第12話 家を捨てた王子はメイドにプロポーズされた
ノクスは、屋敷の中をふらふらと歩いて、ナーナを探していた。
「おかしいな、ティーセットを持ってたってことは、屋敷のどこかにいるはずなのに」
ラノの気配はまだ執務室にあった。エドウィンと、今後について話すことは山ほどあるだろう。
「……もしかして、入れ違いで執務室に行ったか?」
その可能性に気付いて立ち止まった途端、
「あらあら、ごめんなさい!」
いつもの白々しい声が聞こえた。
「『氷槍』」
勢いよくぶちまけられた水は空中で一旦停止したかと思うと鋭利に尖り、ノクスが軽く振った指に合わせて、中年メイドに牙を剥いた。
「ひっ! ぎゃあ!?」
汚い悲鳴と共にふんだんな布は壁に縫い止められ、中年メイドは身動きが取れなくなった。
もう大人しくしておく必要もなければ、屋敷の汚れや傷を気にする必要もない。
「大丈夫、殺さないよ。これから死んだ方がマシな目に遭うのに、もったいないだろ」
ノクスはにこりともせず、ポケットに手を突っ込み、踵を返してすたすたと歩いて行く。
恐怖で気を失った中年メイドが次に目を覚ました時には地下牢にいたこと、使用人のいくらかが王族への不敬罪で一家取り潰しや行方知れずとなったことは、誰にも語られない話だ。
しばらくナーナを探したノクスは、魔力の形を知っている特定のものを探すという探知魔術を使うことを思いついた。
「やっぱりナーナは執務室か」
居場所がわかるとため息をつき、彼女の仕事が終わるまで、秘密基地で一眠りすることにした。
一度は撤収した大きなベッドを再び魔術収納から引っ張り出し、ドンと据える。一度背伸びをして倒れ込み、そのまま安らかに寝息を立て始めた。
***
夢を見ていた。ノクスは心地よい風が吹く豊かな農地の真ん中に立っていた。その手は小さい。まだ自分の身を守る術を覚える前の姿に、本能的に恐怖を覚える。
どこかに隠れなくては、と辺りを見回すと、遠くに人影が見えた。
美しい金髪を風になびかせる女性だった。
「――母さん」
自分とラノを産んだ後すぐに命を落とした、写真の中の微笑みしか知らない母。
滅多に近寄らないリビングに飾られた母の写真を、一枚だけくすねた。だからこんな夢を見たのだろう。
そう思いながらも、駆け寄って話しかけずにはいられなかった。
「……母さん、ごめんね。俺、ガラクシアを出て行くよ。もう墓参りにも行けないや」
そっと、細い手を掴んだ。イリスの墓は、敷地内の小高い丘の上にある。
「ラノがいるから、寂しがらなくていい。あ、ラノもしばらくイースベルデに行くから、墓参りには行けないかもしれないけど……」
おどおどと言葉を選んでいると、イリスは屈んで、ノクスと目線を合わせた。
「――あなたは?」
「え?」
「あなたは寂しくない?」
もう覚えていないと思っていた、母の声だった。
「私こそごめんね。側であなたを守れなかった」
「そんなことない! ……大丈夫。もう俺も大人だから」
一人には慣れている。今更ラノと離れることなど――。
「そうね。きっと大丈夫ね」
イリスは、ノクスの背後を見ていた。
振り返ると、赤い髪の少女が立っていた。
***
「――ノクス様」
「はっ!」
少しだけ休むつもりがうっかり寝入ってしまったと、ノクスは飛び起きた。エドウィンとの対決で滅多に起こさない怒りの感情をぶつけて、思ったより疲れていたらしい。目頭を揉む。
「お待たせしました。私を待っていてくださったのでしょう」
「ナーナ……」
この秘密基地の場所を教えたことはなかったが、目ざといメイドのことだ。何かの拍子に見つけていたのだろう。それか、ラノに聞いたのかもしれない。
「うん、まあ、執務室にいたみたいだから、事の顛末は知ってると思うけど」
「ええ、あのエドウィン様が取り乱しているのは、大変愉快でした」
「取り乱す? 何だそれ」
あの傍観クソジジイが? と首を傾げるノクスだったが、そこでようやく、ナーナの格好に気付く。
「……ナーナ、どうしたんだその荷物。それに、その服」
ナーナは大きな鞄を重そうに両手で持ち、迷宮で見た冒険者装備だった。
「約束しましたでしょう。お二人の成人の儀が終わったら、私の家について話すと」
そういえば迷宮の中でそんな話もしたなと、ノクスは髪を手櫛で整えながらぼんやりと思い出す。
「それとその格好に、何の関わりが?」
「私の本名は、ナーナリカ・ゼーピア=サースロッソと言います」
ノクスの質問には答えずに、ナーナは言った。
「ゼーピア=サースロッソ?」
姓を聞いてすぐに反応したノクスを見て、ナーナはどこか満足げだ。
「……なるほど。道理であのクソジジイが、ナーナの挙動に口出しできないわけだ。サースロッソ公爵は、ゼーピア公国の王女様を奥方に迎えたって聞いたことがある」
「ええ、私の両親です」
ゼーピア公国は、性別に関係なく年齢順に王位継承権を持つ。そして、サースロッソ公爵の妻は現大公の妹。つまり、サースロッソ公爵夫人は夫人でありながら、その立場はエドウィンと同等だった。
ノクスが理解している間に、ナーナは続ける。
「あのクソジジイは四年前、ゼーピアとのパイプ欲しさに私と「双子の息子のどちらか」との婚姻を持ちかけてきました」
ゼーピアは大きな国ではないが、魔術と機械技術を組み合わせて国民に広く行き渡らせ、進んだ暮らしをしていると聞く。写真などもゼーピアから持ち込まれた技術だ。
「どちらかって……」
「その利益しか見ていない、息子や私の気持ちなどどうでもよさそうなノリが癪に障ったので、我々一家は条件を付けました。『ガラクシアを継がなかった方と婚約します』と」
それはそうだ。男女を問わず嫡子とするゼーピアの文化を持つ領地の一人娘と婚約するのだから、その相手にはサースロッソに来てもらう必要がある。
「……つまり、俺?」
「はい。ご理解が早くて助かります。ということで、改めてご提案させていただきます」
ナーナはよいしょと鞄を地面に下ろすと、いつも通りに姿勢を正してへその前で手を組み、堂々と告げた。
「ノクス様。私と結婚して、私の実家に来ませんか」
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