくに愛想が尽きてる。今まで便宜上父と呼んできたけど、アンタを父親だと思ったことはないし、成人した以上アンタの父親ごっこに付き合ってやる義理もない」


 問題が表に出た時と、都合のいい時だけ父親面をして、普段はどれだけ虐げられていようが見向きもしない。そんなものと、血縁だけで家族だなんて言われても知ったことではない。


「それじゃラノ、今までありがとう。元気で。もしかしたら、どこかで会うこともあるかもな」


 ノクスは、今にも泣きそうなラノの肩を軽く叩いて、踵を返した。


 後はパスカルとナーナに挨拶したら、今日中にこの屋敷を出て行こう。執務室への興味をなくしたノクスの背中に向かって、エドウィンは訊ねた。


「……家を出て、何をするつもりだ」


 ノクスはあまりにも無邪気な問いを、ハッ、と鼻で笑った。


「俺が今まで何をしてたのかも知らないのかよ? そこにいるたった一人の可愛い息子に聞いてみればいい。そんで早めに家督を譲って、さっさとくたばれ、クソジジイ」


 そしてノクスは今度こそ、執務室を後にした。

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