第74話 冒険者たちは森の迷宮に潜った

 シシーの迷宮は、ガラクシアの迷宮とはまた違った趣だった。深い森の中、二本の樹木が手を取り合うように絡み合い、人間二人分ほどの高さでアーチになった内側をくぐると、そこから突然迷宮がはじまるのだという。


「扉があるわけじゃないんだ」


 ノクスがしげしげと、周りが厳重に囲ってなければそこが入り口だとは誰も思わない、向こう側が見えている木のアーチに顔を近づけた。足元の石を拾い上げて投げ入れると、アーチの内側で突然、音もなく消える。


「ええ、おかげで発見以前は、知らぬ間に迷い込んで命を落とす遭難者が絶えなかったそうです」


 貴族然としながらも動きやすい剣士の格好をした伯爵が、頷いて説明を入れた。


「性格の悪い迷宮だなあ」


 ノクスは落ちないように帽子を押さえて、頭上を見上げる。ナーナもその少し後ろから同じようなポーズで見上げた。朝の七時を過ぎたばかりの初夏の森は、少ししっとりとしていて気持ちが良く、思わず空気を吸い込みたくなる。


「そろそろいいですか。……まったく、こんな時に若い学者なんか連れて来るかね」


 同行する冒険者のうちの一人が、ぼそりと悪態をついた。

 彼の言う通り、ノクスとナーナは伯爵の知り合いで、サースロッソの術具研に所属している迷宮研究者という設定だ。ノクスはハンチング帽、ナーナはつばが広いキャペリンを被っており、もちろん認識阻害の魔術が掛かっている。端から見ると、人混みに紛れたら二度と探し出すことができなさそうな、無個性な印象を受ける若い男女になっていた。そうと知っている伯爵ですら、声を聞かないと本当に同一人物なのか不安になるほどだ。同時に、聞いたこともない魔術を聞いたこともない精度で使うノクスに、心強さとうすら寒い感覚を覚えた。


「無理を言ってすみません。代わりに、食料や回復薬は任せてください」


 冒険者は早耳が多く、慣れた者ほど新聞などもきちんと読んでいるため、色が違ってもラノそっくりな顔のノクス――猫を被って行儀良く微笑むと更に似ている――の身分に勘付く者がいるかもしれない。同行者が、噂の呪われ王子とサースロッソでは誰もが知る公爵の娘と知れたら、間違いなく拒否されるということで、二人は学者の変装をして参加することになったのだった。


「その割に身軽だな。魔術収納持ちか?」

「はい。フィールドワークは得意ですから、守っていただく必要はありません。ご自身の任務に専念なさってください」

「そうかい」


 もみあげから顎にかけてヒゲを整えた、茶褐色の髪と目の冒険者は、ノクスの微笑みを見てフンと鼻を鳴らした。

 今回の迷宮調査に同行するのは、先日負傷者が出たという冒険者パーティーだ。一番重傷だった者はまだ入院しているが、リーダーを含めた他のメンバーは、腕や足に包帯を巻いていたり、顔に絆創膏を貼っていたりしながらも、自分たちでけりを付けねば気が休まらないと、再度潜ることを希望した。人数は、前衛だったという負傷者の男性を入れて四人で、年齢は概ね二十代後半から三十代半ばほど。ヒゲの男がリーダーで、古い傷跡があちこちにある逞しい体つきの女性が一人と、最年長と思しき身なりの整った男性の魔術師が一人。バランスの良い構成だった。


「では、続きは進みながら話しましょうか」


 伯爵の声掛けで、ぞろぞろと連れ立って樹木のアーチを潜った。


「うわ、内側も、見た目には外の森と変わらないのか。これは本当に迷いそうだ」


 振り返ると、入り口は同じ木のアーチがあったが、その周りにも木々が広がっている。道らしい道もなく、ガラクシアでノクスがやったように、太陽が出ている方向に向かってなるべく直線のルートを取る。


「例の妙な魔物が出たのは、何層でしたっけ」

「……十三層だ」


 全体で十五層あるという。疑似太陽は外の時間が夜になっても出たままなので感覚が狂いそうになるが、きちんと手持ちの時計に従い、途中で一晩明かして体力を回復するのが、慣れた冒険者のやり方だ。


「今日は十層を目標に進んで、昼食以外で長い休憩は入れません。伯爵、構いませんか」

「ああ、足手まといにならないよう頑張ろう」


 外で待っていたほうがいいのではと説得したが、伯爵は自分の目で実態を把握して報告するのが小領主の務めだと言って聞かなかった。実際、年に一度くらいは鍛錬を兼ねて潜るのだという。


「立派ですね」

「実態は、彼らにおんぶに抱っこですけどね」


 命を預けたことがある信頼関係。敬語こそ外さないが、妙に気安いところがあるのはそういうことかと、ノクスは納得した。


「ナーナ、手を」

「ありがとうございます」


 できるだけ真っ直ぐに進む一行は、多少の高低差があっても迂回しない。ノクスが足を掛けた場所に同じように足を掛け、少々ぎこちなく登るナーナを、ノクスが上から引き上げる。


「女連れでフィールドワークとは、学者ってのはいい身分だな」


 リーダーが、チッと舌打ちをした。


「留守番しているように言ったんですけどね……」


 ノクスが苦笑を返す。パーティー内唯一の女性冒険者が、自分も女だがと言いたげにジトッとリーダーを睨んだことで、どうやらこの二人は恋人か夫婦か、そんな関係らしいとわかった。


「シシーの迷宮も、一度は見ておきたいと思っていたので」


 ナーナは嫌味を気にすることなく、膝の土を払った。サースロッソ領の中にあるものは、全て自分に関わりがある。それがサースロッソ公爵家の教えだった。


「無理はしないこと。疲れたり、痛かったりしたらすぐに言うんだ」

「……はい」


 認識阻害魔術で顔の造形はよくわからなくても、優しげに微笑んでいることはわかる。ナーナは素直に頷き、慎重に、しかしなるべく速やかに、ノクスの後を追った。

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