第73話 伯爵は王子に依頼した

 和やかな夕食が終わり、部屋に戻ろうとしたノクスに、伯爵が声を掛けた。


「ノクス様、少しお時間をよろしいですか」

「何ですか?」


 食事中とは打ってかわって、深刻そうな表情を見せる伯爵に、ノクスは首を傾げた。


「よければ、私の部屋に」


 すると、隣にいたナーナがちらりとノクスを見た。


「ナーナも一緒で構いませんか?」

「ええ、もちろんです」


 案内されるままに伯爵の書斎にやってくると、ソファを勧められた。


「何か、困り事ですか?」


 どう切り出したものか迷っている様子の伯爵を見て、ナーナが先に訊ねた。伯爵は少し驚いた様子を見せた後、微笑んだ。


「……さすが、ケヴィン様のお嬢様ですね」


 それから、少し考えた後、再び口を開いた。


「ここから東の方角に、迷宮があるのはご存知ですよね」

「はい。シシー伯爵家に管理を任せているものですね」


 迷宮は、内部が魔物で溢れると外に出てくるため、状態を常に把握し、必要に応じて中の魔物を駆除しなくてはならない。そしてその管理をするのは、アコール内では領主や、領主によって任命された貴族の役目だ。成人の儀の迷宮も、ガラクシア家が管理している。


「あの迷宮に、何か起きたのですか?」

「ええ。組合に定期的に探索依頼を出しているのですが、先日潜った冒険者たちが、深手を負って帰ってきたのです」

「え? そんなに危険な迷宮じゃないですよね?」


 ノクスはアストラとして活動する際に、迷宮の場所と規模を調べたことがあった。ガラクシアの迷宮よりは深いが、それでも魔物退治に慣れた冒険者がきちんと役割分担をして潜れば、大した危険がある場所ではない、というのが、シシーの迷宮の概要だったはずだ。


「その冒険者のパーティーが、実力不足だったわけではなさそうですね」


 小領主直々の依頼を、冒険者組合が下手なパーティーに任せるはずはない。伯爵も頷いた。


「この近隣の依頼をよく受けてくれて、緑一つの実績のあるリーダーが率いる冒険者たちです。以前にも、同じメンバーで同じ迷宮に潜ったこともあると言っていました」


 熟練の冒険者でも、油断が命取りになることはある。しかし、伯爵の口ぶりからすると、そういうわけでもなさそうだった。


「その冒険者たちは、何と?」

「……見たことがない魔物が出たと。普通の刃が通らず、辛うじて魔術スクロールで隙を突いて逃げたと言っていました」


 スクロールは、魔術師でなくても攻撃魔術が使える術具だ。と言っても値段が張る上に使い切りのため、いくつも持てるようなものではない。つまり、迷宮に慣れた冒険者がそれを使ったということは、本当に緊急事態が発生したという証でもあった。

 伯爵が連日不在だったのは、彼らの回復を待って少しずつ聞き取りを行いながら、組合と連携して対策を練っていたからだという。


「それを、何故俺に?」


 理由には勘付きながら、ノクスは一応訊ねた。


「……大きな魔術収納をお持ちのようでしたので、補給部隊として、ご協力願えないかと」


 予想通りの答えが返ってきて、微笑む。魔術収納の大きさは、持ち主の魔術の練度を表すと言ってもいい。便宜上は補給部隊だが、実質、主戦力としての参加要請だった。


「お世話になってる恩もありますし、協力したいのは山々なんですが……。口止めした通り、『ガラクシアの呪われてるほう』が魔術を使えることは、あまり広めたくないんです」

「承知しております。ですので、名前は明かさず、一般の冒険者としてご助力願えないかと」

「……なるほど。ナーナ、どう思う?」


 シシーがサースロッソの配下である以上、ナーナが放っておくわけがない。案の定、


「ノクス様が行くのなら、私も同行したいです」

「言うと思った」


 ノクスは少しだけ困ったように眉を歪めながらも、ふ、と笑い、ナーナが人知れず『ギュン』となっているのを、伯爵は微笑ましげに眺めていた。


***


 二人は翌日、伯爵に教えられた庶民向けの服屋を訪れた。「協力はするが、やり方は任せてほしい」と伯爵に伝え、先日から検討していた認識阻害の魔術を使うことにしたのだ。ノクスの帽子をナーナが真剣に選んだ後、女性の服を売る店へ向かう。


「認識阻害の魔術は、どんなものにでも掛けられるのですか?」

「頭に触れてるものがいいな。まあ、最悪ただの布に掛けて被ればいいんだけど」

「頭に触れるものですか……」


 言いながらナーナは少し悩み、ふと顔を上げると、アクセサリーショップのショーウィンドウが見えた。美しい金細工の髪留めが目に入り、思わず立ち止まる。花びらを模した繊細な曲線の真ん中に、小さな宝石があしらわれた、職人の技術が光る一点物。


「ああ、髪飾りでもいいかも。それにする?」


 しかし、ナーナはその値札を見て首を振り、本来の目的だった服屋に向かって歩き出した。


「贅沢はいけません。普通の帽子にします」

「そう?」


 ノクスはその髪留めをじっと見てから、先に行くナーナの後ろ姿を追いかけた。

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