第3部

第111話 一方その頃弟も手紙を受け取っていた

 イースベルデの夏は、気温はそれなりに高くなるものの雨が降っても湿度が低く、からりとしているため過ごしやすい。通気性の良い半袖のシャツを着て風通しの良い日陰にいればさほど汗もかかず、暑さに多少の耐性があれば涼しいと言えるほどだ。


 時折爽やかな風が入ってくる快適な別邸の庭にいながらも、ラノは浮かない顔をしていた。浮かないというよりも、我慢してニンジンを食べている時のような、苦しさを表に出さないように無表情に努めている顔だ。


 その手には一通の手紙があった。差出人はもちろんエドウィンだ。相変わらず用件だけの素っ気ない文章を更に要約すると、『王家や他公爵家も交えて話し合いたいことがあるので首都に来い』というものだった。拒否権はない。


 首都には貴族学校時代の友人がいくらかいるので、久しぶりに会って話せるのは嬉しい。だがラノには大きな懸案事項があった。


「……また、あの道を戻るのかあ……」


 首都に向かうということは、ガラクシアからイースベルデに移った時の道を再び通らねばならないということだ。春の気候でもそれなりに過酷だった道に、暑さと夏の虫、豊富な食料を得て活発になった魔獣などが追加される。考えるだけで憂鬱だった。


「ラノ」


 どうにかして森を回避できないものか、もっと楽な道はないかと真剣に考えていると、不意に声を掛けられた。イースベルデでラノのことを呼び捨てにするのは、ラノ自身からそうしろと命じられたスヴェンだけだ。


「難しい顔をしてるな。何か問題でも?」


 隣に腰掛けたスヴェンが首を傾げる。手合わせ以降、ラノはスヴェンが別邸に自由に出入りすることを許可し、公の場以外では敬語も礼儀も必要ないと伝え、スヴェンは忠実に守っていた。


「父上に、首都に来いと言われてしまって」

「……長旅になるな。まあ、元々領主が常駐していなくても回っていたのがイースベルデではあるけど」


 そのための小領主だ。しかもラノは仕事が捌ける。脱税騒ぎで挿げ替わった小領主の後釜も決まって落ち着いてきたため、来たばかりの頃に比べるとラノの業務は減りつつあった。


「喜ばしいことじゃないのか? イースベルデは話し相手も面白い遊びもなくて暇なんだろう?」

「今はスヴェンも警備隊のみんなもいるからそうでもないよ。何より遠いんだ、首都は……」

「ああ……」


 旅程を考えるだけで億劫になる。それはイースベルデとガラクシアの間に広がる森で訓練や任務を行うこともある警備隊にもわかる苦労だった。


「でも公爵家の人間が集まるそうだから、ナーナに会えるかもしれないな。――もしかするとノクスにも」

「ええと、ノクス様はラノの双子の兄で、ナーナ様っていうのはガラクシアでメイドをしてた、サースロッソ公爵家の娘、だったっけ?」

「そう」


 多くの庶民がそうであるように、スヴェンも貴族の構成やしきたりのことはよくわからない。ややこしい事情で弟のラノが跡継ぎになったが、何故かガラクシア家に南の公爵家の娘が潜伏しており、兄のほうが家出するのと同時に行方をくらました。そしてラノはその娘に惚れていたが娘は兄と相思相愛だったという、大雑把かつ赤裸々な説明を改めて思い出していた。


「せめて人数が少なければ、荷物も守るものも減らせるんだけどなあ……」


 ナーナとノクスも呼ばれているのなら会いたいが、それはそれとして首都への道が面倒くさすぎる。ラノの悩みは結局そこに着地していた。


 ガラクシアの使用人は一応戦闘訓練を積んでいるものの、危険な場所にすすんで近寄ることは少なく、実践経験に乏しい。つまり護衛の兵士以外の、ラノの身の回りの世話をする使用人のほとんどが旅路においては足手まといなのだ。


 ――ちなみに迷宮でラノのお供をしたあの三人は自薦してきただけあって戦えるほうではあった。だがいずれもノクスがやらかした中年メイドの一件以降に屋敷で行った『美化活動』の際に余罪が見つかり、庭師とメイドは暇を出され、辛うじて残った魔術師もイースベルデに同行することはなく、本邸で肩身の狭い思いをした後自ら辞めたと聞いた。


「いっそ僕一人で行ければいいのに」


 愚痴のようなことを話すのもスヴェンの前でだけだ。すると、いつもどおり静かにラノの話を聞いていたスヴェンがぽつりと言った。


「例えば、屋敷の護衛をもう一人くらい連れるだけにして、本当に少人数で行くのは?」

「馬車を使わないってこと?」

「ああ。ガラクシアまで辿り着きさえすれば、そこから先は整備された街道だろう。本邸で体制を整えて首都に向かえばいい」


 と提案した後、自らの考えを打ち消すように首を振る。


「……いや、貴族はそういうわけにはいかないか。差し出がましいことを言った」


 しかしラノはそれを聞いて、顔を明るくした。


「そうだよ! 二人で行けばいいんだ!」

「えっ」

「スヴェン、一緒に首都に行こう」


 夏空を映したような青い目がいつになく輝いていた。


「いや、俺じゃなくて、本邸から連れてきた護衛を……」

「きみなら森にも詳しいし、実力も経験も申し分ない。みんなあの森には入りたがらないからきっと納得してくれるよ」

「ええ……」


 警備隊は領主の命令には逆らえない。そして本人にはあまり自覚がないが、いつの間にかあらゆる根回しをして上手く事を進めてしまうのがこの若い領主だ。スヴェンは早々に諦めた。


「……反対されたら諦めるんだ。いいな」

「わかった。手を尽くすよ」


 早速立ち上がって然るべき所に話を付けにいくつもりのラノを追い、きっと数日中には旅立つことになるだろう、旅支度をしないといけない、などと考えながら、スヴェンは遠くにもくもくと立体的な雲が浮かぶ空を見上げた。




 そしてラノは本当に数日で周囲の人間全てを説得し、スヴェンを連れて数ヶ月ぶりにイースベルデを離れた。

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